第570話「あの時のように」



 ざっと見た限りでも松明の炎の数は百を越えていた。

 下手をすると、この町の1000の人口のほぼすべてがここに集まってきているかもしれない。

 いったい、なんのために?

 少なくとも友好的な内容―――例えば島のお祭りのためにとかではないだろう。

 なぜなら、彼らは松明を手にしたままじっと無言のまま正門の入り口辺りで止まるだけだったからだ。

 一言も発せずにただ屋敷を凝視している。

 男も女も年寄りも子供も。

 まともな光景ではなかった。

 真っ先に思い至ったのは、集団催眠をかけられて夢遊病にでもなっているかもしれないであった。

 物凄く面白い映画のクライマックスを固唾をのんで見守っている観客を傍から眺める様な白けた雰囲気があるのだけが救いだった。

 これがすべてもう少し特定の憎しみや何かに支配されていたらとてもできないが正視できなかったであろう。

 そのぐらい、度を越して異常なのだ。


(外はまずいか)


 ちょっとした刺激を与えることすらもしたくない。

 針で突けば割れてしまう巨大な風船のようにすら感じられた。


「でもね……」


 後ろから迫る黒い毛と白いトゲに比べれば、あっちの方がまだ近づきやすい。

 囲まれてリンチされるのと、あの黒白に呑み込まれて消化されるのでは、まだ前に行った方が人間らしい。

 仕方なく玄関を開けて外に出た。

 間一髪で黒い毛が僕の踵のあたりに触れた。

 靴越しに何とも言えぬ不快感が漂う。

 やはり捕まったら終わりだ。

 とはいえ、玄関から出てきた僕は島民たちの視線に晒されることになる。

 これまでじっと敷地の外からこちら側を見つめていた(睨んでいたという方がまだ気分がいい)島民たちが僕だけに集中した。

 一挙一動に注目されているのはとても怖い。

 しかも、好奇心でも憎悪でもどんな感情も籠っていなさそうな表情でただ見つめているだけだ。

 動いていることだけはわかるが、ただそれだけ、

 彼らは僕がということただそれだけで視線を向けているに過ぎないのだ。

 しかし、それもすぐに終わる。

 松明の位置があがった。

 横一列だった炎の高さが上がったのだ。

 つまり曲げていた手を高く掲げて、照明の角度を変えたということである。

 そして、前に進みだした。

 無言で。

 まださっきの石埼さんの方が喋る分だけ怖くなかった。

 大勢の人たちがいるのに誰も人の言葉を話さないということがこれほどまでに不気味であるとは。

 しかも、手に手にどうみても武器を持っているのだから、意図は明白なのに。

 屋敷の壁沿いに走り出した。

 正門から沁みだすようにやってくる島民の前にいるのは危険だからだ。

 もう一度屋敷に戻るにしても裏からだろう。

 しかし、すぐに行き止まりになる。

 門からの塀が延長して屋敷の壁に同化しているのだ。

 逃げる場所はないかと探してみると、足を引っかけられそうな窪みがある。

 僕は最近ちょっとだけ習っていたボルダリングの要領で窪みに指を引っ掻け、足をふって壁を登った。

 趣味というだけでなくてこういう時のための訓練の一環だったが、無駄にはならなかったようだ。

 ゆっくりと歩いてくる島民が僕のところにやってくる前に塀の上に辿り着いたのだから。

 彼らは同じことはできないだろう。

 両手に松明と武器を持っているしね。

 ただ、僕を追いかけてきたゾンビーめいたグループ以外に、玄関から中に入ろうとしている連中がいるのが気がかりだった。

 あの様子では黒白の怪物たちに捕まってしまうかもしれない。

 とはいえ、あちらを助けに行っている余裕はない。

 僕ら―――〈社務所〉の側としてもこの展開は予想していなかったからだ。

 まさか島民がすべておかしくなっているなんて……

 でも、見捨てるわけにはいかない

 どうするべきか……

 僕が塀の上で躊躇っていると、玄関口から侵入しようとしていた屈強な漁師らしい数人が派手に後ろに向けて吹っ飛んでいった。

 何があったのか理解する前にもう数人もまとめて飛んでいく。

 壁にゴムでもついていてその反動で飛んでいったように思えた。

 コントでも観ているようだった。

 だが、すぐに理由がわかる。

 玄関が開いて、中から一つの人影が悠然と姿を現したからだ。

 身長百八十センチ以上、体重七十キロ以上の、上半身のがっしりとした女の子が。


「……ここから先は立ち入り禁止だ。覗き見したいというのならばわしを倒してから行くがいい」

 

 地獄の獄卒でさえも真っ青になるような不動の佇まいの豈馬鉄心さんが宣言した。

 多勢に無勢?

 彼女はそんな言葉で語りつくせるほど嫋やかな実力チカラの持ち主ではない。

 ここに殺到している島民全てを敵に回してもきっと彼女は死守するだろう。

 屋敷に充満し飽和しようとしているあの黒い毛と白いトゲから彼らを保護するためだ。

 徹頭徹尾、彼女は退魔の媛巫女として無辜の民を邪悪な神の手から掬いあげるために戦うという意志を違えたりはしない。

 

「あと、悪いが皆の衆、今この屋敷の中で死力を尽くしているわしの幼馴染の邪魔をさせる訳にもいかんのだ。ここは退いてもらおう―――と口で言ってもわからんだろうが、とにかくそういうことだな」


 ……御子内さんが戦っている。

 あの地獄の様な悪夢の内で。

 

 僕は塀の上を伝わって、適当な採光の窓を見つけて屋敷の内部を覗きこんだ。

 ちょうど玄関入ってすぐの広間が見渡せる。

 そして、想像通りの光景が眼に入ってきた。


「……ああ、戦っている」


 広間の中に侵入しようとしている黒い毛と白いトゲを相手に一歩も退かずに戦っている。

 彼女が敗北したら、鉄心さんが喰いとめているあの正気を失った島民がすべてさっきの石埼さんのように呑み込まれてしまうだろう。

 だから、御子内さんは逃げ出さないのだ。

 

 ―――いつものように。


 初めて彼女に出会ったあの時。

 大切な妹が凶悪で恐ろしい妖怪に執拗に狙われて、もうどうしようもならなくなったあの絶望的な最悪の状況。

 それをすべて引っ繰り返してくれたあの時のように。


 御子内或子は、邪神相手でも決して怯むことなく戦っていた。

 





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