第569話「混乱+混乱は?」
スコップという道具の主な目的としては穴を掘るためのものだが、実のところ意外と手頃な武器にもなるのである。
まず、土を掘る部分は三角に尖っていれば刃物になるし四角いものでも角が危険なうえ、梃子の応用で振り回すのに十分な重さがある(スコップ自体、梃子の原理でできているといえるか)。
また、柄の部分は持ちやすく握りもあって滑らないという特性があり、こちらも鈍器としては有益な使い方が可能だ。
一説によるとゾンビ映画においてホームセンターで手に入れる道具の中で最高の使い勝手のよさを誇るのはスコップだと言われているほどである。
だから、そんなものに後頭部を本気で殴られてよく気絶しなかったものだと自分の運の良さに感謝してしまう。
〈一指〉ではなくごく普通に備わっている強運の方だけど。
石崎さんの様子はまともではなかった。
目が血走っているうちはよかったのだが、そのうち白目をむき出し、なんと一回転して黒く濁りだす。
あまりの気味悪さにまた吐きそうになった。
眼球がくるくる回転したら繋がっている視神経がぶち切れてしまうだろうにいったいどうなっているのか。
ただ確かに言えることは、石崎さんは何も起きていない人間とは呼べないということだった。
妖魅の類が化けていたのなら御子内さんたちが気づかないはずがないので、おそらくとり憑かれたのだろう。
いわゆる狐か悪霊憑きの状態だ。
人間にとり憑いた連中は肉体を守る必要性が無いから、ありえないほどの無茶をする。
使い捨ての肉体に遠慮はいらないということだろう。
『イア!! イゴールナク!!』
また大声で訳のわからない叫びを発した。
声がかすれ気味なのは、おそらく喉を相当圧迫しているのだろう。
叫んでいる奴が人間の声帯の使い方をよくわかっていないということかもしれない。
妖魅にはたまに人では発音できない喋り方をするのがいるのは、そういうことだ。
やっぱり種族はおろか次元すら違う存在というのはいるのである。
スコップが振り下ろされる。
頭の痛みをこらえて身をよじる。
がつんと床が堅い音を立てた。
まずい、これで黒い毛と白いトゲにこちらが隠れているのがバレたはずである。
実際、嫌なオーラのようなものが扉の向こうから溢れてきていた。
僕なんかでも視認できそうな妖気だったからだ。
あんな恐ろしいもの、このままでは捕まる!
「いやなこった!!」
僕は下半身を廻して足払いをかけた。
旋風脚の応用だ。
いかに僕が怠けものでも〈社務所〉で二年近くバイトしていれば多少の護身術ぐらいは身に付く。
足の脛のあたりを薙ぎ払って倒そうとしたのである。
ガシ
だが、石崎さんは倒れない。
僕よりも背が低くて枯れて痩せたお爺さんのはずなのに、まともに軸足を蹴り飛ばしてもびくりともしなかった。
この場合、考えられる答えは三つ。
①僕のキックが貧弱で貧弱
②石崎さんの体重が見た目よりも多いか、蹴りを無効化する体術の持ち主
③その他・別の理由
で、ある。
そして一番厄介なのは、多分、きっと③であろう。
計り知れない別の力のせいで、鶴のように痩せたお爺さんが鉄の彫像のようになってしまっていたのだ。
逆に僕の足の方が重傷だった。
「くそっ!!」
『イア イア!!』
石崎さんが三度スコップを振るった。
またなんとか身を捻って交わす。
今度は股間めがけて足を振り上げたが、結果は同じだった。
足が堅いのだから急所だけが変わらないはずがない。
これでわかった。
少なくとも僕なんかでは石崎さんには勝てない。
三十六計しかないということか。
『イア!!』
叫ぶ石崎さんを放置して、僕は海岸でやるビーチフラッグのごとく立ち上がると一目散に駆けだした。
廊下を抜けて、とりあえず、外へ。
正直、悪いものに憑かれた人と屋内でやりあうのは危険が危ない、洒落にならない。
「こっちだ!!」
ただし、あの毛とトゲのために置き去りにすることもできないので誘い出そうとしたが、これは遅かった。
『ぐああああ!!』
イア以外の悲鳴を発して、石崎さんが黒い毛に巻かれていく。
それだけではない。
こちらを向いているシャツの胸にいくつもの突起が現われた。
突起は上下に震えている。
生きているかのように。
そして、それは間違ってはいなかった。
すぐに白いシャツの生地を突き破り、鋭いトゲが顔をのぞかせたのだ。
あれは石崎さんの背中から胸まで貫通した結果なのだ。
合計五つのトゲが老人の痩せた体を貫いているのに、石崎さんはまだ動いていた。
スコップを手放さず、必死に抵抗を繰り返している。
『貴様らあア、放せ、グラアアアアアアアキイイイイイ!! ラーン・テゴオオオオオオオオオスウ!!』
呪いそのものが叫びに変化したようだった。
人の声ではない。
獣のものでもない。
地獄の釜の底から聞こえてくる獰猛な風の音だった。
耳にした途端、慣れていない人なら気を失ってしまいそうな呪詛そのもの。
それはそうか。
おそらく、石崎さんを乗っ取っているものは……邪神かその眷属なのだ。
そんじょそこらの妖魅とは桁が違う。
多少修羅場を踏んだ程度の僕では近寄るだけでもうアウトだ。
「……ごめん、石崎さん」
僕では彼を助けることができない。
どういう経緯があったのであれ、あんなものにとり憑かれてしまったら救うことはできないだろう。
ただ、当初から石崎さんの行動はおかしかった。
僕らを妙に敵視していたし、よく考えると管理会社側の説明のすべては彼の口からしか聞いていないのだ。
もしかして最初からあの状態だったというのなら手遅れだったということになるのか。
『イア イゴオオオオルナクウウウウ!!』
石崎さん(いや、彼に乗り移っている何かか)の断末魔めいた雄たけびが響きわたった。
黒い斑と白い線にあっという間に呑み込まれていく老人の姿。
人を腹に納めたことで満足したのか、ほとんどの黒と白のラインは再び相争い始め、僕に向かってくるのは十数本程度しかなかった。
しかし、どれだけの長さがあるのか、玄関のある広間まで逃げてもまだ恐ろしい死の波はついてくる。
速度がそれほどでないだけ助かった程度だ。
石埼さんを丸ごと喰らったくせにまだ足りないのか、執拗に追跡してくる。
このままいくと屋敷のいたるところまで伸びていくのではないかと嫌な想像にかきたてられた。
「……御子内さんたちはこの状況をわかっているのかな!?」
自分としてもまるで赤外線探知装置でもついているようなしつこさに参ってしまいそうなので、仕方なしに外にでることに決めた。
今日の月明かりは綺麗だ。
石埼さんの部屋で見た夜景を思い出す。
あれだけ雲がなくて月が出ているのならば、夜目もだいぶきくことだろう。
逃げ回るだけなら外でもオッケーか。
それで御子内さんたちと合流しよう。
怪現象の気を引かないようにできる限り音を立てないで玄関の戸を開く。
建てつけがいいのか、わずかしか音が出なかった。
すぐに閉められるようにわずかだけ隙間を開けて外を見た瞬間、僕は軽い絶望を感じた。
パチパチパチ……
炎が爆ぜる音がしていた。
しかも、無数に。
ずらりと屋敷の正門付近に並ぶ松明を持った人影を。
見たことがない人たちだった。
でも、誰なのかはわかった。
―――この屋敷を取り囲むほど集まっているのは、火のついた松明を持ち、包丁らしき刃物やこん棒の様な鈍器の類いで武装して、無言で立ち尽くすエラブ島の老若男女の島民たちであった。
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