―第72試合 〈ラーン・テゴス〉殺し 2―

第567話「〈冥王の神託館〉にて」



 マダム・タッソーの蝋人形館というものがロンドンにある。

 そこは古今東西の有名な人物を模した蝋人形が所せましと並べられている、世界でも群を抜いて奇矯な施設だった。

 僕らが訪れた〈冥王の神託館〉はその厨二病っぽい名前に従ってか、まさにその蝋人形館に酷似した博物館であった。

 飾られている無数の展示物はすべて想像上の怪物や幻想種ばかりという徹底ぶりだ。

 たまに人間っぽいものがあるかといえば、切り裂きジャックやサド侯爵などの呪われたような人物でモチーフとしては怪物や悪魔とは変わりない。

 ゴルゴン、マンティコア、コカトリース、ミノタウロス……、どれもが迫真の形相を作る夜中には絶対に見たくない見事な品ばかりだった。

 作者はまちまちらしく、像の足下にあるプレートに彫られている名前はばらばらだった。

 ただ、外国人らしくて日本人の名前は皆無だった。

 全部を見た訳ではないが、ここの作品はすべて外国産なのだろう。

 そういえばざっと見ても日本の妖魅関係は一つも見つからない。


「……なんというか、地獄のような光景だな」


 田口弁護士はかなり広い展示スペースに踏み込もうともしなかった。

 入口の人狼の蝋人形に脅されたように、中には入ろうとしない。

 石埼さんは入り口の付近の数個のものだけに留まっている。

 僕と御子内さんだけが、展示物を舐める様に鑑賞していたが、そのうちに妙なことに気が付いた。


「この水路みたいなのはなんだろう?」

「臭いからして海水ではないようだよ」

「……鼻がいいんだね」


 御子内さんは五感の全てが鋭い。

 展示場のいたるところを巡る幅二十センチ、深さ三十センチぐらいの水路を流れる液体に鼻を軽く近づけただけで嗅ぎ取ったらしい。

 不用意に触らないのはさすがの用心深さといったところか。


「でも、こんな海の傍で海水を使わないというのもちょっとおかしくない?」

「それはそうだね。そもそも、この蝋人形と彫刻だらけのところで水を流す演出に意味があるのか」

「確かに。水族館とか水生怪物モチーフならわかるけれど、ここの展示品とは趣が違いすぎる。なんのためのものなんだろう」


 僕らは展示物を警戒しつつ観察しながら、最後まで見終わった。

 だが、残念なことにおかしなものは見当たらなかった。

 まさか目立つところに展示されているとは思わないけれど、何かしら変なところがあってもおかしくないとは思っていたのだけど……

 さすがに怪しいと感じたのは、水路が伸びて消えていく先の煉瓦造りの壁の奥だ。

 あの奥に何か隠されているとしか考えられそうもない。


「あそこは後回しにしよう。アニマが〈護摩台〉を設置してくれるのを待つしかないしね」

「展示品もこれだけではないようだよ。もともと倉庫ということだから」

「オラボナはそっちにはボクらを連れていかないだろう」

「どうせ見逃してはくれないよ。あっちから来るんじゃないかな」


 僕もなんだかんだ言って武闘派になったもんだ。

 初手から戦闘について考えている。

 どれだけ御子内さんのギョーカイに染まってしまったんだか。

 二年前の僕は普通の高校生以外のなにものでもなかったというのにね。


「御子内くん、升麻くん、そろそろオラボナ氏が言っていた食事の時間だ」

「はい」


 僕らは並んで展示場から外に出た。

 誰かが見ている気配があったけれど、あえて無視する。

 危険なものであったのならば僕なんかよりも御子内さんが強烈に反応するだろうから、そちらにお任せという雑な判断だった。

 けれどもそれでもいいと思う。

 僕もいい加減に素人気分ではいられない時期だ。

 今までどれだけ彼女たちにつきあってきたのか、もう数えきれない。

 そして、僕はもう選択を終えているのだ。

 賭け金は山ほど詰まれている。

 負けるか、勝つか、獲り得る道はそれだけだった。


「おお、飯の時間か。ちょうどよかった。遅れてありつけないというのだけは勘弁してほしいものだからなあ」


 僕らが部屋を出ると同時に鉄心さんが表からやってきた。

 手に何かを持っている。


「なんだい、それは?」

「外に〈ゾンビー〉がおってな。とりあえず片っ端から成仏させておいた。これはまあそやつらの遺品だ。わかるものの分だけでもかき集めておいたので、あとで遺族に送ってやろうと思っておる」

「そのときはボクも手伝うよ。……〈ゾンビー〉って原因はわかるのかい?」

「なんでも、海中にでかいウニがおってな。それに引きずり込まれたらしい。下手人はまず十中八九そいつだろう」

「ウニねえ。海にだったらどんな化け物がいてもおかしくないか……」


 海の中、ウニのような姿、〈ゾンビー〉……

 どれも僕が事前に聞いていた邪神ラーン・テゴスのもとは違う。

 ということは、答えはそれほど多くない。


「僕らの目指している敵が変化しているか、もしくは別の妖魅が海にいるということかな?」

「だろうね。しかも、〈ゾンビー〉を大量に操る妖魅となると普通のレベルじゃあない。神格に匹敵する相手だ。そんなものが海にいるとなると……」

「ルルイエの眷属かのお?」

「その可能性はある。少なくともそのレベルがいるかもしれないと覚悟した方がいいね」

「覚悟? なんだ、或子。おぬし、まだ覚悟をしていなかったのか」


 揶揄うような鉄心さんの発言に対して、僕の御子内さんはあっけらかんと応えた。


「覚悟なんて御大層なものは必要ないさ。ボクは常在戦場のJKだからね。どこにいたって、妖魅を斃すためには怯まないさ」

「―――おぬしは変わらんのお。初めて会った頃のままだ」

「物心ついたときには花果山に閉じ込められて、心のない連中にいたぶられて育ったわりにボクは立派なJKになったものさ」

「うむ、わしがいかに女子高生とアイドルが素晴らしいものかを説いた結果であるな」


 うん、小さいころに苦労した人がアイドルをみて社会の在り様について悟ることは滅多にないと思うよ。

 二人の歯車のずれた会話のせいで割って入れなかったが、僕にとっては御子内さんがぽつりと漏らした言葉が酷く気にかかった。

「物心ついたときには花果山に閉じ込められて、心のない連中にいたぶられて育った」


 ―――その記憶が気になって仕方がなかったのだ。

 彼女と知り合って、友達になってからもう二年になる。

 陽気で、天真爛漫で、誰にも優しく、勇気と闘志に満ちた彼女の過去を僕はほとんど知らない。

 御子内或子が僕にとって恩人であるということは間違いがない。

 今の僕は一から十まですべて彼女次第で、御子内さんがいなければ何もできてはいないだろう。

 だからこそ思う。

 僕は彼女のために何かができるのだろうか。

 より善い影響のすべてを彼女から受け取ったといってもいい僕なのだから。


「おい、あんたら。早く来いよ」


 石埼さんが手招きしているので、僕らは速足で後を追った。

 この話はここで終わったが、心に御子内さんの過去がずっと突き刺さっていたのは誰にも悟られたくない僕だけの秘密だ。



         ◇◆◇



 食事といっても、僕らに供出されたのは缶詰を皿によそっただけの食事だったが、むしろ下手に誰かの手が入っていない分だけ安心だった。

 オラボナさんは食堂で缶詰を渡しただけでそれっきり姿を消したし、まともにエアコンもつかない場所に慣れていない田口弁護士は、唯一クーラーの効いている応接間に逃げるようにいってしまった。

 石埼さんは缶詰を平らげると、そのまま部屋に向かう。

 元がホテルだけあって、泊まる部屋は幾つかあって、それを適当に割り当てられたのだ。

 僕たちもそれぞれ別の個室が割り当てられ、中に入るとほとんど手入れがされている訳ではないので十分に泊まれそうなことがわかった。

 それなりに大きなホテルの一室ぐらいの広さと柔らかいクッションの効いたベッドがあるだけで少し嬉しくなる。

 とはいえ、ここは敵地だ。

 もしくは邪神の結界の中。

 油断は絶対にできないので、僕らはまず示し合わせた通りに鉄心さんの部屋に集まった。

 鉄心さんの部屋は他と同じタイプで、特に違いは見当たらなかった。

 一瞬だけ、気当てをして他の気配を探ったようだった。

 敵となるものが盗み聞きしていないとは限らないからだ。

 ひい、ふう、みい、と数えてから満足気に笑う。


「さて、同志がすべて揃ったところで朗報だ」

「なんだい。鉄心がそういう顔をするときは乃木坂の握手会に連れていかれたときのことを思い出すよ」

「あのときは愉しかったのお」

「わざわざ名古屋まで呼び出してあれだからね……。さすがのボクも呆れたよ」

「懐かしい思い出はどうでもいいのだ。わしの話を聞け」


 なんというか、レイさんや音子さんの場合にはバイオレンスな方向に脱線するのだが、鉄心さんの場合はわりと予想外の方向に行ってしまう。

 やはり幼馴染というのは伊達ではないのかな。

 御子内さんも自然にずれていってしまう。


「……今日の深夜には〈護摩台〉の資材が届く。そうしたら、すぐにでも設置しよう。頼むぞ、京一殿」

「殿づけになったんだ……。えっと、それはオッケーです」

「わしは京一殿の護衛に入る。その間、或子はだな」

「囮かい?」

「そうだ。話が早いというのは助かる」

「いつものことさ」


 ―――僕らがすべての分担を終えてあえて自室に戻ったのは、それから一時間後のことであった……



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