第566話「彼の名はオラボナ」



 男性の名前はオラボナ。

 今のところマレーシア国籍で、「公用」の在留資格を持つ外国人だそうだ。

 マレーシア政府から何かしらの支援を受けて日本にいるらしい。

 エラブ島にこんな建物を所有して、財産の保管をしているというのはもともと大金持ちだからだということだ。

 正直な話、とても胡散臭い。

 小さな目で下からねぶるような視線を送ってくるので、そういうマイナスな印象しか受けないのだ。

 卑屈、というのがぴったりとあっているのか。

 年齢でいうともう五十歳は超えていると思われる男性にしては下手に出る態度がとても気になる。


「株式会社・壽の石埼と申します。常日頃、当社がお世話になっております」


 石埼さんが社会人らしく挨拶をしても、


「はい、こちらこそ、ええっと、コトブキさんにはワタシの資産の運用を、丁寧にしていただいて、……えっと、感謝の言葉もありません」


 はっきりとしない口ぶりで、こちらの反応を窺うような煮え切らない返事をするのだ。

 日本語がしっかりと話せている分だけ、どうもイライラとする。

 僕にしては珍しく距離を置きたくなる相手だった。

 よく言われるコミュニケーション障害というものではなく、探るような、様子を見るような、そんな態度だからだ。

 だから、逆にわかる。

 この人物は僕らを下に見ている。

 下というか、蔑んでいるのだ。

 自分が高位の存在だと自負しているのにもかかわらず、あえて遜ることでこちらの様子を探っているのだ。

 あの粘りつくような黒い眼差しは蔑視そのものなのだろう。

 少なくとも僕が好感を持てる相手ではない。


「しかし、オラボナさん。あなたは東京の事務所にいると聞いて、今回は立ち会われないということだったじゃないですか」

「ワタシの、顧問弁護士であるタグチ先生のどうしてもという頼みですから、う、受けざるを得ないじゃないですか。ですから、先回りしてきました」

「それはすみませんねえ。こちらとしても、以前からオラボナさんが有する不動産について国税局から色々と言われてましてね。書類を作らないとならないそうなんですよ。しかも、実地で本当にあるのか確認までしなければならないという面倒な話でして」

「秘書から聞いています。……ニホンの法律が相手ではしかいないですよね」

「でまあ、一度内部を拝見させてもらえたらと思っておりまして」


 ……これはこの〈冥王の神託館〉に〈ラーン・テゴス〉が匿われているという情報を得た〈社務所〉が、名前もわからない所有者の代理人となっている田口弁護士に強引に見学をするにように仕向けさせたということである。

 僕らとしては〈冥王の神託館〉に邪神がいるのならば、強引に押し入って斃すというプランでもよかったのだ。

 だが、さすがに邪神相手に〈護摩台〉なしでは難しいとストップがかかり、所有者を巻き込んで結界を張る準備してからにするべきとなった。

 そのために、かつて〈社務所〉と関係のあった田口弁護士を経由して、見学―――場合によってはそれだけで済むかもしれない―――の許可を得ようとしたところ、なんと管理会社からの横槍で、立ち合いなしではできないという話になった。

 この時の〈社務所〉の失敗は、田口弁護士というそれなりに影響力のあるしたたかな法律家を組み込んでしまったことだ。

 おかげでいくつものわけのわからない状況が出来上がってしまい、結局、伊豆諸島の孤島に赴くために弁護士と管理会社の従業員を同行させなければならなくなってしまった。

 いつものように犯罪スレスレでいくべきだったと、あとで不知火こぶしさんが愚痴っていたほどに面倒くさくなってしまったというわけである。

 しかも、同行する二人ともとある会社名義になっている建物所有者の名前を教えてくれず、オラボナさんという名前もさっき初めて僕らが知ったほどである。

 なんというか、こういうきちんとした段取りを踏むとうまくいかなくなるというのは日本の社会でも特有の現象なのかもしれない。

 

「それで、そちらの巫女さんたちはなんの御用で」


 オラボナさんが声をかけてきた。

 すべてお見通しという顔つきだ。

 僕らの身分も目的もすべてわかっているぞ、と顔がものを言っている。


「ボクは御子内或子。見ての通り、わかりやすくいうのなら拝み屋だ」


 拝み屋―――つまりは除霊やら退魔を引き受ける霊能力者だと、彼女は名乗ったのだ。

 素直に退魔巫女と名乗るのに比べれば、説得力がある。

 ドラマや映画の世界ならばそれで通じたかもしれない。


「……ちっ」


 石埼さんが舌打ちをした。

 どうも薄々勘付いてはいたようだ。

 何やら拒絶反応が強い。

 御子内さんへというよりも、拝み屋という職業に対して強い反感があるらしい。

 わからなくはないけどね。


「その……拝み屋が何の御用で、ワタシの博物館に?」

「この屋敷の中にいるという妖魅を退治するように依頼されたんだ。一ヶ月以内にね」

「はて。ワタシはそんなことを依頼した覚えがありませんが。……もちろん、島のものたちも。いったい誰がそんな勝手なことを」


 それに対して御子内さんは、


「その妖魅にひどく立場を脅かされているものがいてね。そちらから、なんとかして退治してほしいとのことさ。ボクも成り行き上、仕方のないことだと割り切っているよ」

「しかし、ワタシの屋敷のものについてワタシの許可もなく……」

「依頼主の名は、だ。キミも聞いたことがあるだろう」

「―――え、ええ、ま、まあ」


 ツァトゥグァの名前を聞いた時のオラボナさんの反応は異常だった。

 突然、汗を拭きだしたのだ。

 褐色よりは浅黒いといった肌が一気に濡れてシャツが張り付く。

 エアコンが効いていない部屋といってもこんなに急速に汗をかくことはない。

 間違いなくツァトゥグァという名前にそこまで恐怖したのだ。

 

「そ、そのツァ……」

「ツァトゥグァだね」

「その方がどうして、我が博物館に……」

「わからないことはないだろう。特にキミは」


 御子内さんを舐めきっていたのに、予想外のカウンターパンチを喰らってオラボナさんは黙りこくる羽目になった。

 石埼さんが目を丸くしている。

 百戦錬磨のセールスマンには今のやりとりがさっぱりわからないのだから当然だ。


「では、ちょうどいいからボクらは一休みさせてもらうよ。キミだって、自分の屋敷に変な化け物が潜んでいたら怖くてたまらないだろう。ああ、気にしないでくれ。特に報酬なんかは要求しないから」

 

 そういうと、ズカズカと御子内さんは屋敷の奥に入っていく。

 オラボナさんは咎めだてもせず、諦めた顔で案内を始めてくれた。


「なにがなんだか……」


 田口弁護士がため息交じりの疑問を提示する。

 その気持ちもわかるけれども、僕としてはもっと気がかりなことがあるので、いつまでも一般の方に関わってはいられない。

 僕の気がかり、それは―――


「オラボナさん……何者なのだろう」


 であった。



           ◇◆◇



「それで、お主らはなんでそのような姿になった?」


 豈馬鉄心が祝詞を唱え、必要な儀式をしたあと、蠢いている死体の胴体にさっと塩を一まきすると、淡い光が刺したように薄ぼんやりとした膜が浮かび上がった。

 霊力のあるものだけに見える―――霊体だ。

 鉄心が行っているのは反魂の術の中でも、肉体に微かに残留している思念だけをよびだす呪術である。

 この術で呼び出させたものはまさしく残留思念であり、思考や意志といったものは備えておらず、術者の問いに答えることしかできない。

 退魔巫女の中では極限まで鍛えることでサイコメトリー能力を保持するに至ったものもいるが、なんとしてでも情報を得たい場合には必須の呪術である。

 もっとも、使用した後に相当疲労するので戦いの前に使うことはあまりない。

 病み上がりの鉄心としても実際は使いたくないところだが、邪神退治に来て〈ゾンビー〉に襲われるということは異常事態でもあるので仕方なくといったところだ。


『おれは島の沖で船釣りをしているとき……海からイカの触手が飛んできて腹に刺さって……引きずりこまれた……』

「イカの触手だと? それは本当にイカだったのか?」

『わからない……海の中でおれはでかいウニを見た……』

「今度はウニか。他には?」

『わからないわからない……わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない……』


 傷ついたCDのように同じ言葉を繰り返し始め、それから数秒も持たないで釣り人の残留思念は消滅した。

 だが、鉄心としては収穫を得た自信があった。


「なるほど。海にも何かがおる、ということか。で、そいつがこの〈ゾンビー〉どもを作った可能性がある、と。これは厄介だな」


 戦国武将のような少女は腕を組んで、むうと唸る。

 背後の屋敷には邪神、眼前の海には正体不明の妖魅。

 どちらも相手にするには強力すぎる敵といえた。


「……さて、どうするか」


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