第565話「続・博物館の恐怖」



 うおおおおん あおおおおん


 と死人が哭く。

 死んだことが悔しいのか、生きているものが妬ましいのか、そのどちらでもないのか。

 胃の腑が震えるような怨嗟の声であった。

 只人ならばこの啜り泣きを聞いただけで足が竦んで動けなくなるかもしれない。

 あまりにも無残に腐りかけた死体の形相を見ずとも声だけで死にそうな気持になれる。

 だが、この場でのたった一人の聴衆はそんなものでびくともしない、鋼の心で武装し、筋肉の鎧をまとった闘士であった。


「〈ゾンビー〉とはのお。見たところ、日本での屍人返りとはまた違う様式での復活とみえるが……さて、操りびとは誰であろうか」


 鉄心はむんずと自分の膝を掴むと、四股を踏むように地面を踏みつけた。

 豈馬鉄心が得意とするのは相撲であるが、純粋なものではない。

 戦国時代に戦場で磨かれた組打ち術の流れを汲む、乱戦向けの技である。


「どっっっっっっせい!!」


 彼女の平手が一番最初にやってきた〈ゾンビー〉の首を吹き飛ばした。

 死人の腐りかけた筋肉と枯れた神経では耐えきれない衝撃を受け、〈ゾンビー〉の首は何メートルも転がっていった。

 予想以上に脆い、と鉄心は内心で首をひねる。

 かつて報告を受けていた〈殭尸〉に限らず、動く死人というものは生前の無意識のブレーキが外れたことによる肉体の酷使によって想像以上の力を奮うという話だった。

 なのに、この〈ゾンビー〉どもは見た目と同様に脆い。

 

(何やらあるやもしれんな)


 ここで、敵を弱いと見くびり油断するということは鉄心にはない。

 相手を過小評価どころか見くびって接すればどんな風に足を掬われるかわからない、ということを良く知っているからだ。

 恵まれた体格と呪力を持っている彼女だからこそ、油断は大敵だと知り尽くしていた。


「だっ!!」


 蛆と腐肉まみれの躰に触れたくなかったが、万が一を考えて〈気〉をこめた拳と足で〈ゾンビー〉どもを一撃で斃す。

 ぐちゃぐちゃの脳みそを破壊すれば足りるということがわかってからは、なるべく頭を狙って丁寧に一体ずつしとめていった。

 その度に返り血ならぬ帰り腐汁を受けつつも、鉄心はよく敵を観察していた。

 一概に〈ゾンビー〉といっても種類はある。

 自分を襲ってきた群れがどういうものなのかを見定めなければならない。


「……うむ。着ているものからして埋葬された死体ではないな。フィッシャーマンズベストという奴か。おや、ライフジャケットもいるな。つまりは釣り人の馴れの果てといったところか。うーむ南無三」


 神道の巫女の癖に仏教の祈りを唱える鉄心。

 油断はしなくとも余裕は忘れない。

 二十体の死体はほとんど一分も経たないうちに、鉄心によって吹き飛ばされて終わった。

 まだ少しだけ痙攣のような動きを見せているが、甦った偽りの命はもう役に立たないだろう。

 蹂躙というのに相応しい豈馬鉄心の戦いであった。


「……しかし、どうして動いておるのかがわからんな。ジョージ・ロメロの〈ゾンビー〉のように噛みついて増殖するという訳ではないし。絶海の孤島らしく、溺れ死んだ者たちがこうなったのか。だが、どうしてなったかがわからん」


 少し考え、


「仕方あるまい。口寄せをしてみるか。……わしはてんと違って術は苦手なのだが」


 腰紐に差しておいた小型の大幣おおぬさを引き抜く。

 普段はアクセサリー程度にしか考えていないが、術を使うための集中力をためるにはうってつけの品であった。

 幼少期からよくこれで術を習ったものだ。

 鉄心はガタイに似合わず、本来の巫女としての素養は同期でもトップクラスであったである。

 その意味で「御所守たゆうの姪孫てっそん」は伊達ではなかったという訳だ。


「……さて、久しぶりの死人の口寄せだが……やってみねばどうなるかはわからんか」


 鉄心は大幣おおぬさを掲げると祝詞を唱え始めた。

 何が起きるかはわからないが、この異常事態を見過ごしていられるほど彼女は無責任ではないのであった。



          ◇◆◇



〈冥王の神託館〉の中は鼻孔をくすぐるような異臭に満ちていた。

 空気が淀んでいるのだ。

 誰も住んでいないというだけでなく、内部に凄まじい悪臭のもとがなければこんなことにはならない。

 ただ、獣のものではなさそうだ。

 今まで僕が嗅いだことがないということからわかる。

 僕はこう見えてもタヌキやウサギ、モグラといった動物妖怪たちと親しく(決して望んでじゃないけど)しているので、獣の臭いというのには慣れているのだ。

 この臭いはそれとは違う。

 むしろ、陸を駆けない生物―――魚や魚介類の生臭さだ。

 深海の底の―――香りだろう。


「うわ、なんて生臭さだ。ここは市場か!?」

「ひどいじゃないか。換気しなければ五分といられないぞ」

「まったく、見えるところから窓を開けていくしかないか」


 田口弁護士たちが玄関から入ってすぐの広間のカーテンを開き、窓を片っ端から開き始めると、御子内さんはじっと中央に佇んで腕を組んでいた。

 侵入者を排除しに敵が出てくるのを警戒しているのだ。

 獣並みの勘働きを持つ彼女相手に奇襲は難しいが相手にもよる。

 この屋敷のどこかに潜んでいるかもしれないのは、彼女の想定通りならば「神」と呼称されるべき存在なのだ。

 その領地に入り込んだ以上、ここは即座に戦場になる。


「おい、巫女さんよ。あんたも突っ立ってないんで換気をしろよ」

「任せた」


 舌打ちをする石埼さん。

 さすがに態度が悪いと苛立っているのだろう。

 とはいえ、今の御子内さんにはできない相談だ。

〈護摩台〉も設置していないのに邪神と戦おうというのだ。

 些事に関わっている場合ではない。

 お爺さんの癇癪など気にしていられる余裕はなかった。

 ただ、しばらくすると御子内さんも換気を手伝ってくれるようになった。

 何故かというと、奥から一人の男が現われたからだ。

 そいつは、こういったのだ。


「……ようこそ、〈ロジャーズ博物館〉へ!!」


 頭の禿げあがった浅黒い肌の背の低い中年。

 小さすぎるつぶらな目は可愛いというよりも不気味だった……


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