第564話「異形の島」



 エラブ島は、人口1000人ほど。

 外海からの荒波を天然の防波堤で防ぎつつ、その切れ目から離れた浜辺に船着き場があった。

 船着場からは湿気た木材でできた道が伸びていた。

 反対側に水産物の加工場らしき建物が見えていた。

 人影もちらちらと歩いている。

 200戸ほどの家族が暮らしているらしいけれど、港から傍の町に密集しているので少し離れると民家はどこにもなかった。

 少し気になったのは、例の元ホテル〈冥王の神託館〉に行くために永良部エラブ町の中央通りを抜けたときの島民からの視線だった。

 御子内さんたちの格好からなんともいえない視線を送られることはよくあるが、今回のように姿を見られるたびに隠れられるということは滅多にあることではない。

 まるで霊柩車を見たら親指を隠すというジンクスのように、島民は僕らを見掛けると建物の影に隠れてしまうのだ。

 隠れるだけならまだいい。

 そのあと、彼らはずっと僕らを見張っていた。

 窓の陰やらカーテンの隙間から大勢に見張られているという状況はなかなかにくるものがある。

 モーターボートの運転手さんの話ではそれなりに他島とも繋がりはあるはずだが、そんな様子は微塵も感じない。

 排他的な田舎の村社会、というイメージそのままだ。


「……人見知りが多いねえ」

、ですめばいいがな」


 巫女二人は気配を感じ取れる人たちなので、島民の態度には気が付いているようだが、田口弁護士たちはそうではなく、


「人のいない町のようだね」

「男衆は漁にでてるんじゃないですかね。女たちは別のところで働きに出てるんでしょうや」

「過疎の島らしいし、そんなものか。でも、この様子だと役場の場所もわからないな」

「今回はいらないでしょう。俺の仕事は先生と……を〈冥王の神託館〉に連れていくことですら」

「〈冥王の神託館〉……おどろおどろしい名前だねえ。変な彫刻とかばかりなんだろ? 一泊するのもちょっと怖いぐらいだ。二拍はしたくないねえ。早く東京に戻りたいよ」

「なーに、さっきのモーターボートには金を払ってありますから、明日には迎えにきてくれます。先生には不自由でしょうが多少は我慢してくださいや」

「仕方ないねえ。顧問料分は働かないと」


 どうやら島民の異常な行動に気が付いていないらしい。


「……どうする?」

「とっ捕まえて話を聞きだすわけにもいかんだろう。わしらは正義じゃからな」

「『正義の味方』じゃないの?」

「正義の味方というのは、月光仮面が『正義そのものを名乗るのはおこがましい。あえて言うなら正義の側に立つ味方だ』ということで名乗り始めたフレーズでな。まあ、月光仮面のおじさんは謙虚な人だからわからなくもないな。ただ、わしらは紛うことなく正義であるから、きちんと名乗ってしかるべきなのだ」


 自らを正義と名乗る人は現代では逆に思想が片寄っているという印象がある。

 みんな、様々な正義を抱いていて、それらがぶつかりあって生きているのだ。

 だから単一の大きな文字の正義というものはもう夢の中にしかないものにまでなってしまっていた。


「何を言っている。ボクらの敵にだって正義を語る資格はあるんだぞ」

「そりゃあ語るのは、な。では、おぬしはそれを認めるのか?」

「断固否定するさ。ボクの嗅覚が働く限りそれでいく。過ちを犯したら、一生かけて償うだけだ。ボクたちはまだ責任のないことにまで責任を感じてしまう余裕をもっている暇はない。ボクが自分の正義にいちいち悩んでいたらそこにつけこんで、もっと酷い悪がやってくる。どこまでも沈んでいく沼の底に辿り着くまでボクらは悩んでいちゃいけないんだよ」


 ……君はいつもそうだったね。

 残酷な選択に対しても怯んでばかりじゃいられないことは山のようにある。

 でも、君たちの戦いは考えてばかりじゃ何も救えない。

 だから、あえて考えずに戦う。

 思考停止ではなくて、思考を昇華するのだ。

 いつか懺悔と贖罪の日々が来るまでに。


「ついたぞ」


 ……しばらくして僕らは〈冥王の神託館〉に辿り着いた。

 荒れ地のような丘の上にある建物は、確かにホテルといえばホテルに見えなくもない。

 ただ、率直な感想を言わせてもらえば、


「神殿……みたいだ」


 ややギリシア風といってもいい白い部分がある壁の意匠がそうとしか思わせない。

 大きさも下手な博物館ほどはあるだろう。

 こんなものを建てるなんて、最初の主人はかなりお金持ちで浪費家に違いない。


「石埼さん、鍵は?」

「ありますよ」


 ちらりと鍵を見せられた。

 最近のものとはちがい、かなり大きい金属製だ。

 なんとなく僕が持っている例の不吉な銀の鍵を思わせる。


「いちおう、電気も通ってはいるみたいですが、ブレーカーをあげないとならんでしょうな。水もきているはずなので、トイレの心配はないでしょう」

「食い物は少ないがね」

「町で買う予定でしたが、まさか誰もいないとは……」


 町の小さな商店はやはりもぬけの殻だったのだ。

 もし、田口弁護士がもう少し図々しければお金だけおいて商品を持って行けばいいところなのだけれど、そんなタイプではないらしい。


「パン程度は買ってありますので、それでも差し上げます。まあ、酒はありませんが」

「いや、私は生活習慣病でね。酒は控えているんだ。水だけでいいよ」

「それは残念ですなあ」


 石埼さんが鍵穴に突っ込むと、ガチャリと大きな音がした。

 来る途中で聞いたのだが、この屋敷には今は誰もいないらしい。

 大金持ちの現持ち主が三か月に一度、業者を送り込んで掃除等のメンテナンスをさせているだけなのだそうだ。

 ただ、いつもは石埼さんではない管理会社の担当が立ち合いでつくらしいのだが、その人物が前回の清掃以来会社を辞めているとかで石埼さんが代理でやってきている。

 前回というと五月ぐらいのことだが、その時期には辞めているというのはもうフラグとしかいいようがない。

 石埼さんは昔気質の職業人というタイプだが、自分で進んで魂まで危険に曝すような立場に向かっていることに気が付いていないのだろう。

 いや、わかるはずがないか。

 御子内さんたちともう二年近く一緒にいる僕でようやく達観できたレベルなのだ。

 平々凡々なお爺さんに想像ができるものではない。

 僕の勘は告げていた。

 この中には恐ろしい何かが待っている、と。


「では、わしは周囲を見回っておこう。あれを運び込める場所を確認しておく」

「ボクは館内を探っておくよ。下手したら、即効会敵だけどね」

「夕方までには資材が運搬されるだろうさ。それまではさすがのおぬしも自重しろ。〈護摩台〉なしで神は斃せんぞ」

「まったくさ。眷属でさえギリギリなのに」


 そういうと、鉄心さんは玄関からは入らず西に歩き出した。


「なんだ、勝手なことをして下手な真似はしないでもらうぞ」

「まあ、石埼さん。そんな目くじらを立てないで」

「しかし、先生……」


 田口弁護士はまだ〈社務所〉の事情を理解しているらしいから、石埼さん程杓子定規ではなかった。

 もちろん、御子内さんたちが妖魅退治にきていることは百も承知だろうけど、その相手がどんな化け物―――邪神かということはまったく知らないからまだ呑気なものだ。

 軽く聞いたところ、鉄心さんの祖父である参議院議員の豈馬さんとも昵懇の中らしい。

 そのくせ、自分の利益も優先させるという食えない狸である。


「中に行くよ、二人とも。相手は邪神アレだ。細心の注意を払ってくれよ」

「うん、わかった」



               ◇◆◇



 一方、〈冥王の神託館〉の外壁沿いに歩いていた豈馬鉄心は、しばらくして反対側に出た。

 かなり広い敷地であり、外壁がそのまま庭を囲む塀に変わっていった。


「内部に広い庭があるのか。では、そこに直接運び込めそうだ」


 鉄心の仕事は〈護摩台〉の資材を運び入れることである。

 時間さえあれば、彼女の〈アポーツ〉ですべての資材を呼び込むこともできなくはないが、それよりは別の手段のほうが勘弁だ。

 ただし、重要な任務であることは間違いない。


「いかに或子といえども、〈護摩台〉なしでは勝てぬだろうからな」


 彼女たちはこの屋敷にプロレスリングに模した〈護摩台〉を設置することで、邪神を自分たちの舞台に引き摺りあげて戦おうとしているのであった。

 設置に関しては、高校生でありながら下手な大人顔負けの職人になり、巫女たちの信頼の厚い升麻京一がいるので問題はないとしても、そのための資材の搬入については人手がいるだろうとして、そのために病み上がりの鉄心が選ばれたのである。

〈五娘明王〉でこそないが、膂力に満ち、〈引き寄せアポーツ〉の術も使いこなせる鉄心はうってつけの人選だったという訳であった。

 今年になってから明らかに人手不足が露呈してきた〈社務所〉にしてみても、病み上がりとはいえ戦力を無駄にできないという都合を押し付けられた形ではあったが、鉄心は特に不満はなかった。

 久しぶりに乳兄弟のような或子と旅ができるのも嬉しかったし、升麻京一という噂の主と接する機会も窺っていたからである。

 さらにいうと、彼女が入院中に静岡で世話になっていた霧隠明彦の面倒もみていてくれたという恩もある。

 ゆえにじっくりと京一の人柄を見抜こうという魂胆も秘めていたのであった。


「とはいえ、そう呑気なことばかりもいっておれんか」


 鉄心は丈の短い植物しかないサバンナのような荒れ地を見渡した。

 妖気が漂っている。

 そして、その妖気は彼女目掛けて向けられていた。


「おお、わが国では珍しい連中だのお。―――死人種ゾンビーとはな」


 鉄心の視線の先にいたゆらゆらと動く影―――それは明らかに死体とおぼしき蛆と虫に集られ、眼窩が黒く陥没した存在であった。

 立って歩いてくるというだけで太陽を浴びる世界には似つかわしくない妖異であった。

 動く死体リビングデッドがざっと数えただけで二十体。

 鉄心のもとへと歩み寄ってくる。


「どれ、観光地でリハビリとしゃれこむとするか」


 ただし、それと対峙する十八歳の少女にとっては病院の器具と大して変わらない強意度しか感じられていなかったようではあるが……



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