―第71試合 〈ラーン・テゴス〉殺し 1―

第560話「邪神狩り」



 石畳の坂道を歩いて、岩肌が露出した荒れ地を抜けると、瑞々しい緑の草地に入り込む。

 いたるところに縦長の三角錐の糸杉の巨木がそびえていた。

 目的となる白亜の建築物の正面入り口は一階で、建物の本体部分から張り出した入り口の屋上には平たい箱の様な構造物が見える。

 屋上部分の外縁には、何かの角を模した金色の装飾が隙間なく並んでいた。

 東側の外壁を眺めながら、傾斜路を下りきる。

 突き当りに正面入り口らしい大きな四角い窪みが見えたが、玄関扉らしくはなかった。

 ただの壁かと思ったが、それは間違いで機械仕掛けの左右の壁に吸い込まれるタイプのものだったようだ。

 建物全体と比べてみると、小さく感じられる。

 やはりどこかに搬入用の別口があるのだろう。

 宅配業で色々とバイトをしていた僕はそのあたりは慣れたものである。


「こんなに大きな建物なのに入り口は小さいねえ」


 本質はともかく一般人の感覚を持つ御子内さんがそう評した。

 すると、隣にいたおじさんが応えた。


「もともと外敵から身を護るために先々代の御当主が立て直した部分らしいですからねえ。まんざら間違ってはいないかも」

「この平和な日本で何から身を護るっていうのさ」

「さあ。それは当職の知らぬことで。なお、あなた方をお連れしたのは当職の個人的なコネクションでありますから、決して迷惑をおかけしないでくださいね」

「わかっているけれど、キミだって〈社務所〉とことを構えたくはないからボクらの案内を引き受けたんだろう。何か起きるのは理解しているだろう」


 おじさん―――虎ノ門で弁護士事務所を開いている法曹界の大物らしいのだが、立場が上になればなるほどやはりオカルトに関わることが増えるらしく、かつて何度も〈社務所〉の巫女に世話になっていたそうだ。

 おかげで普段なら「先生」と持ち上げられて鼻持ちならないタイプのはずなのに、自分の娘みたいな年頃の御子内さんのタメ口を我慢して受けている。

 もっとも、誰に対しても彼女はそういう話しかたをするので、別のこのおじさん弁護士が例外という訳ではない。


「田口先生。先生がどうしてもというから、あの〈冥王の神託館〉に案内することになったんですからね。忘れねえでくださいよ」


 弁護士―――田口勉さんに苦言を呈したのは、あの建物を管理する会社の従業員である石埼さんであった。

 白髪混じりの今年で八十歳になる老人だ。

 しかも、ス子は前まで築地の癌センターに入院して手術をしていたというぐらいに健康面に不安があるのに、見た目は元気いっぱいである。

 もともとどこかの都市銀行に勤めていたが、引退してからは宅建免許をとって不動産屋兼管理会社で働いているそうだ。

 この人からすると、今回の僕らの同行はあまり好ましくないことのようだ。


「……いや、あなただってあそこのご主人にはしばらく会っていないのでしょう。後見人としてはそろそろ顔を見に行かないと、契約不履行と訴えられてしまう」

「あっちは先生のことを後見人だと思ってはいないと思いますけど」

「石埼さん。それでもかなりの金額の顧問料が毎年支払われている以上、たまには仕事をしないとならないのです」

「だったら、この子たちは何なのですか。あえて指摘することはしませんでしたが」


 石埼さんが胡乱なものを見る目付きをした。

 こういう視線で気分が良くなることはないが、彼の君持ちはよくわかるのであきらめる。

 僕はいつものツナギと工具の入ったベルト、ついでにロープなどの入ったバイト用の格好をしていて、何かの業者に見えなくもない姿だが、やはりいつも通りの改造巫女装束の御子内さんは異彩を放ちすぎていた。

 百歩譲ってただの巫女さんルックならばいい訳もつくだろうが、黒のキャッチンググローブとリングシューズに、動きやすいように短めの袴というのはとても普通ではない。

 あと、御子内さん自身の泰然自若とした態度。

 田口さんの後ろめたそうな態度と裏腹の、戦国武将然とした落ち着きのある振る舞いはとても十代の少女のまとうものではない。

 石埼さんが不信感を抱くのも当然だ。


「気にしないでくれていい。ボクたちは自分たちのするべきことをしたらさっさと帰るから。でもね、本来ならばボクと京一だけの方がいいんだけど、田口先生がどうしてもというから同行を許可したんだ。でないと、危なすぎて許可できないところだよ」


 ひ孫ぐらいの年齢の女の子にタメ口きかれたらどんなに冷静な人でも頭に血が昇るだろう。

 このへん、御子内さんの悪いところだ。

 例のハーフのタレントなみにタメ口ばかりだからである。

 もっともご本人はあまりマナーがないとは思っていない。

 礼儀知らずというよりも浮世離れしているというべきだろう。

 まあ、十分に人間離れもしているんだけれどね。


「……まあ石埼さん、気にしないでくれ」


 田口先生のとりなしがなければ、〈冥王の神託館〉に辿り着く前にひと悶着があったかもしれない。

 僕らとしてもそれは望むところではないので、助かった感じだ。

 だが……


「御子内さん。今からでも田口先生たちは帰らせた方がいいとは思うよ」

「同感なんだけどね。どうだい、弁護士の先生」

「それはできん。鍵を預かるものとして、あの豪奢な館に関係ないものを立ち入らせるわけにはいかん」

「だってさ。豪奢なのは認めるけど、それ以上に……」


 御子内さんはもうすぐ扉に辿り着く屋敷を見上げた。

 並大抵の収入では買うことはおろか維持さえもできなさそうな巨大な屋敷。

 とても無人島に近い島にあるとは思えない建物であった。

 新橋にあるフェリーターミナルから数時間という場所にある小さな島―――エラブ島。

 その奥にある過去の大富豪が作ったというホテル跡の屋敷に僕たちがやってきたのは八月十五日、終戦の日のことであった。

 そして、これから始まるのは、御子内さんが新宿の地底に潜む神とした契約の履行のための戦いである。


 すなわち、邪神〈ラーン・テゴス〉との死闘の幕開けであった…… 

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