第559話「取り引きをしようか」
一車両を丸々人払いするための呪術をかけると、ミトルは完全に気絶している一匹の懐を漁った。
すると、チケットと財布がでてくる。
ざっと目を通しても免許証などの身分を証明するものはない。
そもそも、日本人どころか人間であるかも疑わしい連中ではあった。
「とりあえず、ここは封鎖して次の駅で降りましょう。私は〈社務所〉に連絡しますが、お爺さ―――神宮女さんはどうします?」
「どのみち八王子までは止まらん。このままで行こう。あんたの人払いだけで誰も近寄らんだろう」
「車掌が通ります」
「今から根回しする」
そういうと、神宮女老人がスマホで何カ所かに連絡する。
どうやらそれで隠蔽工作ができるらしい。
〈社務所〉なのか、それ以外の組織なのか、どちらにしてもこの老人の背負うものは普通の権力ではなさそうだった。
「……どれ、時間まで旅を続けるとしようか。あんたも休むがいい」
「でも、このインスマス面は……」
「あんたにのされたのなら、どのみち一日は目を覚まさんだろう。しかし、いい空手だった。儂の孫はかなりのもんだが、那慈邑の孫にしてもたいしたもんだ」
「ど、どうも」
那慈邑源竜郎の孫だということはもう見抜かれているらしい。
祖父にとっては政敵のようだが、ここは呉越同舟といこうということのようだ。
ミトルは自分の席に着いた。
斃した五匹はもうピクリともしないが、ついでに護符をつけて術で拘束しておいたから当面は安心だろう。
「甲州街道を護る媛巫女というのはあんたのようだな」
「はい」
「確か、東海道には豈馬の孫が配されていたと聞くが、まさか那慈邑の孫が甲州街道の守り人とは思わなかったよ。あいつの孫ならばもっと中央を選ぶかと思っていた」
「私は甲府の出なので」
「そうじゃない。那慈邑源竜郎ならばどんな手を使っても孫娘を政権中枢向けの退魔師にしただろうにという話さ」
……あなたの息子やたゆう様の弟さんのようにですか。
口には出さなかったが、それはミトルにもわかる。
「私が甲州街道を護るのは〈社務所〉の指示です。祖父は関係ないです」
「だろうな。あんたには欲というものが感じられん。若いからという訳でも、〈社務所〉の巫女だからというわけでもないだろう。まあ、うちの孫に比べればまだ考えていることがわかるだけましではあるか」
「おとちゃんは同年代の私たちでもわかりませんから」
「……そうなのだ。外出する時もあの奇妙奇天烈な覆面を被ってでるせいで、儂や嫁たちがどんなに周囲から苦情を言われているかわかるか。そのくせ、不美人であったというのならば儂らも諦めがつくが、我が孫ほどの器量よしはどこにもいない。神宮女の子女としては絶対に許されぬが、あいつだったらハリウッドでも大スターになれるだろうに……」
強面の老政治家がいきなり手のかかる孫娘の教育に苦心する、ただのお爺ちゃんになってしまい、呆然とした。
確かに性格と行動の奇矯さでいったら、仲間内で最も飛びぬけているのは神宮女音子だろう。
なにしろ、普段から
そこだけをとり上げて見ると、人間離れした身体能力とセンスの持ち主である御子内或子や〈神腕〉の明王殿レイ、超スピードで真空を作れる猫耳藍色、殺気を視て掴んで投げる刹彌皐月などが普通にみえるレベルである。
戦後すぐの産まれらしい老人に理解することはなかなかに難しい相手だろう。
「……それで、甲州街道の守りのあんたがわざわざ持ち場を離れるというのはどういうことだ。あんたらは西欧でいう辺境伯なのだろう。常に最前線にいなければ意味があるまい」
ようやく本題に入った。
ただ、関係者とはいえ源竜郎からの依頼を話してしまっていいものか。
〈社務所〉のものとしてみると説明すべきではあるが、那慈邑家のものとしては黙っておくべきかもしれない。
「おとちゃんのお父さんが政府の役職に就いたことの意味を知りたくて―――家を出ました」
「ふん。儂の息子のことか。ちょうどよかったということか」
「まあ、神宮女さんに会わなければおとちゃんかたゆう様に直接尋ねるつもりでしたから」
「那慈邑としては気になって仕方がないということか。……だが、生憎、いかにあんたが必死に口説いてもこの件での皆の口は堅いぞ」
「それは……まあそうでしょうね」
神宮女老人は座席に深くもたれかかり、長く息を吐いた。
「……別に構わんか。どのみちこの件の始末もある。明治神宮にいくまでにあんたを護衛として雇うと賃金と考えれば安い報酬かも知れんな」
「どういうことですか?」
「あんたを孫と同じ媛巫女として依頼しよう。どうも、儂はそこに転がっている魚どもに狙われているようだ。だから、儂が大事なものを本部に運ぶまでの護衛を頼みたい。報酬としてはあんたのジジイが欲しがっている機密を教える。それでどうだ?」
「え、まあ……それなら」
「新宿まで行けば、あんたの知人が迎えに来るだろう。まったく、儂一人で動く分には目立たんと思ったが、さすがはC教徒だ。どこにスパイを潜り込ませているかわからんな」
どうやら、この老人はなにやら大切なものを抱えていて旅行をしている最中で、それ目当てに化け物どもに襲われたらしい。
ただ、提示された取り引きは悪いものではなかった。
本来ならば同期のツテを利用してなんとか探り出そうとしていた情報であるから、護衛と引き換え程度ならば安いものだ。
それにスーパーあずさでの移動中に人数をかけて暗殺を仕掛けてくる狂信者相手だとするとこの老人を一人にするのは危険である。
「わかりました。引き受けましょう」
「そうか。よい返事だ」
老人はここで初めてにこりと笑った。
百戦錬磨の政治家であったらしい人懐っこい笑顔だ。
(まあ人たらしのテクニックの一つなんでしょうけど)
政治家の言動・表情を一々真に受けていてはお話にならない。
ミトルはそういう家庭の出身ではあるのだ。
「……まず、あんたは一つだけ知っておかねばならないことがある。これはあんただけでなく、儂の孫娘にも直接関係するものだ」
「なんでしょうか」
「―――あんたらは秋……正確には冬になる前というべきか。その頃に地獄に戦争をしに行かねばならないということだ」
精一杯感情をこめないように老人は言った。
それが孫と同い年の少女への配慮であることはわかっていた。
ただ、ミトルにはいらない気の遣い方であった。
「あ、わりと早くなりそうなんですね」
あっけらかんとしたものだ。
逆に神宮女老人の方が驚いた。
「怖くないのか」
「全然です。私たち、そのあたりは去勢されているみたいに怖いとかないんです。……おとちゃんもそうですよ。もしかしたら……」
もしかしたら、御子内或子との付き合いが長いものに顕著な傾向なのかも知れないけれど。
戦いというものを怖れず、戦いから逃げたときに起きる災いを怖れる。
民草を護る闘士の心が根付いてしまっているのだ。
「では構わんか。―――星辰が指し示すとき、あんたたちは東京湾にあるとある施設に踏み込むことになろう。そこは海からくる邪悪なものたちが巣食っている魔窟なのだ。あんたら―――いや、儂ら〈社務所〉は総力をあげてそこを攻め落とさねばならんという訳さ」
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