第556話「ミトルの夏休み」



 まだ夏休み中ということもあり、那慈邑ミトルは翌日には東京にでることにした。

 祖父の依頼をこなすためには、やはり〈社務所〉の本拠地のある明治神宮までいく必要があると考えたのだ。

 同期の仲間たちにはLINEなどで連絡をしておいたが、実際のところ、退魔巫女のまとめ役である不知火こぶしに話を聞くのが最も効率的だからだ。

 重鎮である御所守たゆうに直接に面会するのが一番いいとは思っていても、さすがにそこまで勝手はできなかった。

 甲府からの新宿行きとしてスーパーあずさに乗れば一時間程で辿り着く。

 三泊分の着替えを用意してキャリーケースに詰め込むと、帽子と愛用のメガネをかけて精いっぱいのお洒落をした。

 久しぶりの東京ということもあり、気合いがやや入っているのだ。

 普段はコンタクトレンズなのにお洒落をするとなるとメガネっ娘になるのがミトルの特徴である。

 修業時代はそうではなかったのに、巫女として活動を始めた頃に急に眼が悪くなり始めたので、仕方なくつけることにしたのに気に入ってしまったのだ。

 メガネの持つ知的なイメージが嬉しかった、というのもある。

 同期の仲間では神宮女音子がたまにつけるぐらいで、他にメガネをつけるものはいない。

 今どきあまりいないぐらいに野性味に満ちた集団ということもあるだろうが、彼女たちの多くは〈気〉を眼に通すことで強化することもできるので、眼鏡という視覚補正装置が必要ないのだった。

 ミトルからすると、みんなは脳筋なのでいらないんだろうなあ、となるのだが恐ろしいので口にしたりはしない。

 どういう訳か、仲間たちは男らしさに能力値を振りまくりすぎている癖にやたらと女子力にこだわる輩ばかりなので、真実を突き付けることは危険なのだ。

 女子力があるかないかで殴り合いに発展するという頭の悪い連中でもあったのだから。


「……見た目だけはみんなアイドルみたいだったのになあ」


 周囲に反面教師しかいなかったせいで、ミトルは逆に派手すぎないガーリーなファッションを選ぶことでセンスを磨き上げて、十三期の中ではもっともお洒落さんと言われるに至るのである。

 ついでに家事もこなし、いかにも女子らしいタイプに成長するように心がけたのであった。

 そのせいもあり、スーパーあずさの指定席に乗り込んだミトルは、一見地味ではあったが全体的に光るセンスのある女の子であった。

 ミトル本人としてはなかなかファッションリーダーっぽいのではないかと内心自負しているぐらいだ。

 スーパーあずさの二人掛けの指定席にはもう一人の客が席に着いていた。


「……ここ、いいですか」

「指定席だぞ。好きに座れ」

「ええっとすいません」


 中年の胡麻塩頭の老人の男性客であった。

 手にしている文庫本から視線をあげることもせず、読書に集中している。

 ちらりとタイトルを見ると、『日本列島改造論』とあった。

 ミトルの記憶にあるそのタイトルは、かつて悪党とまでいわれた不世出の政治家の著作であった。

 高度経済成長期はすでに遥か昔のことであり、その時代を代表する政治的著作としては最たるものであろう。

 祖父の源竜郎は若いころにこの大政治家の派閥に属していたこともあり、書斎のみならず広間にまで同じ本が置いてあったぐらいだ。

 晩年には悪徳政治家そのものとまで評されたせいか現在でも悪評そのものは変わらないが、彼の活動が日本にとって良薬であり劇薬であったことは確かなのである。

 縁を見ると手垢でかなり汚れている。

 古本というよりも、長い間の愛読書という塩梅であった。

 四十年前に発売された本であるから、この男性客が二十歳前後の頃からずっと愛読していたようである。


「……お爺さんは、政治に携わっている人ですか?」


 思わず問いかけてしまった。

 普段ならばどんな場合であっても不躾に問いかけたりするタイプではない。

 さらに言えば、この老人は明らかに偏屈そうだ。

 触らぬ神に祟りなしである。

 なのに、どうしてであろうか。


「―――なぜ、そう思う?」

「私の祖父が同じものを読み込んでいますから。お爺さんも似た職業なのかなと思いまして」

「祖父? 君はこのあたりの出か?」

「はい、まあ」


 すると、老人は見る間に不機嫌になった。

 それだけでなくミトルの方を一切見なくなったのである。


「どうしたんですか?」


 さすがに露骨に無視されると、気分が悪くなる。

 偏屈なのだろうとは承知していたとしてもだ。

 何事にも礼儀正しくおっとりとしたミトルには珍しく、老人からの拒絶が気になった。

 ただ、これ以上話しかけても無駄だ、という直観はあった。

 この老人はもう二度とミトルの相手をする気はないだろうとわかっていた。

 仕方ない、と諦める。

 世の中はすべてにきちんと答えが返ってくるほどきっちりとはできていない。

 この老人との縁はそれほど強くはないのだ。

 そう割り切ることにした。

 スマホを起動させてTwitterのアプリを開くと、フォローしている神宮女音子のツイートが出た。

 相変わらず、自撮りやら詩やらが満載で飽きさせない作りだ。

 しかも、今年になってからフォロワーが爆発的に増え、芸能人でもないのに80万人近くになっている。

 個人的にフォローしている人数は少なくたった十人しかいない。

 鍵垢が三つあって、それは同期ならばわかる豈馬鉄心と猫耳藍色と刹彌皐月のものだった。

 リツィートは少なめで写真が多い。

 並行してやっているインスタよりはこちらの方が居心地がよいともいっていた。

 TwitterのTLを見ながら同時にLINEで仲間たちとも連絡を取り合う。

 つい先日の都知事選で大きな事件があったらしいことは聞いている。

 すべての事件が終わった後に、関わった仲間全員で撮った記念写真が送られてきて少しだけ寂しい気持ちになったのは内緒だ。

 そこには、かつて共に過ごした仲間たちが五人も揃っていたのだから。

 さらに言えば、翌日には大怪我による長期入院を余儀なくされていた豈馬鉄心のお見舞いに全員で行ったらしく、その写真も送られてきていた。

 病室でVサインをする懐かしい友たちの姿に眼がしらが熱くなった。


(みんなはいいですよね。近くに仲間がいるから。私んとこなんて誰もいないんですよ、誰も)


 などと、わが身の不幸を嘆いているとスーパーあずさが走り出した。

 相変わらず隣の老人は完全にミトルを無視している。

 たかだか一時間とはいえ苦痛の旅行になりそうだと、彼女は心の中で嘆息した。


 ……彼女はやや油断をし過ぎていた。

 いや、〈社務所〉の退魔巫女として完成系に近づいていたゆえか、疎かにしてしまっていた部分があったのである。

 それは彼女たちが妖魅を相手に戦う専門家であるということからくる、一種の驕りであったともいえる。

 ミトルは妖気・鬼気といった魑魅魍魎の放つ気配にばかり敏感になりすぎていたため、人の持つ悪意というものに対して鈍感になっていたのである……

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