第555話「内閣改造」



「……ミトルです。入ります」


 那慈邑家の本家の奥の書斎。

 そこが昭和の成り上がりもの、那慈邑家の家長・源竜郎の詰める場所であった。

 家にいるときはほとんどすべてこの室内で過ごす。

 彼にとっての、真の選挙事務所といってもいい部屋であった。

 そのためか、公設秘書などは玄関からは入ってこず、途中にある裏口から訪れるのが常である。

 家に戻って私服に着替えたミトルは、そのまま祖父のもとへと出向いた。

 気が滅入るが、わざわざショートメールなどという珍しいものを使ってまで孫娘をよびだそうとするのだから、それなりの理由があるのだろう。

 内容はともかくさっさと済ませておくに越したことはない。


「来たか」


 室内のソファに座って分厚い書類の束に目を通していた源竜郎が顔を上げた。

 碁盤の様な四角い顔の老人だった。

 ミトルが子供の頃から変わっていないようにみえる。

 夏だというのに生地の厚い和服を着ているのせいで圧が強い。

 昔だったら何も言えなくなっていたところだ。

 十八歳になったミトルにとってはそれほどでもなくなってはいたのだが、苦手意識というのは三つ子の魂という訳である。


「おまえは神宮女震也を知っているか」

「……はい。会ったことはありませんが、友達のお父さんです」

「そう、友達か。―――神宮女のことは儂も良く知っている。あいつの祖父を知らなければ、今の儂はないといってもいいぐらいにな」

「そうですか」


 祖父が何を言いたいのかわからないので適当に流すしかない。


「そこに座れ」

「はい」


 珍しいことがあるものだ、とミトルは思った。

 家人を呼びつけて一方的に命令を下すのが、この老人のスタイルだからだ。

 自分と同じソファーに座らせて話をしようなどということはあまりあることではない。


「神宮女が外務省の副大臣補佐に任命された」


 この間、行われた内閣改造でのことだろう。

 友達の父親のことであってもそこまで詳しい訳ではないのだから初耳だ。


「なぜ、あの男が外務省にいくのだ。理由を知っているな」

「質問に質問を返すことはしたくありませんけど、なぜ私が知っていると思われるのですか、お祖父さま」

神宮女あのおとこはこれまで一度も政府の役職についたことはない。奴も希望しないし、首相になる程度の者ならば誰でもそのことをわかっているから打診さえもしない。それが今回に限って、しかも外務省だ。頭のある奴ならば誰でも疑問をもつはずだ。野党のバカどもなら気がつかんだろうがな」


 どんなに実力があっても時の政権には加わらない政治家。

 ―――無冠の王とはよくいったものだ。


「同じように豈馬が、与党の最大派閥の蟹村派に形だけだろうが加わった。これもおかしい。あいつは基本的に派閥に属さない男だ。おまえと同じように〈社務所〉の後ろ盾があるからだな。それで十分にやっていけたはずなのに、だ」

「豈馬―――鉄心さんのお祖父さんですね」


 そして、〈社務所〉の重鎮御所守たゆうの弟でもある。

 こちらも直接の面識はないが、知らない名前でもなかった。


「儂が知りたいのは、そういうことだ。今まで影に隠れていたものたちが動き出した。おそらく、個人の野望のためではあるまい。あやつらにそんな俗な心があるとは到底思えん。だだからこそ、だ。……おまえも〈社務所〉の関係者だろう。知っていることを吐け」


 ミトルは口を閉じた。

 安易に喋っていいことではないと感じたのだ。

 勿論、思い当たる節はある。

 間違いなくそれだろう。

 それ。

 ―――すなわち、である。

 この日本という国に夥しい邪悪な神々が帰還するという末法の時代のことである。

 政府の上層部はそのことを知っているはずであるから、あえて〈社務所〉の関係者である神宮女を外務省の副大臣補佐にしたのであろう。

 つまり、外交の場において備えるために。


(ただの外交交渉だけじゃない、色々な何かがあると現在の総理大臣たちは考えている訳だわね。というと、以前、皐月さんがFBIへと派遣されたのも何かの布石かしら)


 同時に思い当たったのは、〈社務所・外宮〉の存在だ。

 日本固有の妖魅ではない外来種を主に退治する部署のはずだが、仲間たちから聞いた話では独自に相当おかしな動きをしているらしい。

〈社務所〉も一枚岩ではないとしても、主事である神撫音ララの動きは警戒が必要であるとのことであった。

 なんでもわざと仲間たちの知り合いを攫ってをしたりしたとの話だ。


(神撫音ララ先輩か。……いい思い出ないんだよね、あの人)


 褐色の肌の沖縄出身、二つ年上の先輩巫女が、ミトルたちが新入りだった頃に度を越したしごきを同期にしたおかげで、彼女たちの鬱憤のはけ口にされた記憶があるからだ。

 しかも、先輩達でまともに媛巫女になったものは、ララを含めてたった二人。

 十一人残った十三期とは比べ物にならない割合だ。

 それもこれも神撫音ララの完璧主義のせいだろう。

 ただ、〈社務所・外宮〉は外務省との深いつながりがあったはず。

 その神宮女の人事にララが関わっていない可能性は低い。


「……お祖父さまは神撫音という人物のことはご存知ですか?」

「神撫音? いや、知らん」

「外務省について詳しい方がおられたら聞いてみてください。神撫音という人物がおそらく次官クラスに接触しているはずです」

「そうか。他には? はっきりといえんことでもいい。儂に情報を与えろ」


 だが、それ以上は難しかった。

 政界のフィクサーである源竜郎でも知らない国家機密なのだろうから。

 政府でもどのレベルまで伝えられているかわからない内容なのだから、あえて知らなくてもいいことの様な気がする。

 ただし、源竜郎は神宮女・豈馬という二つの家系をみて、それに対抗してか自分の孫娘を〈社務所〉に入れたがるような権勢欲の強い男である。

 神物帰遷について深入りして藪蛇になるおそれもあった。

 いや、間違いなく藪を突きだすだろう。

 そのとき、この野望に燃えた老人は悲惨な末路を迎えるであろう。

 孫としてそれは避けたかった。

 例え、折り合いの悪い祖父と孫であったとしても。


「……私が少し動いてみますよ。情報がもらえたらお祖父さまにも流します。それでよろしいですか」

「うむ、やれ」

「はいはい」


〈黒狒々〉と戦った疲労もあったが、これからのことを考えて気が滅入るせいでさらに疲れが増していた。

 だが、立ち去ろうとしたとき、


「―――ミトル。おまえのおかげで山梨は平和らしいぞ」


 そう声を掛けられたのが、実のところ、精神的には一番堪えたのであった。




 

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