第553話「那慈邑ミトルの憂鬱」
他の巫女と比べるとそれほど古い社の血筋でもなく、華々しい戦歴を誇る先祖のいる家系でもない。
それどころか、本来なら〈社務所〉の媛巫女にはなれないような成り上がりの政治家の孫娘でしかなったのだ。
確かに母親の家系はそれなりの神主のものであったが、父の家は昭和初期に投機で金稼ぎをした成金の出身だった。
それが、現世的利益だけでなく、裏の世界まで影響力を伸ばそうと画策した結果、ミトルがこの修行場に送られたのである。
政界に長く在籍している祖父は、華々しい政の世界の裏を影から支える神宮女や豈馬という家系のことを熟知しており、かの家系のように後ろ盾を欲しいという野望を持っていたのだ。
故に神主の血を引く嫁を息子に宛てがい、産まれた孫娘を〈社務所〉の一員にしようとしたであった。
そこにミトルの意思は一つも介在しなかった。
金で雇った素性のしれない霊媒師や退魔師に習った雑な術やアマチュアレベルの護身術がなんの役に立つのかもわからず、諾々と祖父の意見に従うだけの彼女には必要がなかったのかもしれなかったが。
流されるままに〈社務所〉の道場にきて、辛いだけの修行にも祖父の止めろという命令がないから逃げ出さず、かといって他の巫女候補たちのように強くなることもなく、ミトルは日々を送っていた。
だが、その日常も少し前から劇的に変わってしまっていた。
元凶とも言える少女がルームメイトになってしまったからである。
「
「あーちゃん、忠告しておくけど、レーちゃんは本当に強いんだからね。レーちゃんの〈神腕〉がどのぐらいの威力か知ってる? あのてっちゃんが2メートルも飛んで行っちゃうんだよ」
「戦いは火力ではない、
防御は考えないのか、とツッコミを入れたくなったが賢明にも黙ることにした。
彼女の知る御子内或子という女の子に変な忠告は効果がない。
それどころか、逆に意固地になりかねない。
一切の防御活動なしで勝つよ!とか言い出しかねないからだ。
だからミトルが選んだのは、
「レーちゃんがスパーリングをするなんて、5ヶ月振りくらいなんだよ。あーちゃんがくるちょっと前から誰とも試合もしなくなったから」
「なんでだい? 前から思っていたけれど、人との対戦経験がなければいざというときに咄嗟の対応ができなくなるおそれがあるじゃないか。まったく、レイは馬鹿なことするやつだ」
或子はともかくミトルにはレーちゃんの気持ちがよくわかっていた。
彼女とは別の意味で孤独を感じすぎてしまって、周囲に壁を作らざるを得なかったのだろう。
それほどまでに明王殿の家の〈神腕〉は剛力強力なのだ。
恵まれた身体をもつ豈馬ですら相手にならないほどの。
そして、同期の誰も彼女に抗しえなかった。
当時まだ刹彌皐月は完全に殺気を視ることができなかったし、神宮女音子は家伝を継ぐ迷いから抜け切れいてなかった。
猫耳藍色と他の面子は言わずもがな。
御子内或子がやってきて、ようやく闘志というものの胎動をおぼろげに理解したのだから、レーちゃんがこれまでの間どれほど孤独だったのかは誰も思い至らなかったのだろう。
だから、ミトルとしてはそれはそれで良しといえる変化だったといえる。
実際、ルームメイトの影響を受けて、ミトル自身がこれまでとは違う進化を遂げているのを感じていたのだから。
「でも、レーちゃんもあーちゃんとスパーすれば変わるんじゃないかな」
「人間というものはその程度では変わりはしないぞ」
「世の中、自分の把握できる範疇のことばかりじゃないということだろうね」
御子内或子がやってきたからというもの、十三期は明らかに質が変わってきていた。
これまで受け身な立場であったものが率先して訓練に向かい始め、ちんたらと練習していたものも人が変わったように努力をして、冷めきった態度だけで日々を送っていた者が常に他者に挑むようになっていった。
それもこれもすべて、ただ一人の少女の放つ、熱気というものに感染してしまっていたからに違いない。
普通、一人だけで物事に熱心に取り組むものは阻害される原因になりかねない。
ただ、御子内或子の場合は、彼女の練習にこれまではやや引いた立場で取り組んでいた神宮女音子が一緒になることでありえない化学反応が起きてしまったのだ。
或子の幼馴染の豈馬鉄心と生真面目な猫耳藍色が同調し、色香につられて刹彌皐月が引き寄せられ、その他の仲間たちが我先にと合流していくことでムーブメントが形成されていった。
そして、何よりも御子内或子のカリスマがあった。
すぐ脱落するチビスケと誰もが初対面の時の抱いたちっぽけな新入りが放つ、熱い闘魂と
那慈邑ミトルも同様であった。
自治体を食い物にする政治屋といってもいい祖父の肝入りで入った〈社務所〉の修行場であったはずなのに、気が付いたときにはいつもどうやったら強くなるかだけを考える闘士へと変貌していたのだ。
気が付いた時には個性がなかったはずの平凡な少女は生まれ変わっていた。
例えるならば、蛹が蝶になるようになどという美しいものではなく、アリジゴクがミヤマクワガタになるように。
もっとも感染源であるルームメイトはそんなことなどまったく気にしていなかったのであるが。
「那慈邑は変ことばかり言う。ボクは小さいころは海外で暮らしていたから日本の風習というものには疎いのかもしれないけれど、日本人というのは結構面倒なものなんだね」
「……まあ、そういう考え方もあるね。ほら、自覚って言葉は他人に使うものらしいから」
「どういう意味だい?」
「人間は自分のことはよくわからないってことじゃないかな」
「ああ、鏡を見たら誰だって美人ということか。なるほどね」
ルームメイトはとてつもなく前向きだ。
ミトルが二の句が継げないくらいに。
或子がとんでもない変人なのは同期皆が保証しているぐらいなのだ。
「……じゃあ、明日、必ずレーちゃんを倒してみてよ。きっと凄いことが起きるから」
「ふーん。那慈邑がそんなことを言うなんて珍しい。でも、ボクだって誰にも負けたくないからね。例え、相手がレイであっても。まあ、ドキドキハラハラするだろうけど見守っていなよ」
「うん、私はあーちゃんが勝つと思うよ」
……修行場の数年間の内で、彼女たちが決して忘れないベストバウトの一つに選ばれる、御子内或子VS明王殿レイの頂上決戦はそれから半日後に行われ、一時間の死闘の後、爆弾小僧の勝利と終わったのである。
那慈邑ミトルはこのときの戦いの興奮を忘れず、のちに彼女が祖父とも父とも決別した一人の退魔巫女となった原因の一つとなるのであった……
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