―第70試合 神殺しetc……―

第552話「入浴合戦―――お風呂に入ろう」



 延髄にいい蹴りを喰らって数秒間とはいえ完全に意識を失っていた音子が目を覚ますと、知らない天井どころかKOされた相手にがっつりと覗きこまれていた。

 肌が黒く汚れていた上、髪の毛の手入れがまったくされていないせいで気づきにくいが、かなりの美少女であった。

 やりすぎたと思って心配そうにしているのかと思いきや、なんだかとてつもなく楽しそうに微笑んでいた。

 さっぱりとした笑顔といえばいいのだろうか。

 音子が思わずつられてニヤけてしまいそうな顔であった。


「―――見下ろされるのイヤ」


 とりあえず苦情を言い立ててみた。

 誤解されるなんて願い下げだ。

 だが、相手はそうではなかったらしい。

 つくづく思い通りにはなってくれない相手だ。


「なんだ、減らず口が叩けるぐらいには平気なのか。だったら、さっさと起きるんだね。ボクとしてはもう一回戦ぐらいやりあってもいい気分なのに。歌を唄いながら闘いたいぐらいにハイな気分さ」

「……あたしはパス。お風呂に入りたい。あんたも入りなさいよ。―――臭いから」

「え、本当かい?」


 思わず自分の着ている巫女装束の襟などをくんくんと嗅ぎ始める。

 顔がしかめられた。

 衣装そのものは臭くなかった。

 だが、よくよく自分の体臭を嗅いでみると汗と垢のせいで酷いことになっていた。


「うへえ」

「あたしが負けたのはその臭いのせい。だから、ノーカン」

「ちょっと待ってくれないか! ボクがまるでスカンクのように臭いかのような言われ方は心外だ! ボクはねえ、一目瞭然だと思うけれど可愛い純真無垢な乙女なんだよ!! 傷つくじゃないか!!」

「……どの口でいうか、この爆弾小僧」


 御子内或子の綽名の一つである爆弾小僧というのは、このとき音子が命名したのであるが、いつまでもしつこく使い続けていたのは明王殿レイだけとなるのであった。


「いや、もう一度やろう。ボクとしてもラッキーで決まったような延髄切りだけで勝ちを拾うのはちょっと嫌だ。もう一回、正面からキミを倒す。それでいこう」


 勝者の癖に完全無欠な勝ちでないと嫌だというわがままを、音子は呆れた顔で見つめた。

 戦っていたときから感じていたが、この新入りはどうもバトル・ジャンキーのきらいがある。

 拳を交わせば交わすほど楽しくなっていくようなのだ。

 

(こんなのと真剣勝負セメントなんかしたくない)


 その時の音子はまだ自身の中に潜んでいる猛禽の存在に気が付いていなかった。

 彼女に限らず、その場にいたすべての媛巫女候補たちが、ではあったのだが。


「どーれ、いつまでも寝転がっておる訳にもいくまい。よいしょっと」


 倒れたままの音子を抱え上げ、しゃがみこんでいた或子の首根っこをつまみあげられた。

 まだ小さいとはいえ二人の少女相手に軽々とそんなことができるのは、180センチを越える身長とマッチョといっていいガタイを持つ巫女候補であった。


「何をするんだ、アニマ!!」

「神宮女の言う通りにおまえはちぃと臭すぎるぞ或子。だから、指でつまみあげるんだ」

「猫みたいな扱いは止めてくれ」

「臭気的にはゴミみたいなものだがな」

「キミは幼馴染をゴミと同じにするのかい!? 絶交するぞ!!」

「はっはっは、最初見た時はどうなることかと思ったが、なんだかんだいって昔のおまえのままみたいじゃないか。よし、風呂場まで摘まんでいってやろう」

「だから放せって!!」

「よいではないか、よいではないか」


 音子を肩にかついで、文字通りに或子を摘まみ上げて豈馬鉄心あにまてつこはリングから降りた。

 向かうのは大浴場である。

 すでに練習後に汗を流すためのお湯が張られているはずであった。

 さっきのやりとりに毒気を抜かれたのか、全員がぞろぞろとついてくる。

 審判役をやっていた先輩の巫女と見学をしていた先輩の神撫音ララだけがぽつんと取り残されることになった。

 そして、二人の内心はよく似通った感想を抱いていた。


(……あの十三期が仲良く揃って移動している)


 この日まで、彼女たちがそういう行動をとることはなく、これから先は特段珍しくなくなっていくということを彼女たちは漠然と予感していた。



          ◇◆◇



 修行場の大浴場は十人以上がゆったりと湯に浸かれるほどに広い。

 これは巫女たちの湯浴みがただの身体の洗浄ではなく一種の神事に通じるからということで、ここだけは贅沢に設えられていたからである。

 おかげで十三期の巫女見習いたちは全員が入浴することができた。

 鉄心以外の誰もが、どうして自分までついてきてしまったのだろうかと首をひねりながら。

 半減したとはいえ、これまで全員でお風呂などということはなかった事態でもあるのだから。


「うーむ、或子。とりあえず、湯に浸かれ。多少、湯船が汚れるがどうということもないだろう」

「うわ、やめろ!!」


 或子は帯を奪われ、白衣と袴をはぎ取られるとそのまま五メートル近い距離を放り捨てられ、湯船にぶちこまれた。

 

「酷えな」


 鉄心の隣で服を脱いでいたレイが呟く。

 これまでもずっと我関せずだった孤高の〈神腕〉がいるとしって、鉄心は不思議なものを見る目付きをした。


「なんだよ、その目は」

「自分でも不思議ではないのか、明王殿。おまえまでがここにいることについて」

「知らねえ。訓練のあとだからひとっ風呂浴びたくなっただけだ」

「何を言っている。さっきまでは或子と神宮女のスパーリングがあっただけで我らは準備運動ぐらいしかしておらんぞ。そこまでの汗はかいていないだろう」

「そうでもねえ」


 レイは手のひらを見せた。

 

「ほお。

「まあな。あんなのは初めてだ。てめえのダチらしい或子って新入りもそうだが、音子がキレるまでやるなんて見たこともねえ。―――あいつ、何者だよ。どうして、音子があそこまでムキになったんだ?」

「実際のところ、わしも良くは知らん。わしが小学生になったころに、大伯母がどこからか連れてきて、わしに遊び相手になれというのだ。ゆえに、心根と性格は知っておるが、素性もなにも聞かされておらん」

「―――たゆう様がかよ。どんな化け物なんだ。見たところ、ただのなりの汚ねえチビスケなんだが」


 すると、全裸で風呂に沈んでいた或子が勢いよくやってきて、鉄心に向かって抗議をした。


「やい、アニマ!! ボクをものみたいに扱うな!! ボクはそのあたりに転がっている石や岩じゃないぞ!!」

「……まだ汚れが落ちておらんじゃないか。やり直しだ」

「だーかーらー」

「誰か或子の体を洗うのを手伝ってやってくれんか」


 周囲を見渡すと、


「はーいはいはい、うちがやりまーす。巨乳じゃないのもたまにはいいよねー。まないたサイコー!! ……うご、ううううううう」

「皐月さん、こっちへ来にゃさい」


 この当時はまだ髪を染めていないが言動は大して変わらなかった刹彌皐月が口を押えられて奥へと連れていかれた。

 空気を呼んでお邪魔虫を排除しようとしたのは生真面目な委員長気質の猫耳藍色であった。

 レイの次に抵抗するならば鉄拳制裁も辞さない藍色が相手なのですぐに大人しくなった。

 セクハラをするのに命まで賭ける気はないのである。

 とはいえ、同じく裸の藍色をマジマジと観察して変態臭を撒き散らすことには余念がなかったのではあるが。


「……あたしがする」


 或子の手を引っ張って洗い場まで連れて行ったのは、意外なことにさっきまで戦っていた音子であった。

 初対面の時の暴言と死闘を鑑みると、遺恨が残っていそうな関係なので、鉄心までが意外そうな顔をしたが、特に何も口を挟まなかった。

 或子も手を取られるままついていき、イスに座ると音子の指示通りになすがままになる。


「あたしが背中、洗う。あんたは腕とか脚とかこすって。汚いから」

「ほっとけ。でも、まあ頼んだ」

「髪はしばらくこれでふやかしてから」


 お湯で湿らせたタオルで髪を包み込み、そのまましばらく放っておく。

 色々とこびりついているようなのでそれを落とすためだ。

 しばらく、二人は無言でゴシゴシと或子の肌を洗っていた。


「……音子さんがあんにゃに他人に関心をもつにゃんて初めて見ます」

「あの子はコミュニケーション障害だと思っていたよねえ。レイちゃんもそうだけど」

「オレは慣れあうのが嫌なだけだ。……おい、皐月、人の胸をじろじろ見るな」

「でっかいのに……」

「でかいのからって凝視してもいいわけじゃねえぞ。次、そんな視線を向けたら

「ひいぃぃぃぃぃ」

「まあまあ、明王殿。刹彌は箍が緩んで人並み外れて異常にスケベなだけだ。許してやれ」

「……それは救いようがねえってことだろうが」

 

 湯船につかりながら、同期の巫女候補たちは無言で体を洗う二人を眺めていた。

 そのうちに或子のボサボサの髪を大量のシャンプーとリンスで仕上げると、ようやく二人が湯にまでやってきた。

 

「あっ」


 誰もが驚いた。

 完全に磨かれた或子はとても可愛い女の子だったからだ。

 さっきまでの野生動物の様な黒く汚れたチビスケはどこにもいなかった。

 栄養が行き届いていないせいで痩せっぽちではあったが、隣にいる音子とは違い可愛らしいという印象であった。

 ひゅーと下品に皐月が口を鳴らすのもむべなるかな。

 初対面の時の印象を完全に覆すほど、御子内或子は端正な美貌の持ち主であったのだ。


「キミら、いつか見ていろよ」


 突然、敵愾心を剥き出しにした或子に全員が戸惑う。


「ボクだって、あと数年したら、でるところのでた女らしい身体になるんだからな!!」


 その目は中学一年生としたら大きすぎる胸の持ち主であるレイや藍色、その他に向けられていた。

 或子は自分にみんなが注目しているのは、ぺったんこだからに違いないと誤解していたのである。

 隣を見ると、スレンダーなモデル体型の音子でさえ、それなりにおっぱいはあるというのに自分にはないので、被害妄想に陥っていただけなのではあるが。

 とにかくこの時の或子は同年代の女性になれていなためか、妙なことをよく考えることが多かったのであった。

 

「とにかく、あと三年だね! 見ているがいいさ!!」



 ―――実際に御子内或子の胸が三年でどれほど大きくなったかは神のみぞ知るところであるが、2016年現在においては十三期の仲間内の中でもっとも貧乳なのは刹彌皐月ということで全員の見解が一致している。

 




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