第551話「うちらの存在理由」
アストラル体というこの世の物理法則とは本来入り混じることのない霊的物質で構成されている〈ミ=ゴ〉の死体はモザイクがかかるかのようにチカチカと光って消えていった。
ヴァネッサ・レベッカの言う通りに、怪物の手にしていた武器だけが床に落ちて異彩を放っている。
久遠が手を伸ばそうとしたら、皐月に止められた。
「あとで回収役を頼むから不用意に触れないほうがいいよ。放射能がこびりついている可能性もあるからさ」
「……放射能?」
「うん、まあ、仮の用心だよ。なんといっても、こいつらは自力で大気圏を脱出できるって怪物らしいからねー」
「サツキ。調べなくていいの?」
「とりあえず、ここにはないよ。邪神の妖気ならさすがのうちでもわかんかんね。少なくとも、今はここにはいないかな。さ、さ」
後ろ手に扉を閉める。
皐月と〈ミ=ゴ〉の凄絶なる戦いの余波で、倉庫内を埋め尽くしていた蝋人形のほとんどは破壊されつくされ、さすがにバツが悪いのだろう。
中には相当に高価なものもあったかもしれないというのに無頓着に暴れまわった結果であるから仕方のないところだ。
ただ、久遠もヴァネッサ・レベッカも、それがどれほど命がけのギャンブルにも等しい戦いであったかわかっているので責めるような真似はしなかった。
廊下を下りると、ごく普通の背広を着た男たちが待っていた。
久遠が緊張した目を向けると、
「ああ、大丈夫っすよ。うちらの仲間っす。ここの探索と調査、後始末をしてくれることになってるんだ」
「……あんたらの組織ってさ」
「警察と親戚みたいなもんだね。仲は遠い親戚みたいなもので、良くもなく悪くもないかなー。うちとネシーのラブずっきゅんとは熱さがが違うね」
基本的に退魔巫女の補佐に回る禰宜たちですら、皐月のたわごとは無視して仕事に取り掛かることが彼女の微妙な立場を表している。
とはいえ、他の巫女同様に畏怖されていることも嘘ではない。
殺気を視て、殺意を掴んで投げる古武術の達人がどれほど恐ろしいか、彼らもまたよく知っているからだ。
黙って上にあがっていく禰宜たちを見送ると、ヴァネッサ・レベッカが言った。
「お目当ての〈ラーン・テゴス〉はいなかったの?」
「いーや。いたのは確かみたい。だから、〈ミ=ゴ〉がここにやってきて館長の間宮原っておっちゃんの口を割らそうとしたんだろうさ。でも、処女みたいに口も股も開かないから、ガラさらって空の彼方まで連れてこうとしたんだよ」
「それで大気圏まで……」
「正確には中間圏じゃないかなー。急激に冷気が溜まっている層だから。国際便何かでもあのあたりを通る時は大気の温度変化に気をつけないいけないとはきいたことあるし。それでいきなり普段着のまま拉致られたおっちゃんは急速冷凍されて死んじゃった、と。いや、逆かな。勝手にしがみついてついていこうとしたのかもしれない。そうだとすると、空の上で振り落とされて落下した揚句すっぽりと煙突に刺さっちゃった理由もわかるってなもんだね」
「おい、まさか、おばけ煙突に突っ込まれていたのは……」
「偶然じゃないかな。まるでディズニーのアニメみたいだよねー」
我関せずという風に皐月は笑うが、久遠としては信じられるものではない。
(実際に、そんな奇跡みたいな偶然が起こり得るのか?)
そんな疑問も渦巻いたが、ありうるの一言の前には沈黙する。
「……人の世界の理を凌駕する
「そうだねー。力も知恵もない人間は自分の部屋でオナってた方がまだ幸せってことなんじゃないかな」
「身も蓋もないな」
「でもね。そんなのはまっぴらごめんと抗えない嵐に立ち向かうものもいない訳じゃないんだよ。だって、何もしないで気が付いたら詰んでいるなんて、誰だってゴメンでしょ? で、うちらはその代表みたいなもん」
久遠はじっと皐月を見た。
「犬死はいやってことか?」
「その犬死かどうかってのは価値観が込められている訳でしょ。絶対必要な死を選んでも人によっては無駄だとばっさりと切られる訳さ。でも、SMプレイの果てで死んだとしてもその人は本望な訳だよ!! んとうをとったら、ホモだよ!!」
刑事は金髪のFBI捜査官を見て、
「お互い、相棒に苦労しているな」
としみじみと言った。
ヴァネッサ・レベッカも感慨深そうにうなずく。
刹彌皐月はいいやつではあるが、普段から一緒にいるとなるとめんどくさすぎる相手であった。
照れ隠しで悪ぶっているというのならば可愛げもあるが、彼女の場合、ほぼ素であれだからだ。
むしろ、長年友達をやっている同期の連中の人格が聖人君子なのではないかと思わずにはいられないところである。
「だが、あんたらは確かに〈ミ=ゴ〉みたいに化け物に立ち向かった。それだけで価値はあると思うよ」
「別にたいしたことはないよー。だって、お巡りさんだってそうでしょ? 特別な力がなくったって、勇気がなくったって、しなきゃならなことがあったら普通に身体は動くってもんだしさ」
それはあんたらみたいな特別な奴だけだよ、と久遠は達観した。
だが、皐月は諦観とも達観とも無縁の生き物だった。
「為すすべもなく死ぬのは誰だってごめんだよねー。だから、うちもやりたくないけど真面目に仕事してんだ。気が付いたら手遅れなんて、それこそ死んでも死にきれない」
そして、一言。
「殺し殺されるのは生きている証し。でも、世の中にはそれすらも許さない奴らがいるからさ……」
皐月はにっこりと微笑んだ。
下ネタをばら撒いているときとはまったく違う澄んだ顔で、
「お巡りさんとうちらみたいなのがいるんじゃね?」
と、陽気に笑うのであった。
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