第547話「妖魅〈ミ=ゴ〉」
「この事件の犯人は〈ミ=ゴ〉という種族です」
ハンドルを握る久遠は思わずつんのめりそうになった。
以前、聞いたことのある名前だったからだ。
怖気もよだつ体験と共に。
その名前をまさかこの少女たちの口から聞くことになるとは……
「もともとは
「え、あ、イスラム過激派?」
「ええ。それだけでなく、まったく逆方向の勢力としてアメリカ民主党に対しても協力しているという噂もあります。つい先日、共和党の全国大会で公認大統領候補に選出されたドナルド・トランプは政策や能力面での数々の問題点が指摘されていますが、この〈ミ=ゴ〉からは目の敵にされていることもあってある意味では人間側であると目されていますね」
「ちょ、ちょっと待て。トランプってあれだろ? 極右な考え方の持ち主で絶対に大統領にはなれはしないって言われている奴じゃないのか」
「彼の評価のいくつかは〈ミ=ゴ〉ないし、この種族と癒着しているメディアからのものが多いというのが、FBIの分析ですね。ゆえに私たちは率先して対抗馬のヒラリーの味方はしないようにと釘を刺されています。もっとも、上層部はだいぶ民主党寄りのようなので、完全中立とはいかないようです」
久遠はハンドルに顔をうずめたくなった。
内容はわかる。
わかるが、意味が分からない。
いったいこのFBIの金髪少女は小機かどうかなのかも判断できない。
〈ミ=ゴ〉という種族がアメリカの大統領選挙に絡んでいて、それが帰趨を決めるかもしれないとでもいうのだろうか。
「〈ミ=ゴ〉って……何なんだよ」
確か、冥王星から来たカニみたいな甲殻類だったっけ。
久遠はあまり思い出したくもない記憶を脳裏に浮かべた。
あの時は見た目に相応しい猥雑な部屋での邂逅であったが、もしかしたらあれ以上に相応しい場所で再び見つけることになるのかもしれない。
空を飛ぶミツバチみたいな羽根がついていたのも記憶にある。
地球上のどんな生き物とも異質なフォルムをした怪物だった。
そんなものがどうしてまた……
久遠は自分が運のない刑事であり、生物としてそこまで長生きはできそうもないかもと自嘲したくなった。
「お巡りさんは知らないと思うけど、まあ、宇宙から来た怪物だ。うちらにとってはよくぶつかる相手だからよくは知っているけどね」
「よく知っている?」
「まあねー。うちとネシーが北米でドサ周りをしたときに一度見つけたことがあるんだけど、あんときは参ったね。うち、空飛べないからさ。惜しいところで逃げられてしまって、あとでひどく落ち込んだなー」
「アレは銃では倒せないんだから仕方ないわ」
「でもさー」
二人にとっては共通の想いで、というよりも失敗談らしいのだが、久遠からすれば笑って聞き流せる話ではない。
あの、〈ミ=ゴ〉という化け物を取り逃がしただと。
しかも、聞きようによっては圧倒したかのようにも感じられる。
事実と虚実が混じりあったかのような幻惑を覚えた。
「あんたらは、その―――〈ミ=ゴ〉をどうする気なんだ?」
「んー、とりあえず斃す予定かな。こんな大都会トーキョーのまん真ん中であんな化け物に暗躍された日にゃあ、さっきのおっちゃんみたいな被害者が山ほどでるかんね。しかも、あいつらの最大の狙いからすると、この餌場だらけの都市にいつまでも放置しておくわけにもいかない。つまりは、斃すしかないってことさ」
刹彌皐月はポキポキと拳を鳴らした。
乱暴者な行動が随分と様になる。
荒事の専門家のようだった。
「巡査長サンは銃はお持ちで?」
久遠は首を振った。
「日本の警察官はアメリカみたいに銃器を持ち歩くなんてできないんだ」
「だったら、これをどうぞ。終わったら返してくださいね」
渡されたのは、一丁の自動拳銃だった。
ヴァネッサ・レベッカのもつカバンの中に無造作に入れられていたものである。
銃に詳しくない久遠ではすぐにわからなかったが、Glock 19という種類であった。
全長174mm、重量595g、装弾数15発。
日本警察ではSATが採用しており、在日アメリカ海軍では特殊部隊で採用されているものである。
「どうしてこんなものを!! 銃刀法違反だぞ!!」
「アメリカ大使館経由ですわ。ちなみに所持も日米地位協定によって保障されているので気にしないでください。あ、巡査長サンが発砲した場合は、あとでわたしが撃ったということにしてくださいね。面倒ですから」
「そういう問題じゃなくて……」
さらにカバンをごそごそと漁っていたヴァネッサ・レベッカは一組の手袋を取り出す。
黒くて、ごつくて、大雑把な形の金属のついた布の塊であった。
辛うじて五本の指が入ることだけは想像がつく。
しかし、
ぽっかり空いた穴の中にヴァネッサ・レベッカが手を突き入れたからである。
「あれ、ネシー、そいつ使うの?」
「そうよ。経験則上〈ミ=ゴ〉に銃弾は当たらないから、だったらこの
「うわー、200万ボルトで10アンペアなんでしょ、それ。喰らったら全身ズタボロだね。レイプされた映画の美人女優みたいになっちゃうよ」
「不謹慎なことを言わない」
「でも、誤作動とか起こさないの?」
ヴァネッサ・レベッカは誇らしげに、野球のミットにも匹敵する分厚い手袋を掲げると、
「これは西海岸のあるマフィアのボスが護身用に凄いお金をかけて作らせたものなの。当然、自分に被害が及ばないような設定にされているわ。だって、誰だってこんな最強のスタンガンを喰らいたくはないでしょうし」
「使う前にM16を使うレトロなスナイパーに狙撃されて死んじゃったんでしょ。よくまあそんな不吉なものを手に入れる気になるよ」
「今更よ。スターリング家の女以上に不吉なものなんて、そうはないもの」
変哲もないタクシーの天井を見上げ、
「殺人鬼に命を狙われてばかりで、人生を全うすることができないうちの家系以上に呪われているのはあなたの家ぐらいかな」
「なに、刹彌の家なんて高の知れた人殺しの一族だからどうということはないっすよ」
すでに自分とは違う異次元の会話を後部座席で続ける少女二人。
明らかに深くて澱んだ影があるのに、根っこから陽気で希望を捨てることのない調子が眩しく映った。
変人ではある。
異常な連中でもある。
ただ、いい奴らっぽいな、それだけを久遠は思う。
「あ、巡査長さん、そこの煉瓦塀の建物に車を停めていいですよ」
「そうか」
視線からすると、彼女の目的地はこの煉瓦塀に囲まれた土地に間違いない。
上野駅から徒歩で十分ほどの地域にこんなでかい洋風の屋敷があるとは思わなかった。
だが、さっきの病院の死体置き場で見た死体からどうやってこんな場所を突き止めたのか。
それだけはわからない。
まるで狐にでも摘ままれたようだ。
「解決編は後回しにして、さて、怪物退治と行きますか」
颯爽と下車して歩き出す二人を久遠は遅れないように追った。
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