第546話「愛染明王は人を愛する」
色々と常識破りな二人の少女とともに、久遠は病院の外に出た。
中野区にある警察病院の駐車場には、彼が運転する所轄の車が停めてあった。
○×署から二人を乗せてここまで運転してきたのは彼なのである。
「で、これからあんたらはどうするんだ? 僕はあんたの要求については答えたぞ」
「どうするといわれても困ります。わたしと皐月はこのままさっきの被害者を殺害した
「待て。今、何ていった? 殺害した、だと?」
久遠にとっては聞き流せない発言であった。
少なくともニュアンスからはこのFBI捜査官の少女は、これが殺人事件だと判断している。
警察ではまだ断定されてもいないというのに。
犯罪が行われたという確証さえもさっきのプロファイリングもどきの推理で得たというのか。
「はい。そうです」
「根拠は?」
「皐月」
すると、ロック風の巫女が代わって答えた。
「妖魅特有の気配があったからだねー。まあ、八咫烏のいうことを聞いて調べに来ておいて良かったよ。とはいえ、この辺りの管轄は音子ちゃんだからうちの仕事じゃないはずなんだけどさー」
「そのオトコちゃんというのはどんな男なんだ?」
「音子ちゃんはオンナちゃんさ。うちの友達。で、うちとしては被害者が拉致された場所さえ特定できればだいたい追跡できるんで、それで足りるかなー」
「僕としてはどうして殺人事件だと断言できるのかを教えてほしいんだけど」
「そりゃあ、人間にはできない殺し方だから、の一言に尽きるだろうねー。その気になったら大層な手間がかかるけれどやってやれないことのない殺し方だけど、コストやらを考えると日本の犯罪者ではスケールがデカすぎてねぇ」
「スケールってどういうことだ?」
刹彌皐月は肩をすくめながら、
「巡査長さんさあ。あんな風に人を凍らせて殺すなんて、普通はできないよ。ありうるとしたら、巨大な冷蔵庫に放り込むことだけど、それだって瞬間冷凍できるレベルじゃない」
「そんなことはわかっている。だから、逆にその線で殺せる施設を虱潰しに当たれば……」
「徒労だね。うちだったら、そんな早漏なことはしない。遅漏でもないけど。……今回の殺しは警察の監察医に頼むよりもJAXAの専門家を呼んだ方が早かったぐらいだねー」
「JAXAだって?」
「そう。だって、犯人は被害者を空の彼方まで連れて行って、だいたい50km以上の中間圏を飛び回ったもんだから、夏だと氷点下100℃前後の空気にやられて凍っちゃったんだからねー」
巫女の言っていることが久遠にはさっぱりわからなかった。
彼女の発言を整理すると、犯人は被害者を中間圏(上空にある成層圏の上の層のことだろう)を連れていき、急激に冷凍させることで殺したということになる。
それならまだ巨大冷蔵庫が凶器の方がマシということになる。
セスナやヘリを使わなければ、わざわざそんなことはできないのであるから。
だが、久遠は少しだけ脳裏をよぎったものがあった。
それを強引に頭を振って払いのける。
「不可能だ。空を飛べるスーパーマンでもない限り、そんな殺しはできない」
「まあねー。うちも最初は夏の暑さに狂った〈雪女〉の仕業だと思っていたっすからね。でも、違った。〈雪女〉の殺し方にしてはやり方が雑すぎる。うちとしてはミニスカ雪ん子ちゃんの太ももにすりすりしたかったけれど、諦めるしかなくて血の涙が出たけどねー」
「〈雪女〉って……御伽話じゃあるまいし」
「信じようと信じまいとそれは巡査長さんの勝手だよ。だから、あなたとはここでお別れして、うちらだけで真相解決することにした訳ですわ。あ、とりあえず解決したら一報を禰宜―――じゃない副署長に入れておくので心配しなくてもいいっすよ」
信じてもらえないのはいつものことだと、皐月の顔は言っていた。
もとより自分でも誰かを説得できる内容だとは思っていない。
久遠は知らないことだが、彼女は人に仇なす妖魅の類いから人の世界を護る巫女だ。
大切なのは、誰かに理解されることではない。
大して価値もないはずの市井の住人のつまらない人生とくだらない命程度を、汚泥の中から掬いあげることだ。
〈五娘明王〉愛染明王の刹彌皐月。
寺院によっては不動明王と並んで評される恋愛、縁結び、家庭円満等の人の日常をつかさどる仏であり、愛欲すらも否定しない幸せな只人の暮らしを守護する明王であった。
顕現する明王の姿と同様に皐月も人のさいな暮らしを守ることを好む。
だから、久遠の警察官としての魂を好ましく感じていたし、相棒にして被護衛対象であるヴァネッサ・レベッカの正義感を尊く思っていた。
人殺しの父と離別したのも当然である。
おそらく同期の巫女の中でも最も純粋なる正義を体現しているのはこの皐月であった。
「ほんじゃあ、もう会うこともないでしょうけど、さよならッス」
立ち去ろうとした皐月に対して、久遠は声をかけた。
「待ってくれ。あんたのいうことを信じる気にはならないが、あんたのふざけた態度の裏にあるものは信じられそうな気がする。とりあえず、僕もついていく。どうせ、一日は棒に振っているし、あんたの言い草じゃあ今日中に片がつきそうだ」
「……根拠はだせないッスよ」
「いいさ。必要なのは起訴するかどうかまでと裁判までに証拠がそろっているかどうかだ」
「警察ってのはテキトーっすね」
こうして、二人の少女と一人の刑事はパトカーに乗り込んだ。
束の間の仲間として。
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