第545話「ヴァネッサ・レベッカの超・推理」
検死の終わった死体は、全身を清められて、死体安置所の一角に納められていた。
係員に案内されて久遠と二人の少女はやってきて、奇異な目を向けられつつ死体と対面する羽目になった。
「黒ずんでいるのは、肌が酷い凍傷にかかっていたことの名残です。皮がところどころ剥けているのは煙突内部の金属網に接着していたのを無理に剥がしたことによるものです。死因とは直接関係ありません」
「なるほど。この遺体は衣服等をつけていませんが?」
「ものがものなので、ハサミで切断させてもらいました。身元特定のために必要ということで強行班の方にお渡しするために、そこのケースの中に保管してあります。それでは私はここで」
別の事件があるらしく、監察医はそのまま踵を返していく。
五つ分の引き出し式の遺体安置ケースが並んだ狭い室内は三人と一体だけとなった。
久遠はケースの中を覗き込みながら、
「さて、これで何がわかるっていうのかな?」
多少期待も混じった問いかけをする。
このFBI捜査官の少女と巫女には得体の知れない部分があったが、逆に何かをしでかしてくれそうな頼りになる雰囲気も感じられた。
所轄の副署長が権限を濫用してまで捜査の情報を流しているという立場がどれだけ異常であるかということを考えると、期待してもいいのかという気分にもなろうというものだ。
それに金髪少女のFBI捜査官はところどころでの質問や振る舞いに明らかに場数を踏んでいるという同族の気配があるので、理屈はどうあれ信頼できそうではあった。
問題は、隣のロック風巫女だ。
(……さすがに場違いなんだよな。しかも、こいつ、発言がたいてい無責任な言動か下ネタばかりで真面目さが感じられない)
こっちだけでも追い出そうかと、久遠は考えたりもするのだが、ふとした拍子に非常に真剣な眼差しをすることがあるので実行をできずにいた。
稀ともいえる真剣さは、ほんの一瞬だけでしかないが、それに気づけるようになっただけ久遠も刑事としての観察眼が増したと思えるぐらいであった。
視点を変えてみると、久遠たちの追っている事件そのものに対してはほとんど興味がなく、それ以外、特にヴァネッサ・レベッカの挙動に集中しているようだった。
彼女の動く方向にさりげなく視線を配り、エロいことを言いつつ顔をぐるりと回している、という様子だ。
かつて別の事件で知り合ったVIP警護のためのSPの経験をもつ一課の刑事が言っていたことを思い出す。
(動きの鈍重な警護対象ならばともかく、本人にそれなりの動きが期待できる場合には前よりも後ろにつく方が正しい。普通の奴は後ろに眼がついてないからな。前からよりも後ろからの盾になる方がいいんだ。もっとも、チームでの護衛ならば前後左右に配置するのが基本で、俺が言っているのはマンツーマンの声の場合だけだがな)
元SPの言葉通りだとすると、この巫女はFBI捜査官の相棒というものではなく、彼女護衛として張り付いているように思われた。
ロック風の巫女が何からFBIを護っているんだと疑問を持ったら果てしなく悩むことになりそうだが。
「……所持品リストをみると靴がありませんね」
「それは見つかっていない。殺害現場―――もしくは凍死した場所に置いてきたということじゃないか」
「体の表面が凍りつくような場所で靴を脱いだ、と?」
「いくらなんでもおかしな話だし、おそらく運ぶ最中に脱げたんだろうな」
「でも、よく見てください。足の裏も凍傷の跡があります。靴下を履いていて靴まで履いていればそうはならないはずです。実際、服を着ていた部分はそんなに凍傷になっていませんから」
言われてみれば確かにそうだ。
この死体は靴下をハサミで切断されて身に着けていないが、足の裏から足首にいたるまで凍傷がある。
つまり……
「靴を脱いでいる状態で凍死した、ということか」
「Yes. さて、靴がないというのは厄介ですが、資料もありますし、まあ十分でしょう。この被害者を対象とした臨床的プロファイリングを行います」
ヴァネッサ・レベッカはケースの中から被害者の衣服を取り出すと、丁寧に並べていき、それぞれを検討していく。
数は少ない。
上下の衣服と下着、靴下程度しかないのだ。
その検証が終わると、今度は全裸の死体を舐めるように観察する。
三十分ほどして、ようやく終ったのか、巫女―――皐月の差し出したペットボトルのお茶を口に含む。
「その―――プロファイリングってのは本当にできたのか」
アメリカのドラマじゃあるまいしとも思ったが、テキパキとした項目のチェックは流れるようにスムーズで、慣れたものを感じさせた。
いつしか食い入るように久遠はヴァネッサ・レベッカの動きを見つめていた。
時がたつのを思わず忘れてしまったほどだ。
「わたしのプロファイリングは多少おかしいですが、とりあえずこの被害者の身元特定の役には立つものといえるぐらいのものは練りだせました」
「……この遺体の身元が分かったというのか!?」
「そこまで正確ではありませんが、だいたいのところは」
すると、彼女は死体の頭を指さした。
頭頂まで見事に禿げ上がっている。
「この五十代前後の男性の額のここからここまで日焼けがありません。つまり、この人は普段は帽子を被っているのでしょう。日本人の男性で頭髪が薄い人は帽子などを被る傾向がありますし、他の部分にはカツラなどをつけた形跡もないですから間違いないでしょう。ただ頭頂部にも凍傷はありますから、事件発生時には帽子は脱げていたはずです」
「あー、それはわかる。他には」
「鼻のところに窪みがあります。これは眼鏡のつけた傷です。眼鏡男子であることも確定ですね」
帽子と眼鏡。
どうということもない情報だが、日常的に使用しているとなるとそれだけでも絞り込める範囲が狭まる。
だが、名探偵的な推理はそこまでで、ヴァネッサ・レベッカの発言はどんどんと異常さを増していった。
「眼と眼の間の広さと額との縮尺からすると、この男性は知的な職業についているものと思われる。歯が抜けているので生前の顔は想像するしかないが、頬肉の厚さからするとあまり噛まないタイプなのでしょう。汗腺の開き方のパターンは汗をあまりかかない仕事、屋内作業が中心。しかも、足首から太ももにかけての筋肉の退化は年齢に対しても大幅に減じているので、机に向っての作業ばかりだとわかる。あと、手の形。パソコンのキーボードはあまり使わない。指にある黒ずみはおそらく万年筆のインク。右利きで、毎日、五千字から六千字は書いている。作家―――ではない。酒はあまり飲まない。タバコも吸わない。しかし、普段から若い世代と接することが多く、肌はそのぶん張りがある。妻帯者ではなく、一人暮らしで洗濯掃除は最低限しかやらないので、おそらく母親と同居か通いの家政婦がいるのだろう……」
久遠は紅い唇から紡ぎ出される言葉の半分以上がわからなかった。
意味が、ではない。
何故、そういう結論に達したか、である。
自分たちがどれだけ頭を突き合わせたとしても、そんな情報は読み取れない。
(
ただの妄想と決めつけることのできない点もあることはあったのだ。
「ネシーのやり方は、
いつのまにか隣に来ていた刹彌皐月が話しかけてきた。
そういえば、さっきヴァネッサ・レベッカに「邪魔だ、シッシッ」と追い払われていたな、と思い出す。
「通常のプロファイリングとはやはり違うのか」
「まあね。ネシーのは、頭につっこんだ情報をすべて過去からの経験と照合して答えを導きだすというものだからさ。ある意味じゃあ、全情報をインプットしさえすれば自動的に答えをだしてくれる機械みたいなもんなんだよ。91919みたいなもん」
「まるで超能力者だな」
「……というか、ネシーの家系の女性にはよく備わる能力みたいだよ。逆にそれがあるから生きていけているともいえるんだぜい」
警察関係者としては羨ましい能力かもしれない。
色々と証拠さえ集めれば自然と正解に行きつけるというのであれば。
ただ、その特別なまでの能力がまだ十代の娘を犯罪捜査に携わせているのかと思うと、不憫と思う気持ちがあった。
この時の久遠は知らなかったが、ヴァネッサ・レベッカを取り巻くもっと奇怪で危険な状況は超・推理能力など霞ませるていのものであったが。
「―――十中八九、この男性は学者ね。しかも、大学などでゼミなどを受け持っているクラス。久遠巡査長サン、その線で追ってくれれば身元の特定は可能だと思うわ」
「わかった。凄いな、事件解決じゃないか」
「いいえ、まだよ」
「あ、犯人が捕まっていないか」
ヴァネッサ・レベッカは肩をすくめた。
「ええ、人間を凍らせてしまい、煙突に誤って突き刺して飛び立っていく犯人。そんなものを野放しにしておくわけにはいかないですよね」
彼女はすでに犯人の目星までついているようであった……
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