第544話「少女モルダーと変態スカリー」



 仕事柄と言う訳ではないが、久遠は若いながらかなりの修羅場を潜っている。

 数々の犯罪者とも対峙してきたし、わけのわからない変人・怪人の類いとも突き合ってきた。

 腹の立つ奴もいたし、心からの尊敬に値するものもいた。

 だから、多少のおかしな人間ではびくともしないが、今回ばかりはさすがに戸惑ってしまった。

 なぜなら、彼を名指しで副署長に呼ばせたのは、二人組の十代の少女であり、片方はFBI捜査官を名乗る外人の美少女、もう一方はロック歌手のようなゴテゴテの飾りをつけた改造装束の巫女であったからだ。

 一人一人ならばまだ自分を誤魔化せたかも知れないが、束になって掛かってこられたらもうどうしようもない。

 漫画の中の世界か、有名なコミケにでも迷い込んだ気分にさせられるだけだ。

 とはいえ、久遠はアリスのように自分の境遇を愉しんだりできるタイプではない。

 むしろ、オズの魔法使いのドロシーのように一刻でも早く故郷カンザスに帰りたがる現実派だ。


「……FBIって……ツインピークスかよ」

「Xファィルと言われなかっただけマシな反応ですね。一応、これがバッジと身分証明です。あと、日米同盟に基づく特別捜査権を示す公文書の写しです」


 英語は少ししかわからない久遠でも本物であることはわかった。

 でなければ、所轄のナンバー2である副署長の客人として招かれるはずがない。


「わ、わかった。あんたが本物だというのは。アメリカだと飛び級とかあるらしいし、そういう天才少女が警察官になっていてもおかしくはない気がする。……いや、それで納得させてもらう」

「賢明ですね、久遠巡査長サン」

「だが、百歩譲ってもスターリングさんはいいとしても、そっちのあんたはダメだろう。コスプレ……ではないのはなんとなくわかるが、表をそんな格好で出歩いていたら職質の対象じゃないのか」

「しゃーないんだよ、お巡りさん。これはうちの本職の正装でさ。たまには真面目に着ていないとボーナスの査定に影響が出るんだ。コスってマネーだね」


 相手は真剣に応える気がないらしい。

 とはいえきちんと説明されたとしても理解できなかったかもしれないのだが。

 久遠にとって、この七から八歳程度年下の女の子たちはまったく理解できそうもない生き物に思えた。

 振り向くと、いつのまにか副署長は消えていた。

 どうやら客人と久遠だけにしようという配慮らしい。

 まったくいらない気遣いだと久遠は吐き捨てたくなった。


「まあ、いいですけど。……座りますよ」


 許可を得てもいないのにソファーに腰掛ける。

 部屋の主人がいないし、相手の態度も寛いだものなので肩ひじはるのも面倒になったのだ。


「で、僕に何の用ですか。強行班は難しい事件を抱えていて、猫の手も借りたいぐらいに忙しい状況なんですよ。だから、手短にお願いします」

「巡査長サンはなんというかあまり動じませんね」

「刑事なのでおかしな展開には慣れています。ドラマと一緒です」

「むしろ、警察関係者の方がリアリティに重きを置き過ぎておかしな事態には対処できないのがフィクションの世界だと思いますけれど」

「事実は小説よりも奇なりですよ」


 一度、受け入れてしまえば不思議に思っている余裕もない。

 ただ普通に接してしまえばいいだけだ。

 久遠は無我の境地ともいえる場所に達しそうな自分を意識していた。


「……どんな事件なのですか?」

「言ってしまっていいのかな。まあ、FBI捜査官というのを信じるのならばご同業だ。いいでしょう。まず、誰も登れないお化けみたいな煙突の頂上に刺さった死体が発見されました。で、その死体は何と凍死していたという奇奇怪怪な話なんです。あんまりな内容なので、マスコミにも伏せられていますが、その癖、まともに捜査本部も設置されないという放置されっぷりで人手不足の原因ですね」


 聞かれたことに答えただけにしては必要最小限のことはすべて語ってしまった気がする。

 語られた方にとってはちんぷんかんぷんな話であっただろうが。

 だが、外国人と巫女は顔を合わせて、うなずいた。


「……あー、実はね、うちらの目的はそれな訳よ」

「副署長があなたをお呼びしたのはそのことについてわたしたちに情報収集をさせるためなんです、巡査長サン」

「どういうことかな?」


 すると、主導権はヴァネッサ・レベッカという少女に移った。


「検視の結果のレポートは読みました。本当に死因は凍死なんですね」

「……誰が横流ししているんだ。まったく、警察の捜査機密がだだ漏れじゃないか」

「それで、巡査長サンはどうお考えで?」


 久遠はヴァネッサ・レベッカの真剣な眼差しに嘘はないと見抜いた。

 少なくとも嘘や冗談で質問をしているのではない。

 

「あの煙突に登ることはできない。よほどの軽業師でも、動かない一人を抱えて上がるとなったら不可能だろう。それには消防のはしご車でもなければできないのも確かだが、あそこにその手の特殊車両が乗り入れた形跡はなかったし、近所の住人も車の音は一切聞いていない。あと、現在のところ、あの遺体を吊り上げられるほどのドローンも存在しない以上、あそこに遺体を。これが結論だ」

「凍死に関しては?」

「そっちのほうがまだ現実的だな。もっとも、こっちもおかしなことになっているけど。凍死というのは、体温が生きていくために必要な温度の水準を下回って、直腸の温度が35度以下に低下した場合の低体温症になって、それが原因となった死のことを言うんだ。ただ、今回の事件では違った」

「どういうことかな」

「低体温じゃなくて、全身の皮膚が凍っていたんだ。だから、煙突内部の金属に枠にべったりとくっついちまって剥がすのに苦労することになってしまった」


 レスキュー隊員が無理矢理引っ剥がした遺体は皮膚が剥けまくって酷い有様だった。

 それだけではない。


「服も湿っていて、一部はシャーベット状になっていた。検視報告にもあったが、巨大な冷蔵庫かなんかに放り込まれればそうなるだろうってことだ。すぐに直腸も冷え切るし、凍死が死因の遺体の出来上がりだ。死亡推定時刻は正確にはわからないけれど、まあ全身凍りついて痛いぐらいの状態のまま死んだだろうという話さ。まったく、真夏の夜に凍らされて死ぬなんて洒落にならないよ」


 そうなると、煙突の頂上までシャーベットみたいな死体を運ぶというさらに無理難題が増える訳である。

 事件は説明ができない部分で暗礁に乗り上げた訳であった。


「なるほどねー。二つのどう考えてもおかしい要素が二つ絡まったせいでわけわかんなくなってんのか。絡まってくんずほぐれつ、ウッシッシ」


 巫女の方はあまり真面目に考えていなさそうだった。

 人差し指と親指で作ったわっかに人差し指を出しいれするという下品な遊びをしていた。


「……でもねえ、まあ一つは答えが出るかもね」

「何か知っているのか」

「〈雪女〉のせいじゃないかなあ。ほら、ラフカディオ・ハーンの『怪談』の雪女の話って実は府中あたりで採取したものらしいから、江戸時代はそれだけ寒さがきつかったんだよねー。冷え性の女は夏に抱くと気持ちいいっていうから、エアコンもいらなかっだろうねえ、旦那さんは」


 何が〈雪女〉だ。

 二十一世紀の今頃に妖怪なんかいるものか。

 久遠は呆れかえった。

 ただ、ロック風の巫女はともかくとして金髪のFBI捜査官は真剣そのものだった。


「それで、巡査長サン、被害者の身元はわかったのですか? それについてはまだ教えて貰っていませんが……」

「身元を証明するようなものは身に着けていなかった。指紋も取れたが、前歴はなし。歯の治療痕を捜査中だが、たちの悪いことに凍死したと思われる段階で幾つもの歯がボロボロに抜けてしまっていてね。望み薄な状態だな」


 まずは被害者の身元の特定が最重要となっていた。

 もしくはあんな風に人を凍らせてしまう場所―――施設を見つけ出すこと。

 どちらかを発見できれば、きっとお互いを結ぶ線も見つかるだろうというのが強行班の刑事たちの推測であったが、久遠の見立てではそれも怪しい。

 地道な捜査を続けるにしても人手が足りなすぎる。

 しかし、捜査本部も立てられない事件では限られたリソースでものごとに取り組むしかないのだ。

 その意味でこの場から早く解放されたいというのが望みであった。


「じゃあ、そろそろ僕は班に戻るので」


 おいとましようとしたところ、腕を掴まれた。


「待ってください、巡査長サン。あなたは今回わたしたちの手助けをするようにと言う副署長サンのお話を忘れたのですか」

「……いや、そもそもFBI捜査官が関与する事件じゃないでしょう。あんたがさっき言っていたXファイルのモルダーかスカリーだったら、こういう事件に首を突っ込んでもおかしくはないでしょうけど」

「なに、そのモルグとスカトロって。すっげえ臭そうなんだけど!!」

「サツキ黙んなさい」

「……怒ったときにカタカナで呼ぶのやめて。怖いから」


 そういう指示も受けていたが、当の副署長がいなくなっていたのでこれ幸いと反故にしようとしていたのに少女たちは覚えていたようだ。

 しかし、これ以上、協力できることは何もないはずだった。


「僕に何をしろって言うんだ」

「とりあえず、検視が終わった被害者の遺体がある病院に行きましょう。そこで調べたいことがあります」


 ……遺体を調べるために病院に行く。

 前もそんなことがあったなあ、と思いつつ、強引に久遠は副署長室から連れ出されていった。

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