第543話「所轄の強行班は人手不足」
現場に入ってきた若い刑事は、真っ先に訪れていた機捜の知り合いに問いかけた。
もともと閉鎖されていた廃工場であったからやじ馬もおらず、パトカーを停めるだけのスペースも確保されていたからか捜査はやりやすそうであった。
早朝の六時半という時間帯だが、もう活動している警察官二十人以上。
みんな働き者だ、と若い刑事は感心していた。
「お疲れ様です。遅くなりました」
「よお、
「どうしてですか?」
○×署の強行班係である
「連絡受けてんだろ?」
「ええ、まあ。おばけ煙突の上で人が死んでいるって」
「十歩ほど下がって上を見てみろよ」
言われた通りに久遠は下がって、機捜の刑事の後ろにある建物から伸びている煙突を見た。
五十メートルほどの高さの太いコンクリート製の煙突の上にYの字型のオブジェが乗せられていた。
来る途中の車の中では遠すぎて、徒歩になってからは上すぎて、まったく気が付かなかったが、どうやらそれはオブジェではなく……
「人の足ですか!?」
久遠の驚きももっともなものであった。
百メートルの通称おばけ煙突の頂上にあるだろう煙を吐く穴におそらく頭から突っ込まれるようにして人が詰め込まれているらしかったからだ。
「急いで救出しないと!?」
「無理だよ。もう死んでる」
「わかるんですか?」
「さっきからうちのが双眼鏡で覗いてみているがぴくりともしていねえ。さっきまでカラスが集って止まってもいたしな。それで動かないんだから、まず間違いなく死んでるだろう。だから、署の方にも死体遺棄だと報告しておいた」
機捜というのは、管轄内を常にパトロールし、通報があったら真っ先に駆けつけて、現場保存、目撃者の聞きこみ・確保、場合によっては被疑者の現行犯逮捕までするハードな部署である。
今回も徹夜でどこかで番をしていたに違いない。
あとからやってくる捜査課に引き継ぐまでが彼らの仕事であり、初動捜査の大切さが求められる警察活動において重要な役割といえた。
ゆえに下手な刑事よりも観察眼や頭のキレは冴えているのである。
久遠もこの機捜の刑事のことを強く信頼していた。
「じゃあ、遺体を早く降ろさないと……」
「それも難しいんだよ」
「えっ」
機捜の刑事はおばけ煙突を指さした。
「こいつはだいぶ前から解体が決まっていてな。上へと続く梯子もついちゃあいるが、錆びてて脆くなっているから危なっかしくてまともに使えやしない。コンクリートの本体の方の耐久性もかなりやばいようだ。さらにいうと、あのホトケさんを下に降ろすにはドローンとかじゃあ重くて無理だから、人間の手でやらなくちゃならねえんだが、残念なことに警察にはそんな軽業ができる人材はいねえ。もっとついでに言うと、現場検証もできないし、鑑識も送り込めねえ。何もすることがないんだ」
「じゃあ……」
「そこで、消防本部のレスキュー隊に頼み込んだんだよ。うちの課長が頭下げてな。あと少しすればはしご車が来る。まったくあっちの消防指令には足を向けて寝られんな」
さすが有能だと心中で讃えつつ、久遠は首をひねった。
あの遺体を回収するのが難しいということは逆に考えればどうやってあんなところに放置したのかということにつながる。
背負っていくにしてもハシゴも使えない、ぶらさげてドローンのようなものでは到底不可能、鳥にでもなって飛んでいったらできなくもない程度。
まさかとは思うが、あの遺体が自分から頭を突っ込んでいった自殺ということであろうか。
それならば辻褄はつく。
もともと自殺志願ならば落ちても大丈夫だとある意味で高を括ってあそこまであがっていき、そのまま首を突っ込んでエクストリームな自殺をきめた、ということだ。
あんなところで死にたがる人間がいれば、の話ではあるが。
他に合理的な解決は浮かんでこなかった。
こんな奇怪な事件は久しぶりであった。
「あ、そういえば……!!」
久遠はきょろきょろと周囲を見渡した。
こういうおかしな事件が起きるたびに首を突っ込んでくる変人に心当たりがあったからだ。
あれが混じるとろくなことがない。
だが、助かったことに今日はいないようだ。
とてつもなく目立つタイプなのでこれだけ探していないのであれば、まだやって来ていないということである。
というとあの変人のジャンルではない、ということだった。
(ただ、そうなると、この変な事件はまともな死体遺棄事件、もしくは自殺ということになるのか。それはそれで厄介かも)
あまり刑事らしくないことを久遠は考えた。
多少、苦労性になってしまっていたのかもしれない。
……しばらくすると、先輩二人の刑事と消防本部からはしご車がやってきた。
直接、おばけ煙突に登れない以上、その方法がベストのはずだった。
レスキュー隊員は捜査の権限がないので、警察のカメラ付きインカムを渡して刑事が死体回収の指示を与えることで適法性を担保する。
このあたり警察もお役所仕事であることに変わりはない。
指示を与えるのは久遠の先輩であるベテランの藤山刑事。
カメラの画像をパトカーの中で確認しながら、いちいちやるしかないのだった。
はしご車に乗ることができる警官がいないというのは不便だよなと、相棒の佐原刑事がごちる。
下から双眼鏡をのぞいていた久遠は、二人のレスキュー隊員がY字型になっている身体を煙突から引っこ抜くところをハラハラしながら見守っていた。
「犬神家の一族みたいだよな」
「先輩。不謹慎ですよ」
「どこぞの警視に比べればマシだろ」
「そうですけどね」
すると、パトカーの中の藤山が何か叫んでいた。
「どうしました、藤山さん」
「―――どうしたもこうしたもねえよ。レスキューのやつら、何だか知らねえが死体の皮膚がべっちょり煙突の内側に貼りついていて難しいとか泣き言いってんだよ」
「へえ、天下のレスキューがねえ。よっぽどなんですかね」
「あとよ、もっとおかしなこと言っているし」
「おかしなこと、ですか?」
「ああ」
藤山はお手あげという風に手をあげて、
「あのホトケさん、真夏だっていうのに凍っていたらしいぜ」
「凍っていた……凍死ってことですか?」
「さあな。検視に出してみなけりゃあなんともいえねえが。ただし、凍死だとすると自殺って線は完全に消えるぜ。これは厄介なヤマになるかもしれねえなあ」
誰も登れないおばけ煙突に頭から突っ込まれた死体。
そして、死因は凍死という可能性が出てきた。
真夏の夜の悪夢のような事件だと、久遠は厭な予感を感じながらずっとおばけ煙突を見上げ続けるのであった。
◇◆◇
「でたぜ。本当に凍死だったとさ。凍ったまま煙突にインされちまったせいで、皮膚がコンクリートの内側に巻いてあった金属の網みてえなのと引っ付いちまってひでえ有様になったらしい」
藤山が持ってきた報告書を読み上げると、事件の選任になっている強行班はそれのコピーに目を通した。
解剖による所見は確かにその通りだった。
それによれば、あの死体は死んでからあそこに突っ込まれたのであり、自殺という線は完全になくなったことになる。
「じゃあ、殺人事件ということになりますか? もしくは死体遺棄? でも、これだけおかしな話だと捜査本部を立ち上げないでいいんですか」
「わからん。副署長の話では、この事件は本部を立てるほどのものでもないらしい。本庁から一課の管理官も来ないそうだ」
「まあ、自殺の線も濃厚だったからな」
「だから、選任は俺たちだけということさ」
「激務ですね」
所轄である○×署の強行班は、藤山、佐原、久遠を含めて五人。
係長も数に入れてもようやく六人というところだ。
人数は足りていない。
事件の面倒さに比べると陣営が薄いと言うほかはない。
事件解決の困難さを憂いでいると、書類仕事をしていた係長が言った。
「おい、久遠。おまえは副署長室に行ってこい」
「……え、どうしてですか?」
「おまえをご指名だ。ついでに、おばけ煙突の事件にはつかなくていい。どうも、副署長がおまえに何かをさせたいらしい」
寝耳に水の話だった。
強行班にとってはただでさえ人手が足りないのに、自分が抜けたらさらに難しくないではないか。
基本的に熱血漢である久遠はその命令を承服できず、係長に突っかかろうとしたが、藤山に止められた。
大先輩であり、尊敬する藤山に諫められたら従うしかない。
それに係長は別に恣意的な判断をしている訳ではない。
副署長という上司の命令に従っているだけだ。
「まあ係長の話も聞いておけ。それに、こういう横槍が入ることは前もあっただろう」
そこで久遠は一人の変人の存在に思い至った。
また、このパターンかと。
もしかしたら自分はどうしようもないぐらいに運が悪いのではないだろうか。
仕方なく彼は挨拶もそこそこに副署長室へと向かった。
また、あの人かよ、と愚痴りながら。
だが、副署長室の応接用ソファーに座って彼を待っていたのは、予想とは違う二人組であった。
「あなたが久遠刑事ですか。初めまして、わたしはFBIの特別捜査官ヴァネッサ・レベッカ・スターリングです。どうぞよろしくお願いします」
「うちはSSSの刹彌皐月。SSSは、
どうみても十代の金髪外人美少女のFBI捜査官と、メッシュの入ったショートカットと性質の悪そうな三白眼のロック歌手の様な改造巫女装束の二人組に、さすがの久遠も数十秒間フリーズしてしまった……
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