第539話「孔雀墜つ」



 夜明け前だというのに南の空が赤く光っていることに気がついて、孔雀踏海と彼を迎え撃つ二人の巫女さんは目を剥いた。

 太陽が昇るのは東だ。

 だから、あれは太陽のはずがない。

 僕は手にしていたスマホのアプリを使って、望遠で見てみた。

 恒星が輝いている訳でも、ネオンの光でもない。

 空間が微妙に歪みのだ。

 僕はついさっき似たような光景を目撃していた。

 不動明王と孔雀明王の間に生じていた空間の湾曲状態だ。

 さっきのそれと、あの赤い光は酷似していた。

 なにか途轍もないことが起きている予感がして胸がざわついたが、ありがたいことにその異常な現象は数分もしないうちに鎮まっていった。

 最初は信じられなかったけれど、急速にもとの空の状態に戻っていくとこだけは確認できたのだ。

 あれがあのまま続いていたら、いったいどんなことが起きたのだろう。

 これまで感じたことのない戦慄が僕の背筋に気持ち悪く残っていた。

 それは御子内さんたちも同様だったらしい。

 顔付きが必要以上に険しい。

 だが、孔雀踏海だけは菩薩面ぼさつづらに拍子抜けしたというような皮肉な色を浮かべていた。

 直感する。

 あいつはきっと何が起きるかを理解していたのだ。

 ということは、あの赤い不気味な血の色の空は〈八倵衆〉の陰謀によるものだと考えるのが妥当だろう。


「―――しくじりましたか、和尚」


 孔雀はそう呟く。

 かすかに嘲りが感じられた。

 なんだかわからない感情が沸き起こる。

 和尚―――というからにはおそらくは快川和尚のことだろう。

 あの人が、僕を騙してたゆうさんとの会見を望んだらしいということはなんとなく理解した。

 たった数分の間に色々なことが起きたおかげで、混乱しかけていたがそれだけはわかっていた。

 だが、だからといって和尚を憎むとか嫌うということはできなかった。


「どうやら、キミたちのはかりごとは破れたようだね」

「そりゃあそうだろ。御所守の婆さままででてきたら、雑把な計画なんぞ認められるはずがねえんだよ」


 御子内さんもレイさんもたゆうさんに対しては信仰に近いまでの信頼を抱いている。

〈社務所〉の構成員はほとんどそうだ。

 同僚というか、仲間を極限まで信じる。

 どれだけ過酷な修行を積んできたのだろうと想像をめぐらすしかない。


「ですが、拙僧たちも子供の使いで関東にまで出張っている訳ではないのです。少なくとも、〈五娘明王〉か〈星天大聖〉のどちらかの首級ぐらいは頂戴していくとしますか」


 孔雀は〈光印〉を撃つ体勢ではなく、独股印を結び「臨」と唱えた。

「兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と続ける。

 九字と呼ばれる呪術護身法の一つであった。

 もともと道教に伝わるものだが、その後、密教の布教にともない広がっていったのだ。

 孔雀明王は密教の本尊とされているので九字を使うのもわからなくはない。

 そして、九字と言うのは集中法の一つでもあるのだ。


「早九字切りやがった!」

「術が来るよ!」


 孔雀踏海はまだやる気のようだった。

 正直、確かに奴の戦力は強大だ。

 またも背中に後光が差し始める。

 さっきレイさんの不動明王に見せた孔雀明王を顕現させようとしているのだ。

 一方、レイさんは歯ぎしりしながら睨んでいた。

 あの様子ではおそらくもう同じことをするだけの力が残っていないのだろう。

 御子内さんが投げたコンクリート片が当たる寸前に不可視の壁の様なものに弾かれる。

 明王の姿を召喚している間は無敵状態みたいなものなのか。

 あれでは例え、ライフル銃があったとしても狙撃もままならない。

 ライフル以上に強い火力―――RPG-7でもあればわからないが。


「くそ、孔雀明王が出てくるぞ!!」


 しかし、二人にはもうそれを止める術がない。

 対抗することもできそうもない。

〈五娘明王〉ではない御子内さんは同じような真似はできそうもないし、例の火眼金睛かがんきんせいの輝きもなかった。

 孔雀の背中にまたも光の粒子でできたような孔雀の巨大な羽根が舞い上がり、類いまれな美貌もあってか、翼をもった異界の天使のようであった。

 三つの眼に見える模様が美しい。

 まさに神の玉体の一部といってもいいだろう。

 いかに御子内さんたちといえど、あのに勝つことができるのだろうか。

 しかも、彼女たちの拳はあれには届かない!!


「紛い物の明王に、仏法の敵であった魔物。そんなものが、この孔雀を剋せるとは思わないことです!!」


 孔雀の首が上がる。

 羽根だけでなく、その鶏冠の真下の部分についていたオパールの第三の眼が開く。


 来る!


 神の放つ、何かが!!


 だが、そのとき―――


「ウン・シッチ・ソワカ!!」


 どこからともなく聞き覚えのある声と知らない真言が響き渡った。

 振り向くと、正門のところに……黒地に紫のメッシュのショートカット、三白眼っぽい鋭い眼差し、目元に星のシールを貼ったロック歌手がギターを抱えていた。

 いや、手にしているのは梓弓。

 巫女が儀式のために使うものだ。

 よくよく見ると、金属製の四角いスタッズや鋭い鋲がついているが、白衣を着こんでいて、下半身は裾が二つに割れた緋袴であり、足元にはリングシューズのようなブーツを履いているので巫女だとわかるので相応しいといっていいのかもしれない。

 彼女は梓弓を構えながら、真言を唱え、そして叫んだ。


「神の子のクセに殺意を抱き過ぎだぜ、ダーリン!!  愛染明王聖天弓あいぜんみょうおうせいてんきゅう!!」


 ロッカー巫女刹彌皐月の放つ、虹色の軌跡を描く矢は過たず、孔雀の右手を刺し貫いた。

 孔雀明王の守護まもりを貫いたのは、彼女の持つ〈五娘明王〉の力だったのだろう。

 ただのコンクリート片を弾いた明王の防護も同じ仏の力の前には無効化されてしまったようだった。


 愛染明王の〈五娘明王〉刹彌皐月。


 さすがとしか言えない強さである。

 右腕を押さえた孔雀が憎々し気に皐月さんを睨みつけても、一度解けてしまった集中は戻らないらしく、さっきまで出ていた孔雀の羽根が霧散して消えてしまっていた。

 いや、単に集中が解けただけではなく、皐月さんの放った技だか術の効果なのかもしれない。


「―――出のタイミングを計っていたな、おまえ」

「助けてもらったからと言ってキミに優しくはならないぞ、ボクは」

「そうだ。そうだ。つーか、遅すぎるぞ」

「あ、あれ? どうして、うちが責められてんの? うち、今日は頑張って音子ちゃんもレイちゃんも或子ちゃんも助けたんだけど……」


 多少は同情できなくもない。

 頑張ったのはなんとなくわかる。

 けれど、人間は普段の行いだね。


「貴様ら―――、貴様ら……」


 上空で到頭怒りに打ち震え出した美貌の廃棄僧侶。

 だが、もう勝負ありだ。

 確実に彼我戦力差は覆った。

 奴に勝ち目はもうない。


「さあ、どうする? 西の仏凶徒」


 御子内さんが厳しく問いかけるのは勝者から敗者への降伏勧告以外のなにものでもなかった。




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