第535話「御所守たゆうは秘密を騙る」
御子内或子たち新世代の若い巫女たちとは違って、御所守たゆうの巫女装束は一切の改造がない、「正装」であった。
白衣と緋袴を着込み、肩袖の根元が縫われた、脇を縫わずに前を胸紐で合わせるようにして着る袖付きの千早。
ところどころが白くなっている長い髪を後ろの生え際から束ねて、和紙でまとめた上から水引でしばって髪留めとした絵元結えにしていた。
紅白の水引は糊を引いて乾かしたものである。
一見、二十代半ばほどの年齢にしか見えないが、彼女はもともと戦前の産まれであり、今でも現役なのが異常といわれているほどであった。
ただ、彼女と接したものは外見が決して真実を表さないという真理を知ることになる。
異様なまでに老成し、ここではない異世界に注がれているような眼差しをもつ、〈社務所〉の重鎮・御所守たゆう―――またの名を〈夜叉菩薩〉。
「―――まさか、最初からワシの企てを見抜いておったというのかよ?」
「そのまさかですよ」
夢から覚めたような顔の快川に対して、たゆうはいつものように自然体であった。
本来は嵌めたはずのものと嵌められたはずのもの。
だが、その立場は完全に入れ違っていた。
「おまえ様、わたくしが散々念を押していたのをおかしいとは思わなかったのですか?」
「更年期を過ぎた認知症の婆あの繰り言だと思うていたよ」
「残念ですねえ。わたくしは、こう見えてもまだまだ現役なのですよ。春をひさいで歩いていてもやっていけると思いますね」
「妖怪め」
「お互い様ですよ。わたくしはあなた様のように、前世の記憶がない分、まだまだマシだとは思いますしね」
快川は目を剥いた。
今口にされた言葉は、彼が長年にわたって秘匿してきた情報だからだ。
同士と言っていい〈八倵衆〉でも古株の数人にしか教えていない。
それをなぜ、関東に住む仇敵が知っているのか。
「……何故、という顔をされていますね」
「ああ。それは事実だ」
「別にわたくしがそのことを知っていたわけではありません。〈八倵衆〉に裏切者がいて内通していたということもありません。つい、先ほどまで我々はあなた様のそういう事情など把握していませんでした」
では、どうして彼の考えがわかったのだ。
彼が初代・快川の記憶まで持っていることを知ったのだ。
いったい、どうやって。
「織田信忠によって恵林寺で殺害された
「……ど、どこまで」
次々と明らかにされていく秘密の暴露に、さすがの快川も驚愕するしかない。
これほど知られているのであれば、最終目的である都庁の前で待ち伏せされていたとしても当然だ。
「あなた様は〈風林火山〉という術をお使いになられますね。裏技として〈如陰〉と〈
雷霆〉の二つも隠し持っている。その力は―――」
「化け物め!!」
快川は跳躍した。
七十過ぎの老僧とは思えぬ瞬発力であった。
まさに猿の如き動きでたゆうに迫る。
だが、あまりにも稚拙過ぎた。
御所守たゆうの暴露に我を忘れた結果であり、迎撃するのにはわずかの動きで足りる。
どっしりと腰を落としたたゆうの前蹴りの一閃で快川は地に沈んだ。
神事・
なんといっても風の邪神イタクァの眷属を正面から撃ち滅ぼした巫女なのだ。
経験でも神通力でも、現役の巫女レスラーたちを凌ぐはず。
「おまえ様の同胞が音子をとらえている間に、空になったあの都庁に侵入して色々と仕掛けた呪式については、まだ完全には除去できておりませんのでね。ここから先に行かれては困るのです」
「……そこまで……どうして」
快川とて仏法に狂った〈八倵衆〉の一人である。
奇怪な出来事については耐性もある。
しかし、自分の秘密や思考が洗いざらい漏れていると考えるのは不気味でならなかった。
たゆうの異常に若く見える外観が更に恐怖を湧き立てる。
「ふむ、一方的に嬲るのはやや心苦しいものですね。では、一つだけ種明かしをしましょうか」
たゆうはわずかに離れた歩道橋を指さした。
そこには二つの人影がいた。
夏だというのに全身を包帯で覆った背の高い男と、さらに上回る体格のどことなく歪んで見える大柄なものがいた。
どちらもじっと巫女と僧侶を見つめている。
たゆうが耳にかかっていた髪をかきあげると、そこには耳枠にセットする形の受信機がついていた。
「……あなた様は『なんだ、あいつらは』と考えましたね。そのあと、大きい方の様子を見て『不気味な奴だ』と蔑みました」
快川は愕然とした。
それほどたいしたことではないが、まさにたった今の彼の思考そのものだったからだ。
彼もそう思ったのだ。
「なんだ、あいつらは。……不気味な奴だ」
と。
つまり、このたゆうという巫女はワシの頭の中を読み取ったのか!?
「残念なことにわたくしにはそんな力はございませんよ。ただ、わたくしには手塩にかけて育てた孫の中でも末の娘といっていいものがおりましてね」
たゆうは虚空を見つめた。
「末娘は、あなた様方のような人の命を何かに捧げることしか考えないようなものたちを止めるために肉体を張りました。そして、その行いによって多くのものを影から救いました。誰も知らない英雄譚ですよ。でも、末娘の行いを良しとして崇高なものとして、いざというときに彼女の代わりに手助けをすると約束して、まともに生きるのも難しいこの都会で暮らしながら時を待っていてくれた友達を遺してくれました」
たゆうは言う。
「あそこにいる不格好な大男は、人ではありません。妖魅です。名を〈サトリ〉という妖怪です。あなた様が初代快川の跡を継いで、人々を悟りの境地に導こうというときに、人の心を悟って読む妖怪がそれを阻止する力になるとは皮肉なものですね」
御所守たゆうは最初に升麻京一から連絡を受けたときから、快川を怪しんでいた。
快川という個人ではなく、〈八倵衆〉そのものをだ。
そのため、京一がセッティングした会合に明治神宮の森で匿っていた〈サトリ〉を動向させて、影からその考えを読み取らせたのである。
〈サトリ〉の相棒として、熊埜御堂てんの助手をしていたロバート・グリフィンをつけるということまでして、彼らが得た情報によってすべての陰謀は筒抜けとなったのである。
最大戦力である〈五娘明王〉を囮にすることで、彼女は他の禰宜たちすべてを新宿に集めてなすべきことをさせた。
神宮女音子を傀儡にさせた人質二人の奪還については、霧隠忍群の若長である霧隠明彦を向かわせ、中野・杉並を動いていた猫耳藍色と千代田区を探索していた明王殿レイを呼び寄せる。
快川の描いた図面をすべて読んでしまえば、あとはどれだけうまく終息を計るか、落としどころの問題であった。
実行部隊である〈八倵衆〉の三人を制圧できれば、あとは快川の本丸を叩けばいい。
そこで、たゆう自らが立ちあがったということである。
「わたくしたち、坂東最強の退魔組織を侮った報いを受けるべきですよ、おまえ様」
御所守たゆうはどことなく慈悲深く、しかし冷酷に事実だけを告げるのであった……
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