第530話「不動明王、新宿に見参す」



「〈孔雀明王飛翔呪〉って奴か。なるほど、まさかと思ってはいたが役行者えんのぎょうじゃの流れを汲んでいやがるのか」


 役行者?

 もしかして役小角えんのおづぬのことか。

 また、凄い名前が出てきたものだと僕は思った。

 そもそも〈八倵衆〉が襲名している過去の偉大なお坊さんたちの名前でさえなんだかんだで驚きなのに、それよりも前の世代の修験者がでてくるとは。

 でも、不思議じゃないかも。

 僕はさっき孔雀明王に連なる著名な僧侶っていないと断言したけれど、僧侶という条件さえなくせば、自然と出てくる名前がある。

 それが役小角なのだ。

 修験道の人ではあるけれど、確か前身は仏教の僧侶だったはずである。

 しかも、時代背景を別にしたとしてもただの修験者ではない。

 今風でいうなら“大超能力者”というべきエピソードを山ほど備えた鬼人なのである。

 なるほど、これで孔雀が仏破襲名というのをしていないわけがわかった。

 あいつはもう「役小角」を襲名しているのだ。

 ただし、その名前は仏僧のものではないから、異名として孔雀を名乗っているという訳か。

 すると、踏海というのは本名だろう。

 まあ、僕の想像が正しければ役小角の伝説にある通りに人間の癖に空を飛んだとしてももう不思議じゃないかも。


「ほお、ご存知でしたか?」


 空に浮かんだ遥か高みから孔雀が言う。

 ああ、そういえばこの術を使ってイグナチオ教会の十字架に乗っていたのか。

 目立とう精神が旺盛なんだな。

 正直に言うと、レイさんにぶっ飛ばされて上に逃げたはずなのに偉そうだ。


「ああ、役小角についてはちょっと座学でやったことがあるからな。まさか、その後継者とやりあう羽目になるとは思わなかったがよ」

「こちらとて同じこと」

「だが、鬼人と呼ばれてた理由もなんとなくわかったぜ。役行者もてめえ同様に、妖魅と人間のハーフだったってことか」

「さあ、歴史にきいてください」


 孔雀が両の掌を合わせ、下に向けた。

 また〈光印〉とやらを撃つつもりだ。

 しかも頭上からだと、避けるにしても目測を誤りやすい。

 さすがのレイさんも不利を悟ったのか後ずさる。


「オンギャク ギャクエン ノウバソク アランキャ ソワカ!!」


 真言を唱えると、またもあのビームが発射される。

 神の裁きの雷のように。


「ちっ!!」


 レイさんは腕をクロスさせて頭上にかざして、なんとか〈光印〉を受けきる。

 上を取られるということは確実に不利だ。

 わずかに段差でさえ、致命的な劣勢に立たせられるというのに完全に頭頂を獲られるというのは本来ならば確実に死んでいてもおかしくない。

 どうするんだ、レイさん。

 君は空を飛べないし、宙に浮かんだ敵に届かせる武器もない。

 絶体絶命の窮地なんだぞ!!


「ふんが!!」


 怒声めいた気合いとともにレイさんが手をかざすと、その中に西洋の鎧が持っているような盾が出現した。

 明らかにレイさんの身長と同じサイズなので隠し持っていたはずはない。

 だが、幻ではない証拠に孔雀の〈光印〉を金属の表面で弾いている。


(〈引き寄せ〉したのか?)


 いつか、たゆうさんが僕に見せてくれて、御子内さんも少しだけ使える〈引き寄せアポーツ〉の術だ。

 それでどこからか身を護る盾を引き寄せたのだ。

 どれだけ保つかはわからないが、これで当面は凌げる。

 しかし、反撃の手立てのないレイさんではこのままジリ貧状態が続くしかない。

 彼女を助けるためにも何かをしないと……

 僕は周囲を見渡した。

 使えそうなものはない。

 レイさんのKAWASAKIはこういう時には意味がないだろう。

 スカイターボのニイダーブレイクよりセイリングジャンプが必要な局面なのだ。

 さらにいうと、いつもの様に迂闊な囮役をしても意味はないと思う。

 あの〈光印〉は僕なんかでは避けられないし、囮をした後の戦略がなければどうにもならないからである。

 蛮勇で飛び出す前に知恵を絞らなければならない。


「どうすればいい?」


 僕が頭を掻きむしっていると、おかしなものが眼に入ってきた。

 レイさんのすぐ後ろに、光るが爆発でもしたかのように瞬き輝くと、彼女の足下から螺旋を描く真っ赤な炎が立ち昇ったのである。

 まるで彼女の周囲だけ焼夷弾で焼かれたかのように。

 しかし、中心にいる彼女は一切怯みもしない。

 さらに奇怪なことに炎が爆ぜる音すらまったく聞こえてこないのである。

 無音で渦巻く紅蓮の火炎。

 しかも、その火は燃え広がっていき、レイさんを包み込んだ。

 あれも孔雀の仕業なのか、と思った瞬間、


「ナウマク サンマンダ バサラダン カン!!」


 聞き慣れた女の子の唱える真言が轟き渡る。

 耳よ破れよと言わんばかりの大音声で。


「〈カーーーーーーーン〉!!」


 レイさんを包み込んだ紅い竜巻が留まることなく上昇し、頭上にいた孔雀まで届いた。

 さすがの孔雀明王もこれには驚いたらしく、必要以上に遠ざかる。

 氷のような白皙の美貌に戸惑いが浮かんでいた。

 だが、僕もそんな敵の様子なんて気にしている余裕はなかった。

 なぜならば、火に巻かれて見えなくなったはずのレイさんの姿が再び現われたとき、その背後には真っ赤な明王が顕現していたからである。

 降魔の利剣と羂索こそ手にしていないが僕でも見たことのある巨大な明王像そのままで。

 夢や幻とは言い切れない。

 本当に不動明王が降臨していたようであった。


「な……!!」


〈五娘明王〉という名前なんかは何度も耳にしていたし、彼女たちの人間を凌駕する戦闘力は散々見てきたけど、その本当の威力というものは知らなかったということか。

〈神腕〉さえも色褪せる絶対的な畏敬。

 それが……


「明王殿レイ……か……」


 炎を纏った不動明王を背負い、レイさんに仁王立ちする。

 守りのための盾はもう捨てていた。

 すでに必要ないということだ。

 彼女にとって最高の守りはもう降臨しているのだから。

 黒くて艶のある長髪が風に流される。

 その横顔は凛々しく端正だ。

 孔雀のフェイクじみた美貌と比べるだけ無理がある。

 妖魅の血を引いているらしい妖しい異形の美しさなんて、レイさんがこれまでなしてきたこととは天と地ほどの差があるだろう。

 孔雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。

 血に塗れた陰謀を企む狂った連中に対して、真っ正面から挑む女の子たちの輝きになにが勝てるというのか。


「くくく、それが〈五娘明王〉ですか!! 素晴らしいですね、仏法を守護する武神の姿は!!」


 その孔雀の問いに対して、レイさんは、


「バーカ、そんなちゃちなものじゃねえよ」


 と冷たく答えて、そして宣言した。


「こいつは、てめえみてえなムカつく奴をぶっとばすオレの憤怒さ」


 やはり不動明王は怒りでもって悪を撃つものと相場が決まっているのであろう……

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