第523話「二神邂逅」



 上智大学の敷地内は、周囲の都会の喧騒にまったく影響を受けていないかのように静かだった。

 僕の偏差値ではちょっと合格は難しいかもしれない名門校だから、最初から進学の視野には入っていなかったけれど、憧れがない訳ではない。

 というだけでエリートな気がしないでもないからだ。

 とはいえ、今の僕と隣りにいるレイさんにとってはどうでもいいことである。

 僕らはこの大学に付属する教会の傍に隠れているだろう仏凶徒を探しているのだから。


「……人払いの術を薄くかけていやがるな。これだと、警備員みたいなどうしてもここにいなければならないという意識のないものは、なんとなく居づらくなって近寄らなくなるんだ」

「強制的にみんなを追い出すというほどではないってこと?」

「まあ、そうだ。オレらみたいに慣れている連中ならともかく、うちの禰宜たちでも気が付かないかもしれねえ。〈八倵衆〉、やはり並みの術者じゃねえな」


 がらっぱちの脳筋に見えるが、レイさんは意外と博識で呪法などにも詳しい。

 退魔巫女の術なんかでも御子内さんと比べたら、超エリートといえる。

 僕の相棒の場合、まともに術らしいものを使っているところを見たこともないともいえるけれど。

 記憶にあるのは狙撃対決のときに使った〈梓弓〉という弓の術とたまに人払いをした程度だ。

〈社務所〉の道場では呪法そっち方面も叩き込まれるそうなので、どれだけ彼女が落ちこぼれだったのかわかる。


「ここで間違いないんだね」

「京一くんの推理通りだ。まあ、オレらが必死になって怪しいところを潰しまくっていたってのもあるけどさ」

「急ごう。夏だから日の出も早いし、そうなると見つかる確率もあがるから」

「―――見つかる確率は100%ってところかな」

「えっ」


 すると、レイさんはイグナチオ教会の十字架に視線を上げた。

 僕もそれに続く。

 人がいた。

 降魔の利剣のような十字架のてっぺんに人が立っていた。

 おそらく〈軽気功〉のようなものを使っているのだろう。

 前に柳生美厳さんも似たようなことをしていたし、霧隠もやっていたことだ。

 ただ、敬虔なるキリスト教の十字架の上に立つには似つかわしくない格好をしていることは確かだった。

 袈裟と言う法衣をまとった姿は紛れもなく仏教に帰依するものであり、キリスト教徒の庭に入るには相応しくない(それ自体はレイさんの改造巫女装束も同じだけれど)。

 しかし、十字架の上の僧侶が纏っているものはただの法衣ではなかった。

 一枚の長大な布を巻き付けて身に纏う原始仏教の僧侶のための法衣。

 袈裟を斜めがけにして、左肩から右腋へと流し、利き腕の右手だけを露出するものは偏袒右肩というが、この僧侶は反対に左手だけだしていた。

 僕の知る限り、右肩を出すのは敬意を表すものであり、もともと給仕などの仕事をするのに便利だったことから、仕える、敬意を表す、となったものだ。

 また、ほとんどの人は右手が利き手であるから、右手を露にする事は、攻撃しないことを示す礼の一種になっているという。食事など清浄なことに使う右手に対し、左手は不浄なものも扱う手なので覆って隠すともいわれているはずだ。

 では、逆に左手を露出するということの意味は一つだ。

 敬意を表さず、不浄なものを扱い、攻撃をするためということであろう。

 そして、僕が見惚れてしまったのはその中性的な美しさであった。

 背が高く、痩せていて、左肩から首へのラインは華奢そのものだ。

 僧侶の背中越しに月がでていて、その反射的な妖しさがさらに輪をかけて美貌を引き立てていたのかもしれない。

 天に昇った月が人へと化けたような若き僧侶であった。

 僕の知る一遍僧人とも文覚僧人とも異なり、頭を剃髪しておらず、自然なままに風になびいている。

 正直驚いた。

 こんなに美しいを僕は知らない。

 あのアイルランドの大妖精ぐらいしか、男性でこの妖しい美貌を持つものはいないであろう。

 それぐらいだった。

 つまり、として……


「てめえ、妖魅との混血だな」


 レイさんは若い美貌の僧侶の正体を見抜いているようだった。

 とはいえ、僕にだってわかる。

 あれは確実に人外のものだ。

 少し前にとある団地で御子内さんと戦ったある兄弟にも似た雰囲気があるし、あの手の美貌は僕の経験則上間違いなく人外だと断言できるから。


「―――よくおわかりで」


 トンと音がした。

 あれほどの高さの十字架から飛び降りて、それだけしか音を立てなかったということがどれだけの技術なのか僕にはわかる。

 少なくとも〈軽気功〉の功夫は忍びに匹敵するものだといえるだろう。

 風鈴のような声であった。

 人のものより無機物の放つ音のようであった。


「拙僧は、孔雀踏海くじゃくとかい。仏法と国を護る〈八倵衆〉の迦楼羅王でございます」


 聞き覚えのある名前だった。

 僕よりも強く反応したのはレイさんである。


「―――忘れることの出来ねえ名前だな、孔雀とやら。てめえ、鉄心を半殺しにした野郎だな」


 思い出した。

 孔雀踏海というのは、静岡県でレイさんたちの同期に当たる豈馬鉄心さんを病院に緊急搬送させた仏教徒だ。

 性悪な妖怪たちを狩りたてて、静岡で暴れさせ、その隙に奥多摩方面から安宅船を進行させようとした〈八倵衆〉が春に企んだ陰謀に関与した奴でもある。

 クラスメートの霧隠が剣呑な顔をしているときの大半はこいつのことを思い出しているといっていたぐらいだ。

 僕の予想とはまるで違う容姿の持ち主のようだが、品がありそうで慇懃無礼な態度はいかにもと言う感じだった。

 ただし、他の〈八倵衆〉、快川和尚とも雰囲気がまるで異なる。

 彼らはあくまで人間であり、あえていうのならば魔人であるが、こいつは正真正銘の妖人である。

 人とは到底思えない。


「拙僧も覚えておりますよ。貴女のように〈五娘明王〉でもないのにこの孔雀踏海に立ち向かおうとした蟷螂のことでしょう」


 カチンときた。

 なんて他人を見下した発言なのだ。

 少なくとも正々堂々と正面から戦った鉄心さんを蟷螂の斧だと侮辱するとはどういうことだよ。

 僕は鉄心さんを知らない。

 でも、御子内さんたちの親友の一人だというのならばきっと高潔で心優しい女の子に違いない。

 その人に重傷を与えた奴が言っていい台詞じゃあない。

 一遍僧人もそうだったが、〈八倵衆〉は自然体で他人を見下してくる。

 それが僕の癇に障った。


「……ホント、京一くんは血の気が多いなあ。あいつはオレの獲物なんだぜ」


 レイさんの言葉で我に返った。

 隣でレイさんがポキポキと指を鳴らしている。


「たゆうさまの話じゃあ、あいつは〈八倵衆〉でも最凶だっていうぜ。だったら、オレの出番じゃねーか」


 明王殿レイは、僕の知る退魔巫女の中でも最強の破壊力を持つ〈神腕〉の持ち主だ。

 こればっかりは御子内さんでも及ぶところではない。

 そして、何よりも彼女は……


「〈五娘明王〉の一柱・不動明王のレイ。〈八倵衆〉の迦楼羅王に決闘を申し込むぜ。のるか、そるか?」

「いいでしょう。そのぐらいでないと張り合いがない」


 人の身の不動明王対迦楼羅王。

 その激突が始まろうとしていた……

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る