第522話「―――舞う龍と」



 或子はよたよたとロープに寄りかかる。

 肩から先の感覚がなくなり、腕を上げているのかどうかも定かではなくなっていた。

 そうなると、さすがの御子内或子でも、文字通りにお手上げ状態であった。

 掌を顔の前に掲げる。

 考えている通りに手は動いてくる。

 だが、その感触はない。

 完全に神経が死んでいるようだった。


(まったくこれが神宮女の秘術かい)


 しかも、或子の勘はこれがクリーンヒットでないことを告げていた。

 まともに逆立ちの様な態勢からの蹴りを受けたというのに、それが真の攻撃ではないというのは矛盾のようだが、或子は自分の勘というものを信じなかったことがない。

 両腕が使いものにならなくなったことでさえ、たいして気にならなかった。

 まだ底がある敵に対して、今焦っていても仕方ないからだ。

 腕がなくてもまだ戦える。

 刀が折れたら腕で絞め殺せばいい、腕が切られたら肩で押し倒せばいい、肩が使えなければ歯で敵の喉笛を噛みきればいい。

 或子に叩き込まれているのは、そういう心得だった。

 

「さすがはアルっち。あれを喰らってまだ戦う気になれるんだ」

「腕が使えない程度で戦いを止めるボクだと思うのかい? 長い付き合いの癖に随分と友達甲斐がない奴だ」

「って、ただの腐れ縁。あたしとアルっちは違う。あたしはずっとあんたと並ぶのを望んでいたんだ、すべてをかなぐり捨てても」

「音子は昔からそんな目をしてボクに挑戦してばかりだ」


 神宮女音子はこれまで或子に勝ちこしたことがない。

 技の優越ではない。

 経験値の量でもない。

 まして、呪力の過多ではない。

 そんなもので済むのであれば、音子もレイも藍色も或子には勝ち越し続けているはずだ。

 だが、練習ならばともかく真剣勝負においては、実際に何度も苦杯をなめ、勝てると思った場合でも引き分けに持ち込まれていた。

 理由は簡単だった。

 あの小さな躰に秘められた闘う魂の力だ。

 諦めるとか、くじけるとかを一切認めないあの煌めく闘志だ。

 その輝かしい光がいつも或子を勝利へと導く。


「……負けない」


 東京が仏凶徒の魔手に侵される寸前だというのに、親友との勝負の決着しか見えなくなっているのも、ある意味では必然である。

 一方の或子も、


「返り討ちにしてやる」


 音子との戦いしか頭に浮かんでいない。

 どっちもどっちもという言葉があるが、この二人に限らず同期の巫女たちはみなこのような生態をしているのである。

 腕がないぐらいでは勝ちを諦めず、腕を奪ったぐらいで勝ったと思わない。

 ……ゆっくりと或子が中央に進む。

 両手はぶらりと垂れ下がったままだ。

 少し待っても感覚は一切回復しない。

 

(……神経を殺された、という訳ではないかな。毒でもないし、麻痺でもない。なるほど、これが神殺し用の技か)


〈五娘明王〉と呼ばれるのもわかる。

 あれをまともに食らえばボクでも沈む。

 それはわかっている。

 だからこそ、行こうか。

 迷いは武技を鈍らせるだけだ。

 躊躇いもなく右のミドルキックを放つ。

 音子が立膝で受ける。

 そのまま太ももを捕らえようとするが、放ったはずの蹴りとは逆方向から違う軌道を変えて襲い掛かる。

 双龍脚である。

 修業時代から見知っている技であり、かつてまともに食らったことのある攻撃なので音子には効かない―――ことをわかっているのならば……

 次に本命が来る!

 ルチャ・ドーラは或子がどんなことをしてきても捌けるように意識を集中した。

 黒い軌跡が斜めから飛んでくる。


(三連脚じゃね!!)


 右・左・右のコンボ。

 これならば手が使えなくても放てる。

 今の或子のチョイスとしては当たり前だろう。

 ならば、音子はこれを躱しきって、カウンターで再び〈大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉をぶちこんでやろうと膝をたわめる。

 肘と膝から撃つしかないという制約のある奥義だが、この距離ならばいける。

 得意の空中戦でないのは残念だが、或子という強敵を倒すのに手段を選んでいる暇はない。

 音子は第三撃目を前に踏み込むことで受ける。

 キックをこんな位置で抑えられたら、上半身は完全に無防備になる。

 そこに添えるように膝を当てて、敵の原子を停止させて破壊する。

 いかに或子といえどもこれで終わりだ。

大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉をまともに食らえば或子が死ぬこともありえるとわかっていたとしても、決して手を抜くことはしない。

 それが闘士であり、媛巫女であり、巫女レスラーの矜持であるからだ。

 防ぐのに上げた肩に衝撃が走る。

 

(えっ!?)


 意外と弱い。

 勢いを殺されたといっても蹴りの威力ではない。

 まるで子供に叩かれた程度の力の入っていない打撃。

 

 ……打撃?


 音子の経験がそれの正体に思い至ったのはほんの刹那の時間であった。

 

(右手!?)


 さっきの〈大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉の一撃で使いものにならなくした手を振っただけなのだ。

 つまりは、

 ―――読み負けた?

 それは致命的な一瞬だった。

 奥義のためのわずかな間がさらに反応を遅らせる。

 同時に音子は見てしまった。

 金色に輝く御子内或子の双眸を。


火眼金睛かがんきんせい!!)


 本能的に危機を察知した音子は不発に終わる可能性をあえて犯して、膝にためた〈大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉を発動させた。

 少なくとも相打ちには持ち込めると踏んだのだ。

 そして、それは失策だった。

 もしも彼女が升麻京一であったのならば別の手段を選んだであろう。

 御子内或子の奥義を―――〈闘戦勝仏〉を目撃したことがあったのならば。

 なぜなら、膝撃ちを狙った瞬間に、音子はつい飛び上がってしまったからだ。

 宙に舞っている間、すべての生き物は無防備になる。

 動けないからだ。

 それはたった少し前に自分が利用した法則だ。

 なのに音子は不用意にのである。

 御子内或子の狙いの通りに。

 或子の防がれたはずの左足が音子をすり抜けるようにして後頭部を押さえつけた。

 右足が反対側から顔を挟み込む。

 迅くて飛ぶ敵を強引に捕まえるためにはそれしかないとでも言うかのごとく。

 龍の上下の顎がかみ砕くように、或子は双龍脚をさらに昇華させて、音子の首を痛めつけた。

 そして、そのままマットに叩き付ける。

 ルチャ・ドーラのお株を奪う空中殺法で或子のギリギリの技が強敵ともを砕いたのである。


 ―――Capituloまけたよ


 薄れゆく意識の中で音子は敗北を認めた。

 その片隅で自らの力で助け出せなかった二人の禰宜の顔が浮かびあがり、それは升麻京一のものに変わる。


(お願い、京いっちゃん)


 こういうときぐらい、好きな男に依存したってかまわないだろう、と音子は恋敵にやられた直後に当てつけのように想っていた……




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