第521話「親友とは宿敵の別名」



 京一という観客がいなくなったことで、二人の巫女は一気にヒートアップした。

〈社務所〉の退魔巫女とはいえ、やはり一人の少女である。

 気になる少年の前で、あまりにはしたなく暴れたりはできなかった。

 普段の自分たちがどれだけ漢前であろうと、そこはそれ、やはり多少は女の子であったということである。

 当の気になる少年からしたら、「二人ともいつも通りだったよ」などという身も蓋もない発言が飛び出したであろうが、少なくとも御子内或子と神宮女音子はまだ正体を隠しきれていると確信しきっていた。

 だから、京一の気配が消えると同時に、これまでよりもさらに激しくギアをあげた。

 フットワークというよりも飛んで撥ねるというのが相応しい音子の奇襲が想像もしていない位置からなされ、対する或子は動物並みの反射神経と眼の良さで受けて凌ぐ。

 側転蹴りからの手による足払いや、トップロープの反動を利用したオーバーヘッドキックなど、多種多様な飛び道具の引き出しを細かく利用しつつ、最初に見せた寝技のイメージが拭えないようにタックルのふりもする。

 或子からすると狙いが定めきれないのだ。

 何か一つに絞れば、その逆を衝いてくる作戦なのは明白すぎて、手が出しづらいのである。

 流れの奪い合いでことごとく後手を取らされたのも大きい。

 或子の得意ななんちゃって八極拳の、崩拳も鉄山靠も技の出が早い分一直線にしか放てないので変幻自在の音子に当てられないのだ。


(さすがはアルっち)


 だが、舌を巻いていたのは実は音子の方であった。

 彼女は相手の意識を上へ上へと誘導しつつ、腰から下へのタックルを行う隙をずっと伺っていた。

 初手の段階でわかったが、或子も寝技の対策は十分にできているが、いかんせんそれは柔道のものに限ることは明白だ。

 アマレス的なグラウンドを駆使する音子とは相性が悪い。

 だから、もう一度倒してしまえばそれでいけると踏んでいたのに、どれほど揺さぶっても倒れてくれないのだ。

 不撓不屈というのは、倒れても起き上がってくるもののことをいうが、倒れも倒されもしないものはなんといえばいいのだろう。

 初めて会ったときからそれは決して変わらない在り様だった。

 しかし、これまでの経緯も含め絶対にあたしが勝つ、と音子は断固たる決意を固めていた。


「―――そんなに人質を助けたいのかい、音子」

「ノ」


 或子の問いをにべなく否定する。

 人質の命を賭けられていたからこれほど必死なのではない。

 あたしはただ目の前の最強の親友を倒したいだけなのだ。


「奴らが人質を殺さないと高を括っている……というわけではないか」

「シィ, でも、あいつらはまだ禰宜たちを殺してはいないと思う」

「何故、そう思う?」

「本当にあたしにいうことを聞かせたいのならば、二人のうちの一人をすぐに眼の前で殺す。人質にとるのは二人もいらない」

「確かにそうだ。ボクでもそうする。でも、しないということは……」

「今のところは殺す気がないということ」


 或子は演武のように親友の技を躱しつつ考えた。

 殺す気がない……

 明日には未曽有の大量殺戮儀式を執り行おうとしている連中が、敵対組織の構成員の処刑をしない、というのか。

 それはとてもおかしな話だ。

 相手が普通の仏教徒ならばともかく、仏凶徒と呼ばれているのはそういうまともなモラルの通じない狂人揃いの集団だからである。

 人質の命など路傍の石も同様のはず。

 では、なぜ。

 しかし、実力伯仲のライバルと死力を決する戦いをしている最中にできる思考ではない。

 普段ならば考えることを丸投げできる相棒も別の目的のためにいかせてしまった。

 よそ事をしながらやり合える相手ではない。

 つまり或子にできることは戦うことだけなのである。


(まったく、最初から最後までガチのセメントをするつもりなのかい)


 あまりにも空気を読まない対応だと内心非難した。

 だが、次の瞬間には戦いに没頭している自分に気が付く。


「音子、キミってやつはどうしようもないバトルジャンキーだよ!」

「全部かなぐり捨てろって言ったの、アルっちじゃん」


 出会いの時のことは忘れていない。

 だからこそ、久しぶりにめぐってきた、そして最後になるかもしれない私闘に全力を賭ける。

 後先考えない脳筋が彼女たちの強さの秘訣でもあるのだから。


「いいさ! キミの気持ちもよくわかる。ボクらはいつだって拳を合わせなければ始まらない平和主義者さ!」


 二人の巫女はいったん離れた。

 対角線上のコーナーに身を預ける。

 媛巫女同士の戦いでは、レギュレーションは決まっている。

 時間無制限一本勝負だ。

 まだランドセルを背負っているのが似合う年ごろから彼女たちが叩き込まれた掟の一つである。


「ボクの京一がなんとかするまで時間を稼ごうと思っていたけど、もうやめだ。そろそろ血が滾ってきた。ボクの心は爆発寸前だよ!」

「シィ. それでこそ、アルっち。いい機会だから、あの時の借りをそろそろ返させてもらう」

「くるがいいさ」

「行くよ、チビすけ」


 音子は足の裏に〈気〉を溜めて爆発させる気功術の歩法で、あっという間に間合いを飛び越えた。

 しかも、横に側転しながらというアクロバティックな動きをもって。

 蛇に魅入られた蛙も同様に或子は動かない。

 いや、動けなかった。

 それだけ早かったというよりも、何をしてくるのか不明すぎたのだ。

 さっきからの戦いを思い起こす限り、音子の戦法はすべて斬新で奇抜なものばかりだ。

 あえて呼ぶのならば戦いのファンタジスタだった。

 ことごとくこちらの意表をついてくる。

 この側転からの攻撃も、到達寸前に蹴りに変え、サッカーでいうアウトサイドキックの要領でこめかみを撃ち抜こうとする。

 その場合、回転した上半身で足首を狙うのが今までのやりかたなので、或子は正面から迎え撃つわけにはいかず、またも受け身の姿勢に入る。

 だが、今度は違った。

 或子の足下で逆立ちしたままぎゅっと屈むと手の屈伸の力だけでバネのごとく飛び上がったのだ。

 空破弾という技であった。

 しかも、いままでは足の裏でしか使わなかった〈気〉の爆発を掌で行う。

 これも音子にとっては温めていた裏技である。

 他の巫女ではほとんど使えない、音子考案の戦闘法であった。

 掬いあがるロケットのような軌道のドロップキックを十字受けでかろうじて防ぐ。

 ただし、その勢いは恐ろしく、或子の躰を三十センチも浮き上がらせた。

 空中に飛ばされるということは一瞬でも身動きが取れなくなるに等しい。

 人は動くとき、何かを押す力がなければならないのだから。

 強引に浮かび上がらせられた或子には重力の縛りという枷が架せられる。


「ちぃ!!」


 細身ということでは或子以上の音子だが、その一撃は想像以上に重い。

 だとわかっていても、為すすべもない。

 その上、音子は空破弾を撃った瞬間、さらにトドメといってもいい行動に出ていた。


大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉を同時に唱えたのだ。

 

 すべての音を消す、神宮女の秘術。

 さらにそれの効果を肘膝に乗せることで原子の震動を止めて、すべての中心の芯までも砕く必殺の攻撃。

 手足の先端には十分に術力を籠められないため、或子の腕を破壊することまではできなかったが、受けた両腕の神経を麻痺させることに成功する。

 腕の感覚がまったくなくなった。

 痺れているのでも痛がっているのでもなく、ただ両腕がなくなったかのような空虚感。


(これかいっ!!)


 初めて体験する異常な感触に驚く。

 これまで受けてきたどんな攻撃とも違う。

 骨の髄まで響く打撃を受けたときとも異なる。

〈気〉による筋肉の硬化がまったく無効化されたのすらわかった。


(〈五娘明王〉の一柱・大威徳明王の力がこれか!?)


 或子にはない神の化身としての能力。

 これが〈社務所〉の切り札。


 マットに着地しても、腕の虚無感は消えない。


 腕がついていることは見ればわかる。

 だが、一切の感触が消えていた。

 力が入っている自覚もない。


 もう腕はないものと思わなければならない。

 それは音子相手には負けたに等しいハンデのはずだった。

 しかし、或子の瞳からは闘志の輝きは消えない。

 敵は宿命のライバルにして親友。

 そう簡単に白旗をあげることはしない。

 そして、頭の悪いことに―――御子内或子は敗北を従容と受け入れるタイプではないのだ。

 

 

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