第520話「秘術〈風狂〉」



 猫耳藍色ねこがみあいろの闘技は、しなやかで洗練された機械を思わせる。

 ボクシングという研究されつくした闘法の実践者であるからだ。

 一度、退魔巫女の道を退いた彼女が流れ着いた合戦場という賭け試合の場所でも、彼女の技の美しさが翳ることはなかった。

 激しいコンビネーションブローを放ちながら、その狙いは正確無比で、同時にフェイントと防禦を混じえてくる攻防一体の型。

 拳で殴る以外は認めないという、ストイックなルールから純粋すぎるほどの努力をしなければならず、同じように練磨したライバルを倒すために鎬を削るため研鑽。

 ゆえにどんな格闘技を学んだ闘士は例外なく「ボクシングは強い」と称賛するのである。

 藍色もまた自身の技術に誇りを持っていた。

 だが、その彼女の渾身の打撃がすべて弾かれ、受けられ、防がれていた。

 あらゆる攻撃が一休僧人のしゃれこうべのついた錫杖によって受け止められていたのである。

 この廃棄僧侶が全盲・ろう者であり、周囲の震動を代替としているということはわかっているのに、まったくパンチが当てられないというのは異常である。

 しかし、すべての奇跡にタネや仕掛けがないことはない。

 見たところ、いかにもそれっぽいものが見受けられる。


「それは〈髑髏本尊〉ですか?」


 熊埜御堂てんが捕らえた文覚僧人という〈八倵衆〉が使っていたという呪力を仏の領域まで引き上げるという魔具の存在は知っていた。

 実際に見物させてもらうとあまりの禍々しさに眼底が痛くなったほどである。

 一休僧人の錫杖のしゃれこうべもそれではないかと聞いてみた。

 問うて答えるとは思っていなかったが、その名の通り猫の様な部分がある藍色は好奇心がかなり強い。

 聞いてみずにはおられなかった。


「……ほお、〈髑髏本尊〉を知っておるか。文覚めあたりが喋ったものか。だが、知られて困るものでもない、教えてやろう〈魔猫〉」

「どうぞ」

「これはただの飾りよ。金剛石のように硬くできてはいるが、呪力をあげたりする仕組みはない。初代一休和尚が正月に持って回ったものと似たようなだ。めでたくもあり、めでたくもなしさ」


 だが、それではこの先読みの神業ディフェンスの理由がわからない。

 藍色は心が読まれているというよりも、何手先までも読み取られているような錯覚に襲われていたのだから。

 決められた位置に定められた攻撃を延々続けているようであった。

 いったい、どうやって藍色の動きを見切っているのかがわからない。

 震動を使っているとは思うが、しかし、それだけでこんな完璧な防御ができるものだろうか。


「うぬを完封しておるのは、この一休の秘術〈風狂〉だよ」

「〈風狂〉?」


〈八倵衆〉はすべて驚天動地の業を使うと言うが、この一休も例外ではないということだろう。


「ふふふ、〈風狂〉といへどもこの純子あり。常軌を逸した心を持つものだけが使えるのが、この〈風狂〉よ。風に任せ、雲に任せて大地を彷徨うものだけが使えるものだ」

「にゃるほど」


 とはいったが、それでなぜこれほどまでの先読みができるかどうかの答えにはなっていない。

 ただ、この巨漢が一休の名を仏破襲名したのは、その精神が産まれつきのハンディキャップによって普通とは違う精神に達したからであろうか。

 生死を越える達観、悠然と戦いに挑む豪胆、そういった修行がここまでこの僧侶を怪物にのしあげたのだろう。

 さすがに攻め疲れして息切れしそうなところで、藍色は後退した。

 想定以上に

 ボクサーの手業を完全に受けきることなど実戦では不可能に近い。

 あの天性の見切りを誇る御子内或子でさえ、十発放てば三発は掠るし、一発ぐらいはダメージを与えられる。

 だからこそ、この〈風狂〉という秘術は恐ろしい。


(すべての攻撃を受けきる―――術の類いでにゃければ不可能ですね)


 このまま行くと、ジリ貧なのは間違いない。

 しかも、〈風狂〉だけがあの巨漢の特技ではないだろう。

 あれは防御のためのものだ。

 間違いなく攻めるための技も持っているはず。 


「しかし、惜しいな〈社務所〉の巫女よ」

「にゃにがですか」

「この世に蔓延る名誉や、美食や金は人間をダメにする。とくにこの帝都のものどもは酷すぎる。こんな薄汚い街に住む者どもを守ってどうする」

「……」

「うぬも〈五娘明王〉であることはわかっているが、神道の者でありながら仏法を駆使するのは許そう。その若さで過大な修業をしたことがわかるからな。しかし、せっかく得た御仏の力をこの末世の街のために振るうのは止めるべきではないか」


 一休は懇々と語る。

 坊主の説教は長いものと相場が決まっているからだろうか。


「悪しき妖魅かに民草を護るのが〈社務所〉の姫巫女の使命ですにゃ」

「それは偽善だ。人の営みのなかに例え善くないものがまざろうとも、それも自然の理である。うぬらがわざわざ護ってやるほどのものではない。放っておけばいい」

「……」

「嘘をついてはいけない。うぬらとて、決して守りたいものばかりではなかったはずだ。苦汁を舐めたこともあるはずだ。汚泥を浴びたこともあるはずだ。それがニンゲンのやることであり、まさに真実のニンゲンなのだ。なのに、綺麗ごとを連ねて生きるのは自然に反してはおらんか」


 彼の言に衒いはない。

 本当にそれが仏法であると信仰しているのだ。

〈狂雲子〉一休の名を襲った魔人らしい破たんした思想ではあったが。

 真実を求めれば偽善は憎むべきものとなる。

 たとえそれが、悲しむべき、愛すべき理由があったとしても、真実を糊塗する偽善は排除しなければならない。

 そのために―――東京都の人間がどれほど死のうと気にはならない。

〈八倵衆〉の目指す真実のために人類愛などと言う偽善は除き抜かねばならないのだ。

 仏教徒に限らず、宗教の徒にはこれに近い教義を採るものもいる。

 神の教えとはこういう盲目的な正しさなのだと信じて。

 しかし、藍色は少女らしい潔癖さでそれを拒絶した。


「綺麗なことが好きでにゃにが悪いんですか?」


「なんだと」

「世の中には絶対に正しいことやただ一つの真実だけがあるのかもしれにゃいです。でも、綺麗だと思って、その美しさを好きににゃって、守ってあげたいにゃと思うことがいけにゃいことにゃんですか」


 滑舌の悪い藍色はあまり大声で長く語らない。

 だが、言わねばならぬ時はあった。

 今がその時だ。


「あにゃたがたは奥多摩でもこんにゃ恐ろしい企みを実行に移そうとした。でも、それをわたしの可愛い後輩が引っ繰り返した。あの子はこういう沢山の誰かが不幸ににゃるのを許さにゃい子だから。―――今度もまた、あにゃたたちは、似たようにゃことをしようとしている。あの子が―――熊埜御堂てんがいたら許さにゃいことを」


 だから、藍色は再びピーカーブーを作る。

 今はいない後輩のために。


「本気をだしにゃさい、〈八倵衆〉。わたしだって、まだ本気ににゃんてにゃってはいにゃいのですよ」

「小娘、推参なり」


 ここにいたって、〈八倵衆〉一休僧人はついに本気を出すことを決めたのである。




 

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