第519話「一休さんに歯向かう子猫」



 武門の産まれというわけではないが、同期の巫女たちの中で猫耳藍色以上に戦いに特化した血筋はいない。

 唯一、上回るというと刹彌皐月だけであろうが、刹彌流柔は武術というよりも禁裏の御一族を警護するための特殊能力なので規格外というべきである。

 ゆえに江戸時代の初期から〈魔猫〉と恐れられた猫耳流交殺法を継承する彼女の家柄が最も際立つといっていい。

 血筋のせいか、藍色には敵の力をひと目である程度まで見抜く能力がある。

 父親は〈猫眼びょうがん〉と呼んでいたが、要するに戦力差を見極めるための観察力であった。

 その際に瞳孔が妖魅のごとく黄色に輝くので、藍色としてはあまり使いたくない力ではある。

 仕組みはわからないが、元来ニンゲンのものではない力なのだろう。

 だが、好き嫌いを言っている場合ではない。

 藍色は〈猫眼〉を使って〈八倵衆〉一休僧人の姿を観察した。

 そして、驚愕する。


(眼が見えず、音も聞こえにゃいって……!?)


 一休僧人のかすかな動きや視線のやりとりで藍色が見取ったのはそんな驚愕の事実だった。

 足の踏み込み方、藍色の言葉に対する反応、言葉の方角、……すべてが盲目・聴覚不全を証明している。

 では、どうやって先ほど、藍色との会話を成立させたのか。


「震動……かにゃ」

「ご明察だ、〈魔猫〉よ。この一休の本質にこの短時間で至るとは、くくく、坂東の〈社務所〉を女子供の溜まり場と侮っておらずにいてよかったわい」


 一休は身長が190センチを越えて、しかも肩幅が異常に膨らんんだうえ、丸太の様な猪首のせいで巨漢と言うのが相応しい壮年だった。

 一本も髪がない禿頭もあってか、ただ自然と立っているだけで迫力のある威圧感が吹きつけてくる。

 しかし、藍色を怯ませたのはそれではない。

 彼女の〈猫眼〉が伝えたのは、この〈八倵衆〉の男が一切怖れを感じていないらしいという点であった。

 戦うことも、痛みを受けることも、藍色自身も、まったくといっていいほど恐れていないのだ。

 これはある意味ではありえないことである。

 どんなに闘争本能が横溢していたとしても、人間である以上、命のかかったやりとりについては一定の躊躇が生じる。

 生きているものは、死がかかることに関してはやはり敏感なのだ。

 死を恐れないもの、それは死人しかいない。

 だが、この一休僧人という廃棄僧侶は……


「……なに、うぬが弱いとかそういうことはない。この一休、生来、眼が見えんし音も聞こえん。しかし、この世の全てのものが放つ微細な揺らぎが一休に万物の往来を教えてくれる。生死の境もな」

「にゃるほど、へその緒切ったときからそんにゃ環境でいたのにゃら、死人しびととにゃっても特段の不思議はにゃいですか」

「そうだ。ゆえにこの一休は無敵なのだ」


 しゃれこうべのついた錫杖をじゃりんと鳴らして一休は仁王立ちをする。

 その姿はまさに天上天下唯我独尊。

 明日の命も知れぬ人間世界の無常を知り、生死を越える世界に眼を開けという仏の教えの究極の体現のようでさえあった。

 色も楽もない世界を揺らぎのみで生きる超越者―――それが一休僧人であった。


「……じゃあ、その手首の痣はにゃんですか?」


 ただ、藍色の〈猫眼〉はもう一つの事実も読み取っていた。

 それを見た瞬間、死人のような一休に対する畏れがすっと消えていくのを感じた。

 自分でも現金だと思ったが、きっと藍色だけでなく他の同期たちも同じように境遇に至ったであろうことは想像に難くない。

 親友たちはみんな同じようなデキの度し難いものたちばかりだからだ。


「なんの話だ?」

「あにゃたの手首に青い痣がついています。わたし、それをみたことがあります」

「ん?」


 盲目の一休には自分の手のついた痣などわからない。

 そもそも鏡さえみたこともないのだ。

 だから、藍色のいうことがピンとこなかった。


「それがどうしたのだ」

「音子さんを捕まえたのはあにたにゃんですね」

「―――おとこ? ああ、大威徳明王のことか。そうだ、うぬの同僚を倒したのはこの一休だ」


 藍色は鼻でせせら笑った。

 にやにやと名前の通りにチェシャ猫のように。


「あの音子さんを倒した? あにゃた一人でですか。そんにゃことある訳がにゃいでしょう。二人がかり、いや、三人がかりぐらいでにゃければ彼女を制圧するにゃんてできるはずがにゃい」

「―――」

「彼女は大威徳明王の〈五娘明王〉にゃんですよ」

「それがどうした?」


 いつものピーカーブースタイルに構えた。

 リング上ではなくストリートでもボクシングは使える。

 蹴りも、極めも、絞めも、投げすらもないと揶揄されるボクシングだが、すべての格闘技同様に路上でカスタマイズすれば最強の一角に食い込むことが可能だ。

 そして、猫耳藍色は―――最強の巫女ボクサーなのだ。


 すいっと前へフットワーク軽く近寄ると、いきなりの左ストレートをぶちこむ。

 あまりにも早いパンチだったが、それは錫杖のしゃれこうべの額で受け止められた。


「音子さんと戦って、あにゃたが無傷な訳はにゃい」

「残念だったが、一休の〈風狂〉を使えばどんな攻撃もこの玉体に傷をつけることは叶わぬ」

「その〈風狂〉とやらは、心に負った傷さえも防げるのですかにゃ」


 左、右、左のコンビネーションブローが放たれるが、それはすべてしゃれこうべに遮られた。

 まるで完全に軌道が読まれているかのように。

 しかし、自分の手数が謎の理屈で防がれたとわかっていても藍色は動じることもなかった。

 むしろ、一休の方がやや戸惑っていた。


「どういうことだ?」

「知れたことです」


 右のジャブを二連続で放ち、反対側からの抉るようなボディブロー。

 しかし、それさえもまるで金属が磁力に引きつけられるように錫杖で防がれる。

 ダメージは一切ないかのようであった。

 はたしてどういう理屈なのか、藍色の鋭いパンチはことごとく無効化されていく。

 それなのに巫女ボクサーは一切へこたれない。


「あにゃたの手の痣が神宮女音子によってつけられたと同様に、わたしたちと戦ったものが無傷でいられるはずがにゃいのです。いいですか、あにゃたは如何にも無敵そうに振る舞っていますが、そんにゃことがあるはずにゃい。音子さんはきっとあにゃたに拭い難い傷をつけているはずです」


 藍色は確信している。

 あの道場で最後まで研鑽した十一人の仲間が、まして〈五娘明王〉の一柱が、為すすべもなく制圧されたはずはないことを。

 この得体の知れない巨漢の仏凶徒がどれほどの秘儀秘奥を持っていたとしても、崩すことができる切っ掛けがあると信じていた。

 だから、あとはいつも通りに戦うだけである。

 例え、敵が関西の魔人であろうとも。

 例え、この世を滅ぼす神々が来ようとも。

 


 ―――〈社務所〉の媛巫女は、

 



 

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