―第66試合 妖魅都市〈新宿〉 4 ―
第517話「魔縄自縛」
近年の選挙には、期日前投票というものがある。
これは選挙当日に投票所に事情があっていけないものたちが、国民の権利である選挙権を行使しないのはもったいないということで、各自治体が特定の場所に限って認めているという制度だ。
中野区でも、中野区役所、南部すこやか福祉センター、東部区民活動センター、江古田区民活動センターなどの七か所で開かれ、今回の都知事選に限り中野サンプラザの一角に設けられることになっていた。
園部麻広は翌日にも仕事があることから、中野サンプラザで投票を済ませ、自宅に帰宅した。
駅から中野ブロードウェイの入り口で右折した先にある、入り組んだ五丁目が彼女のアパートがあった。
コンビニで買ったサンドイッチを齧りながら、髪をかき上げると洗顔液で化粧を落とし、口紅とカラーをタオルで丁寧に落とす。
鏡にはあまりみたくないすっぴんの自分が映っていた。
今日は事前投票所の開いている時間に戻ってこれたが、明日はきっと無理だろう。
それに今回の都知事選は開票直後に終わってしまう可能性が高い。
本命三人があまりにも知名度が高すぎるのだ。
他の候補は泡沫候補扱いされてしまっているぐらいに偏った報道の結果でもある。
だから、麻広も最初はその三人のうちの一人に投票する予定であった。
だが、銀行に寄るために降りた東口で演説している候補者の一人の声に何気なく耳を傾けたときに気が付いた。
自分が誰に投票すべきなのかを。
それは―――彼氏だった。
正確にいえば元彼氏だ。
しがないショップの店員でしかない彼女に言葉巧みに金を出させ、怪しい会社の役員にして、そのまま計画倒産させてどこかに消えた男。
おかげで麻広の通帳にはかろうじて五桁という金額しか残っていない。
もう来月の家賃も危険な状況だった。
だから、落ち込んでいる暇もなく本来の仕事にせいをださなくてはならなかった。
もう金粉含有したという歯ブラシセットを売り歩いている余裕はない。
とりあえず生活するための費用が必要なのだ。
ただ、そんな中でも都知事選にしっかり投票していたのは彼女の意識の高さなのかもしれない。
よい大学を出たはずなのに就活に失敗して、ただのショップの店員となり、朝から晩まで立ち仕事を繰り広げる自分を救えるのは政治しかないと思い詰めていたのである。
政治には即効性はない。
民主主義と同じですぐに効果が出るものではない。
誰かがトップに立ったとしても目に見えて良くなることも悪くなることも稀だ。
だが、麻広は元カレのあからさまな虚言にだくだくと従ったように、次は政治家の意見に批判無く依存しようとしていのであった。
そんな彼女だったというのに、土壇場で考えが変わった。
投票をすべきなのは候補者ではない。
あたしを玩んだ元カレだ。
あいつの名前を書くべきだ。
たった今東京都内で企まれている呪詛について知識がなければわからない異常な発想のもとに、麻広は選挙管理委員会の係から受け取った鉛筆で元カレの名前を記した。
書きものスペースに張られた立項者一覧に眼をやると、すべて元カレの名前で埋め尽くされていた。
つまり、こいつの名前を書けと言う神様の思し召しだ。
二度と思い出したくないはずの名前を熱意をこめて書き記し、そのまま投票箱に放り込んだ。
なぜ、そんなことをしたのか、麻広が深く考えることはない。
彼女は中野駅前の演説―――快川和尚のいうところの〈亦説法〉による洗脳暗示を受けていたからであるが、誰がそんなことを理解できるだろうか。
そして、この驚天動地の恐るべき呪詛のルールに従えば、明日の投票日に、同じ名前が二枚以上重なり合えば、対象者は即刻地獄に落ちることになる。
心臓麻痺という死因のもと。
園部麻広の元カレが、彼女以外に恨まれておらず、例え恨まれていたとしても〈亦説法〉を聞かされていなければ助かる可能性はあるが―――
「死んじゃえ、バーカ」
女の敵であるクズが、他の誰かに恨まれている確率はきっと高いであろう。
そして、600万以上の投票がある都知事選だ。
きっと明日は至る所で死が選挙されるであろう。
もっとも、恨んだ誰かを呪い殺したはずの麻広のような一般人が気が付くことは一切ないのであるが……
◇◆◇
二人の巫女の戦いは十分近く続いていたが、ほぼ膠着状態であった。
どちらも互いの手の内をだいたい把握していて、問題となるのはこれまで隠してきた部分という状態であるから、なんとも思い通りに進められないのだ。
僕は彼女たちを見ていた経験からすると、もし戦いに奥義というものがあるとすれば、それはリズムや流れの奪い合いのやり方であると思う。
大規模な戦争ならばともかく、おそらく人同士の闘いレベルにおいてはどうしようもない運というものと、意図的に流れを読み取って支配する感覚・経験、そのどちらも揃っていさえすれば高確率で勝利できる。
確実、とまではいかなくても。
そして、御子内さんも音子さんも百戦錬磨の常勝不敗だ。
まさにそのどちらも兼ね備えた闘士なので、当然、やることは限られてくるし似通ってくる。
当初、未知の寝技と蟷螂拳で優勢を保ち、なんとか流れを支配していた音子さんだったが、短期間での修正力という点では御子内さんが上回っていた。
音子さんの失策は最初のいい流れを繋ぎ止めていられる間に、致命的な一撃を与えておくことだったのに、要領よくイニシアチブをとれただけに終わってしまった点だ。
気が付くと、二人は互角のまま均衡が続いていることになっていた。
だが、それは無為に時間を浪費するという、こちらとしてはあまりよくない状況なのであったが。
「……音子、キミはどんな呪縛を受けているんだ」
「ノ. 教えられない」
「なるほど、教えたら対策されてしまうというものなのか。しかし、〈五娘明王〉になったキミを縛るほどの呪法なんてあるのかな。お義祖母ちゃまがいうには、〈五娘明王〉には人間離れした生命力と回復力、並外れた神通力が備わって魔術や呪術をほとんど受け付けなる体質になるそうじゃないか」
「シィ.」
「なのに、キミはどういう訳か〈八倵衆〉に従っている。何故だい?」
「―――別にあたしには関係ないし」
「よし、わかった」
そういうと御子内さんがチラリと僕を見た。
アイコンタクトというべきか。
でも、僕にはその意味が呑み込めた。
御子内さんの相棒であると同時に、僕は音子さんの友達でもある。
だからという訳ではないけれど、この一連の流れでわかったことがある。
戦いではないけれど、僕にも流れというものを読み解く力はつき始めているのだ。
「うん、任せて!」
僕は〈護摩台〉からそっと離れた。
誰が見ているかもわからない。
見ているとすれば、それは〈八倵衆〉だろうけれど彼らみたいに強い連中が僕のような吹けば飛ぶよな木っ端の動きに注視しているはずがない。
御子内さんがあまり意味のない大技をだした瞬間に、反対側の茂みの中に飛び込む。
得意の紫電四連脚だった。
まともに当たればトドメの一撃にもなる必殺技だが、あれは僕を動きやすくするためのフェイクだ。
音子さんもそれにのってくれたらしく、大技のでた隙をついたりはせず軽く流してくれた。
監視しているだろう誰かの注意が僕から引き離すための演技だった。
おかげで僕は自由になった。
問題はここからどうするか、だけど……
スマホを取り出して、さっきの〈社務所〉のIT担当の禰宜さんに連絡を取った。
当然、サイレントモードだ。
すぐにメールの返事が届いた。
〔現在、連絡がつかないものが二名ほどいる〕
やっぱり。
「誰ですか」
チチチ
〔神宮女様の捜索に従っていた禰宜が二人だ。ともに霧隠一党の腕利きで、名前は壬生と出雲〕
―――ビンゴだろう。
呪術の効かない躰になった音子さんを従わせられるとすれば、それは買収か脅迫しかない。
だが、前者には決して屈する彼女たちではないので、答えは明白だ。
(禰宜さんたちを人質にとられているのか……)
こういう時に優しさは罪だ。
御子内さんたちみたいな優しい人たちはこうやって意にそぐわないことをさせられる。
だけど、一番悪いのは人質を取ってやりたくもないことを強要させる連中なのだ。
優しいことは絶対に悪ではない。
音子さんは禰宜を人質にとられて御子内さんの足止めをさせられている。
御子内さんもそれには気が付いていた。
ならば、僕のやることは二人の闘いが最悪の結果を迎える前に禰宜さんを助けることだ。
“深き森に囲まれた神の剣の刺さる城”
多分、敵はそこにいる。
人質の禰宜さんたちも。
急いで見つけ出さないと。
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