第516話「〈五娘明王〉猫耳藍色」



「……けったいな髪型とボクシングのグローブという傾いた格好の巫女。うぬが、猫耳流か?」


 ひと目で正体を見抜かれたというよりも、家伝の交殺法について知られていたということが藍色には驚きであった。

 仏凶徒が関東侵攻のために準備を進めていたとすれば、最大の難敵である自分たちの存在をスカウティングしていないはずはない。

 調べられていて当然といっていい。

 しかし、猫耳流交殺法は江戸のみに伝えられた御留流であり、他の地域では現存もしていないマイナーすぎる流派だ。

 知られているというだけでなんとなく嬉しくなってしまう。


(パパが聞いたら死んで驚くにゃ)


 ただし、猫耳流そのものについてはほとんど知らないはず。

 それほど露出の少ない流派なのだ。


「江戸の寛永年間に将軍家御前試合にでてきた音に聞こえた剣士どもを素手で撃退したという魔猫の子孫であったな。……なるほど、江戸の守り神と謳われていた理由がわかるぞ」


 一休僧人はリスペクトすら感じ取れる賞賛を発した。

 対峙してみて初めて分かるが、この感想はまさに本心そのもののようであった。

 まったく他意も敵意も感じ取れない。

 言われた当人が困惑するほどである。


「……それは、どうもありがとうです」


 素直に礼を言ってしまう。

 ついでに余計なことまで聞いてしまった。


「えっと、江戸の守り神ってにゃんですか?」

「誤魔化すではないぞ。うぬら猫耳流が江戸二百年の歴史の中で果たしてきた役割について、一休らが知らぬはずはないだろう。此度の帝都侵攻においても、うぬの調査は怠っておらぬ」

「……あらにゃあ」


 まさか、そんなことを宣言されるとは。

 しかし、ご先祖様も余計なことをしていたものだ。

 歴史の影に埋もれたマイナー武術のはずなのに、どうして綿密に調査されるなんてハメに陥っていたのか。

 

(パパは―――猫耳流にゃんて地味で目立たにゃい格闘技にゃんかやめてボクシングがやりたかったんだと主張していたけど、もしかしてあれは嘘だったの?)


 そういえば父親は狂がつくほどのボクシング好きだ。

 おかげで藍色の母親に逃げられてしまうほどに。

 ただし、猫耳流の長男として後継者になるために家伝は完璧に叩き込まれていた。

 父親が恐ろしいほど強いということを藍色はよく知っていたが、同時にボクシングが三度の飯よりも好きなことも知っていた。

 そして、彼は物事に対して常に言い訳を用意することを怠らない周到な男だった。

 つまり自分が流行のボクシングにはまるためには、先祖伝来の武術の価値を相対的に低く設定しなければならず、本人の楽しい人生のためにずっと娘にまででたらめを教え込んでいた疑惑が発生したのである。


(……まあ、いいかにゃ)


 かくいう藍色もボクシングが好きで、今では巫女レスラーならぬ巫女ボクサーなどと呼ばれているほどなのだから。

 猫耳流の技はすべて伝授されている。

 ご先祖様のことはこの際どうでもいい。

 ボクシングと猫耳流交殺法。

 この二つの牙を備えた彼女はどのみち最強に近い闘士なのである。

 そして、ここ数か月の間に藍色は自分が強制的に変えられてしまった子とも理解していた。


 シンクロニティ―――共時性。


 深夜に訓練を行っていた藍色は、たまたま左ストレートを放ったときに開眼した。

 何気ないいつものパンチ練習をしていたときに、これまでにないぐらいに脳が熱くなったように感じた。

 頭痛……ではない。

〈社務所〉の道場での修業時代に何度も修行させられた霊の憑依に似ているが、それよりももっと強烈な感覚だった。

 しかし痛みではなかった。

 むしろ恍惚となる、脳内麻薬の分泌のような……

 これは真の「悟り」に至る直前に訪れる夢魔の誘い―――迷いの否定であるのかもしれない。

 苦行に耐えた聖職者が脳内で麻薬物質を分泌し、あたかも快楽を神との合一と誤解してしまう症状とも思えた。

 かつて、それを無理矢理に体験させられて強引に精神力で乗り越えるという修業をさせられたことのある藍色は誘惑を耐えきる。

 強力な精神攻撃のおそれもあるからだ。

 その脳の熱くなる状態を乗り切った途端、藍色の拳がバチバチと火花を発した。

 思わず両手を合わせてしまうと、今度は爆発のような音をあげる。

 深夜の神社には似つかわしくない銃声のようであった。

 理由は簡単だ。

 両拳が帯電していたのである。

 青白い火花を発し続ける自分の身体の一部を藍色は呆然と眺めた。

 そして、何気なくもう一度パンチを放ったとき―――


 雷鳴が於駒神社の境内を一瞬染め上げる。


 どんなに鍛え上げようと人の肉体が雷撃を打つことなどありえない。

 なのに事実藍色の拳はいかずちを纏ったのである。


 ―――それからしばらくして藍色は御所守たゆうに呼び出され、自身が〈五娘明王〉の一柱・金剛夜叉明王として菩提心に目覚めたということを伝えられる。

 正式に〈五娘明王〉を襲名することになった。

 彼女が脳に熱を感じた日付は四月十六日。

 奇しくも同時刻に、奥多摩において熊埜御堂てんが〈五娘明王〉軍荼利明王として覚醒したのは偶然ではあるまい。

〈不動明王〉〈大威徳明王〉〈愛染明王〉、そして〈軍荼利明王〉。

 四柱の明王が顕現したことで、最後の一柱がシンクロニティを起こしたのだろうというのが〈社務所〉の見解である。

 猫耳藍色が最後の一人として覚醒したことは秘中の秘とされた。

 なぜならば、今回の〈八倵衆〉の起こしたような暴挙を警戒してのことである。

 だが、悲劇の種がまかれてしまったのならば仕方ない。

 

 猫耳藍色は、〈五娘明王〉としていくさに出陣する。

 悪人どもを喰らいつくし、善を護る、聖なる力の仏神―――日ノ本において古くから邪悪な敵を打ち破る「戦勝祈願の仏」として広く武人に信仰された金剛夜叉明王として。





「悪い奴を放っておいては金剛夜叉のにゃが廃るってもんですにゃ」

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