第515話「〈八倵衆〉一休僧人」



「ジャアアアアアア!!」


 さすがの御子内さんも、音子さんといつまでもグラインドの攻防をするつもりはなかったらしい。

 ほんの一瞬の隙を突いて、音子さんの肩を蹴り飛ばしてコーナーの反対側に逃れる。

 ここでようやく二人の巫女の距離はゼロから離れた。

 御子内さんの息は多少荒い。

 無尽蔵の体力を誇る彼女にしては珍しいことだ。

 だが、それも当然だろう。

 あれほどの高レベルで繰り広げられる攻防はある意味では著しい神経戦と呼んでもいい。

 ほんのわずかな判断ミスで関節を極められ、骨を折られるのだから。

 達人からすれば体力の消費を抑えられる戦闘法だが、互角の者たち同士が行えば消耗が凄まじいことになるのは避けられない。

 

「……なんだい、また隠し技かい? キミは昔からそうだ。隠し事が多すぎる。いつもそうだけど、自分を隠してそんな顔をする」

「ノ. 別に隠してない」

「初対面のときにわざわざボクの力を試そうと挑発してきたくせに。おかげでボクは自己紹介をわざわざせずに済んだけどさ」

「あたしを買いかぶりすぎ。そんなだから、アルっちは嫌い」


 正直に言おう。

 たった今、音子さんが披露したグラウンドの技術は付け焼刃ではありえないほどのレベルの高さだった。

 まさか、こんな技術を隠しているなんてもう一年と半年ほどの付き合いでも知らなかった。

 特技は華麗なルチャ・リブレと繊細な合気道だとばかり思っていたのだ。

 あんな泥臭い寝技ができるなんて……


(やっぱり音子さんは底をずっと見せない)


 百パーセント全力投球の御子内さんやレイさんとは違う。

 いつもつけている覆面と同様に、素知らぬ仮面を被り続けるトリックスター。

 神宮女音子は並みの闘士ではないということである。

 しかも、今日の音子さんはその覆面を外していた。

 つまり、それは―――


「ついに本気になったのかな、音子」

「ノ. あたしはいつも本気」

「嘘をつかない方がいい。初対面の時から、ボクの正体を見抜いたのはキミだけだったように、音子の本当の姿を看破できたのもボクだけさ」


 そういえば……

 冗談やじゃれあいのレベルでは音子さんとやりあうこともあったが、御子内さんはずっと正面からの激突は避けていたように思える。

 それは音子さんの方も一緒だ。

 あえてなのか、運命なのかはわからない。

 この二人はそれだけ決着をつけることができない、難しい関係だったのかもしれない。

 

「仏凶徒に操られて仲間とやり合うというのならば、仕方ない。押し通るまでだ。で、キミを操っている術を解く方法はないのか」

「知っているけど教えられない。悪いけど、そこまでの自由意思は与えられてない」

「情けないことを堂々というな。そんなだから、そんななんだ」

「うっさい。バカのチビすけ」

「やかましい、アホの露出狂」


 むむむむ、と睨みあった末、二人はどつきあいのモードに入った。

 所詮、〈社務所〉の退魔巫女は似たもの同士。

 頭に血が昇ったら、もてる技術の粋を集めて眼前の敵を打ち砕くことにすべてを賭けてしまうのである。

 足癖の悪い二人が接近戦を始めたらムエタイ選手も真っ青の膝の応酬が繰り返されることになる。

 基本ベタ足の御子内さんの突進をひらりと躱して、お株を奪うローリングソバット。

 得意技をコピーされて戸惑うライバルの胸に指を一突き。

 その威力になんと御子内さんが吹っ飛んだ。

 そのまま、足を組み替えて直角と直角の奇妙な動きと上下に揺さぶる姿勢をとる。

 

「蟷螂拳……?」


 箭疾歩せんしっぽからの特徴的な指での突きだ。

 本物の蟷螂拳ではなく、御子内さんのなんちゃって八極拳と同じタイプ。

 でも、奇襲技としてならいいチョイスだ。

 御子内さんは中国拳法使いが自分とレイさんしかいないと思っている節があるからその意表をつけたのだろう。

 ただ、寝技といい、なんちゃって蟷螂拳といい、音子さんはまだまだ何かを隠し持っている。

 それはきっと〈五娘明王〉の力もだろう。

 レイさんのように大っぴらに隠すこともなく触れ回るのとは違い、最後の最後まで切り札は隠しておくタイプのようだった。

 もう彼女が〈五娘明王〉だということを御子内さんはわかっている。

 逆にわかっているからこそ、それを警戒せねばならず後手に回っているというのも確かなのだ。

 しかし、音子さんは切り札があることをちらつかせつつ、御子内さんの意表を突き、最悪の隙を伺い続ける。

 恐ろしい心理戦もプラスされた高度な戦いであった。

 ある意味で派手さはない。

 詰将棋にも似た親友同士の決闘はまだまだ始まったばかりなのだ。



        ◇◆◇



「どうだ、天海僧人。仏敵どもの潰し合いは」

「欣快に堪えん―――といいたいところだが、状況は決して良くないな」

「何故だ?」

「……あの〈星天大聖〉はまっすぐにこちらを目指しておった。途中で傀儡にかからなければ、もしかしたらここまで辿り着いておったかもしれん。いまだ投票所の開場までには時間がある。拙僧の首をあげるつもりならばまだ余裕があるぞ」


 用意した曼荼羅の上で結跏趺坐を行う褐色の僧侶を見つめて、一休僧人はじっと耳を澄ますように俯いていた。

 一休僧人は生来耳が聞こえぬが、仏凶徒としての修業の結果、万物の放つ「声」を感じるようになった。

 それは震動を肌で感じる力であった。

 ゆえに四方万物すべての震動の意味を読み解ける一休は、他の〈八倵衆〉と同等以上の力を持てるようになった。

 人間の持つ六感を一つ喪うごとに、人は仏に近づけるという。

 聴覚と視覚の二つを失くしている一休僧人はそれだけどれだけの健常者よりも仏に近いともいえるのだ。

 戦闘という五感全てが必要な領域において、〈八倵衆〉の頂点に立ってもおかしくないほどに。

 異名として〈一休大明王〉と呼ばれているのは伊達ではなかった。

 この耳も目も不自由な僧侶は仏凶徒でも最強に位置づけられているのである。


「―――あの大威徳明王の巫女にはしてやられるところであったわ」


 一休は肩に担いでいた錫杖の石突をがっしりと床に落とした。

 不気味な品であった金属で造られる頭部の輪形に遊環ゆかんが六個または十二個通してあり、音が出る仕組みになっているのが錫杖である。

 だが、一休の愛用しているこの品は頭部の部分が人のしゃれこうべで出来ているのである。


「ご用心、ご用心」


 打ちつけるとシャクシャクと遊環が音を立てる。

 同時にしゃれこうべも歯を打ち鳴らす。


「この夏は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」


 彼が名を襲った初代に仮託された歌を吟じてから、


「それではいくか」


 一休は立ち上がった。


「どこに行く気だ。お主は拙僧の護衛役だぞ」

「その護衛が自ら動くのだ。うぬでもわかるはずだ」

「―――来たのか」

「うむ。御苑に引きつけておいた〈星天大聖〉に匹敵する敵じゃな。おそらく、〈五娘明王〉のうちの一柱だろう」


 禅宗らしい黒い常衣じょうえをまとい、しゃれこうべのついた錫杖を抱えて一休僧人はゆっくりとアジトにしていた建物から外に出る。

 人払いの結界はあえてはらずにいるので、ここを使うものたちに見つかる可能性もあるが、すでに深夜を廻っているのだ。

 よほどおかしなもの以外は寄り付きもしないだろう。

 警備のものだけは天海の術で傀儡に落としてあるが、それだけが形跡といえば形跡である。

 だから、何故敵がまっすぐにこちらにやってくるのかが不可解であった。


「さすがに〈社務所〉の本拠地は違うということか」


 天海の術の発動まであと七時間ほど。

 そうすればこの帝都は阿鼻叫喚の地獄と化し、〈八倵衆〉の真なる狙いが成就する。


(仏敵どもに死を)


 それこそが狂信的仏教集団〈八倵衆〉の本懐であった。

 その成就のためであったら、民草にどれだけの犠牲が起きようと気にも留めない。

 阿弥陀如来も照覧あれ。

 この国を仏法によって邪なる神々の魔の手から救ってみせましょうぞ。


 ……ただし、それは数多の血で舗装された第六天への一本道だ。

 決して良しとはせぬものたちがいる。

 一滴たりとも民草の血潮を垂らすことを許さぬものたちがいる。

 愛用の錫杖を構え、微動だにせぬ〈八倵衆〉の八天竜王が一人の前に怯えることもなく進み出る少女がいる。

 獣の耳のような二つの癖ッ毛の頭と、縦の瞳孔をもった双眸をした巫女であった。

 手には8オンスのグローブをつけ、黒いブーツを履いた―――ボクサースタイル。

 かつて、一度は前線から退いたものの復活した不死鳥。


 その名を―――


「……〈五娘明王〉金剛夜叉の猫耳藍色。この新宿は私の母校もある区にゃので、あにゃたたちみたいにゃ輩に穢させる訳にはいかにゃいのですよ」


 例え、計略を持って御子内或子と神宮女音子を止めようとも、この新宿を守る魔猫はここに健在であったのである。




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