第514話「地獄の沙汰もヤツ次第」



 2011年の四月。

 通常の国民の生活スケジュールに合わせて、〈社務所〉の道場が訓練を開始し、多くの巫女が入門を許された。

 すでに〈社務所〉が退魔のための素材を少女に絞り始めてから十年以上の月日が過ぎ去っている。

 明治の頃から続く〈社務所〉は、その前身の時代も考えれば、1600年代からの伝統ある組織であるにもかかわらず、この新たな体制はその程度の歴史しかない。

 今年でまだ十三年。

 もし、今年の入門者たちを「期」で表すのならば、彼女たちは十三期生と呼ばれることになるだろう。

 もっとも、そんな同門意識も同期の連帯も彼女たちには必要なかった。

 この過酷な修行場に入った少女たちは、その日その日、自分が生き残る修練のために生きていくしかなかったからだ。

 たったの一ヶ月で二十人いた媛巫女候補は十人までに減り、怪我や体調不良が頻繁に見られるようになっていた。

 しかも、巫女たちの間にははっきりとした格差がつくようになっていた。

 そもそも最初に顔合わせをしたときに、ほとんど勝負は決まっているようなものだと皆が感じていたのだ。

 ざっと見ただけで、十三期の中にはエリートが四人いた。


 川崎大師の守護者、神宮女家の姫。

 知る人ぞ知る中野の猫耳流の伝承者。

 重鎮である御所守家の縁戚であり、さらに少女離れした恵体を持つ豈馬の一人娘。

 チャラけたパンクロッカーのような言動をしている癖に人知では計れないような奇怪な古武術を使う少女。

 そして、紛れもなく最強の武器〈神腕〉を持つ成田神社の明王殿。


 それなりの霊能力・神通力を生まれ持ち、霊的な家柄も悪くないはずの他の巫女候補たちのすべて腰が引けるような怪物揃いだったのだ。

〈護摩台〉というヘンテコリンな結界で戦うために朝昼晩まで競わされ、ぶつかりあわされ、摩耗していく少女たちの疲弊は凄まじいものがあった。

 半減した十人の中のさらに五人にとっては、暗黒といっていい場所だった。

 ただし、エリートたちにとっても幸せな場所であったわけではない。

 なぜなら、実家や家族の傍にいれば決して味わうことのない孤立と荒寥を散々舐めさせられることになるからだ。

 強い、ということは必ずしも善いことではない。

 優れている、ということは時に逆差別を産む。

 美しさ、は嫉妬と憎しみと嘲りを呼ぶ。

 つまりこの道場の中はただの地獄だったのだ。

 それに拍車をかけるように、当時、年齢でいえば二期上であった神撫音ララによる過酷なまでの訓練が先輩たちを追い詰めていたことがある。

 ララによって虐げられた(彼女にそんなつもりは勿論ない)先輩巫女たちによる陰での嫌がらせや暴行が弱いものたちに向けられていたのだ。

 だが、それをわかっていても同期の者たちは仲間を助けられなかった。

 先輩たちが強いということもあるが、まだ誰も「仲間」だとは思っていなかったのだった。

 自分を極限まで鍛え上げて強くならねばならぬしかない状況では、誰かのために動こうとすることはできなかった。

 四人のエリートですら何もできず、最強の明王殿はさらなる孤立を深めていった。

 すべてが破壊と崩壊のスパイラルに乗りかけていたとき……

 

 あいつがやってきた。


 ―――御子内或子がやってきた。


 初めて紹介された時の彼女の印象は散々なものだった。

 残った十人の巫女候補の中でも最も背が低く、みじめなほどに痩せこけていたのだ。

 髪はまともに手入れもしていない、爪は割れている、清潔にされたはずなのに皮膚が黒ずんで汚れている、手足は骨のように細くなっていた。

 とてもでないが修業についていけるほどの躰ではなかったのだ。

 唯一、小学校に入ったころから乳兄弟的ポジションにいた豈馬鉄心があまりの変わりように卒倒しかけたほど、ボロボロの姿だったのである。

 最後に会ったのは一年程前だったはずなのに、まるで別人のようだったからだ。

 後に鉄心は「そういえば、小学一年の頃に初めてうちにきたときとよく似ていた気がした」というように、この一年で何かがあったからこその酷さだった。

 誰もが、「こいつは長くは保たないな」と心の中でバツをつけた。

 違和感を覚えたのはただ一人、神宮女音子だけであった。


(―――眼が……怖い)


 レイが物心ついたときには〈神腕〉の使い方を悟っていたように、音子は大威徳明王の顕現をすでに実感していた。

 その明王の眼力が痩せた惨めな新入りの放つ何かに戦慄したのだ。

 西を護る明王にとって、旧知の何かがそこにいたのである。


(こいつ、きっと、ぜったい、間違いなく、強い)


 音子は戦慄し、恐怖し、初めて敵愾心というものを覚えた。

 ここにいるこいつは、五大明王にとっても宿命の敵のはずだ。

 何千何万何億何兆転生しても、あたしにはわかる。

 西午賀州せいごがしゅうを騒がしく駆けていった、あの憎い猿に間違いない。

 自由で、奔放で、勝手なことばかりして、仲間を護るために天と戦い、人を守るために妖魔と闘った、あの美しい猿に。

 彼女の中の神仏が蠢いた。

 懐かしく尊い敵との戦闘おもいでのために。


「……こんなチビすけがいたら修業にならない」


 同期がどよめいた。

 誰に問われもしないのに音子が喋ったからだ。

 この当時でも一番か二番の美貌を持つがゆえに寡黙であって当然と目されていた彼女の声はほとんどが「はい」か「いいえ」しかなかったというのに。

 しかも、


「あたし、こいつがいるのイヤ」


 と、露骨なまでの嫌悪の情を発するのだ。

 さらに切れ長の眼で見下すように睨みつけた。


「でてって」


 誰もが鼻白んだ。

 範士役の元媛巫女でさえ。

 常に我関せずの明王殿レイですら目を丸くするという事態だった。

 だが、露骨な発言に対し言われた方のチビすけは―――


「いやだ。ボクを追い出したいのなら、キミの拳で語ることだね。……足が沢山ある強い神様」


 どんなに痩せこけていようと、どれほど消耗していようと、御子内或子はこの頃には御子内或子だったのである。

 計算された挑発も、磨き抜かれた口撃も、彼女を激昂させるにはまだまだ足りな過ぎた。

 或子は小さな拳を握りしめて前方に突き上げると、


「たぶんに口下手なようだけど、それじゃあボクには伝わらない。キミよ、怯みたもうことなかれ。―――ボクと戦ってみたいんだろう」


 今も変わらぬ不敵な笑みを浮かべる。

 無理矢理に作ったもののはずはない。

 これほどまでに自然で愉しそうな笑い方が。

 御子内或子は自分へ挑もうとするエリートの少女を敢然と受け止めたのだ。

 ゴミのように薄汚れた女の子は黄金の輝きを持つ美少女に言った。



 カアアアアアン


〈護摩台〉を模した道場のリングの傍でゴングが鳴った。

 そこにいたのはずっと話を聞いていた褐色の肌の先輩巫女だった。

 かつて故郷沖縄から捨てられた少女はもしかしたらすべてを読み切っていたのかもしれない。


「ほら、始めるがいいヨ。観ていてあげるからサ」


 他の巫女たちが全員舞台からおりきる前に、御子内或子は疾風のごとく音子に襲い掛かった。

 その技はまさに迅雷のごとし。

 迸る情熱パトスは火焔のように。

 燻る少女の諦念を吹き飛ばす噴火


 ……こうして御子内或子の遅れてきた参戦から数か月が経ったときには、十三期と呼ばれる巫女候補たち十一人は一騎当千の荒武者となっていく。

 関係者すべてが「〈社務所〉史上の最強の黄金世代」と呼ぶ、ちはやぶる関八州廻りが誕生したのである……

 



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