―第65試合 妖魅都市〈新宿〉 3 ―
第509話「深き森へ走る」
“深き森に囲まれた神の剣の刺さる城”
もちろん、完璧にそう聞こえた訳ではない。
御子内さんの脳に響き渡ってきた神のイメージを人間の言葉に翻訳するとそういう風に聞こえるというだけだ。
これに関しては彼女に同行していた一遍僧人の証言からもほぼ正確だとわかる。
ちなみに、一遍僧人は完全に力が抜けきっていてほとんど立ち上がる力もないという有様だった。
〈八倵衆〉という人知を超えた魔人の一人だというのに、彼は新宿の地の底に潜むという邪神との接触でグロッキーになってしまっていたのだ。
おかげで神のもとから立ち去るときには、御子内さんが背負ってくるしかないという様子だったらしい。
彼女たちが向かった地底世界〈ン・カイ〉は、十キロ以上も地下を降りていってようやくたどり着ける場所だというのに、その復路を成人男性一人を担いだまま戻ってきた御子内さんを褒めるべきなのか。
しかも帰りは見逃してもらえたらしいが、行きにおいては夥しいほどの邪神の守護者が護っていたという深きダンジョンなのだ。
ただ、それだけの危険極まりない道のりを五時間ほどで往復してきた御子内さんはモンスターすぎるとは思う。
歌舞伎町で合流した彼女にはさすがに疲労の色が濃かった。
どれほど難しいクエストをクリアーしてきたのか、はっきりいって僕には想像もできないけれど。
「―――おぞましき〈土のツァトゥグァ〉との接触をし、眼前から生きて帰ってきたのみならず、取り引きまでしてきるとは……凄まじいな、小娘」
「ふん。ボクを小娘呼ばわりして無事でいられると思うなよ、〈八倵衆〉。アニマとてんのことをボクは一切水に流すつもりはないんだからな」
快川和尚に対して御子内さんは当たりがキツイ。
それは当然だろう。
仲間想いの優しい彼女にしてみれば、大切な幼馴染と後輩の仇なのだ。
二人ともまだ死んだわけではないといっても、諸々の悪感情を簡単に抑えられるものでもない。
だが、彼女の義理の祖母に当たる女性は別だった。
「お黙りなさい、或子」
軽く嗜める程度に拳骨を落としただけに見えたが、聞こえてきたのはゴツという岩が鉄にぶつかったような鈍い音だった。
間違ってもこんな打撲音は聞きたくないというレベルの。
案の定、もろに食らった御子内さんが悶絶してのたうっている。
声も出せずにテーブルに顔をうずめながら。
そこまで痛いのか……
ただ、御子内さんだって痛みには強いし、頑丈そのものの女の子だというのにいったいどういう風にすればこれだけのダメージを与えられるというのか。
さすがは〈社務所〉の重鎮というべきであろう。
「すまないねえ、〈八倵衆〉のお人。この娘は血の気が多くて」
「いや、糾弾されても仕方のないことだ。わしも〈八倵衆〉であるからな。すまぬ、大聖殿。この件が終わればいくらでもわしらをぶちのめしてくれていい。ただ、今だけは心に棚を作ってはくれぬか」
自分よりも五十以上は若そうな女の子に頭を下げる和尚の姿を見て、御子内さんは不満そうに視線を逸らした。
蟠りはあるがここは妥協しようという仕草だ。
彼女とてことの緊急性は十分に理解している。
それに、音子さんが拉致された可能性があるということについても冷静ではいられないはずなのに、なんとか堪えているらしいことがわかった。
無理もない。
あんなにも仲のいい親友の二人なんだから。
頻繁に洒落にならないどつきあいをしているけれど……
「と、とにかく、その神様がくれた預言を分析しようよ。〈社務所〉の人だったらだいたいの検討はついているんですよね」
場を進めるためにたゆうさんに話を振る。
すると、ちょっとお婆さんに見えないお姉さんが、
「……まず、これが帝都であることは間違いないはずですねえ。少なくとも、例の呪詛は、都知事選に向けて打たれたものであって、都心に向けて強く作用するようにしているはずですから」
「多摩地区や埼玉、神奈川に逃げたということは?」
「ないでしょうよ、おまえ様。そもそも、最後に
「だろうな。特に、あの最も優勢とされている緑色の女の候補者の事務所も池袋であるし、与党が推薦している対抗馬も千代田区だ。このあたりで呪詛の仕上げをしているとみるのが正しい見方じゃろう」
「音子が見つけたのも下落合の下水処理施設だという話だからね。昨日の段階でそこにいるということはそう遠くにはいかないだろうさ」
警察や消防を使ったローラー作戦はもう効果がないだろうという話だった。
あれは長期間潜伏している相手に対するもので、一日二日程度だったらホテルやらの宿泊施設でも十分に事足りるからだ。
今から二十三区中の宿泊施設を洗い出すことさえ難しい。
それに、それで済むなら神様の力など借りない。
無理な取引材料を提示してまでも。
なんといってもツァトゥグァ相手に彼女が出した条件というのは……
「それは後回しでいいよ。今は東京と音子を助けないと」
御子内さんはあっさりという。
自分に課せられた試練の重さを苦にもしていないという風に。
見事なまでの漢らしさであった。
「……或子、あんたは直接“土のツァトゥグァ”の言葉を聞いたんだ。何か気づいたことはないのかい」
「ボクの言っていることは理解できていたようだけど、人間の文化についてまで詳しいって感じじゃなかったかなあ。だから、あいつが森というんだったら、文字通りの森だと思うよ」
「つまり、六本木の
「うん」
文字通りの森ということは……この東京にそういう場所は幾つかある。
例えば、天皇陛下の皇居周辺や明治神宮、芝公園、そういったところだ。
あそこは都内とは思えないほどに深い静けさに満ちた森といっていい地域だ。
さすがにみんな頭の回転が早いのですぐに浮かんだようだけど。
「まず、皇居はないね」
「―――いかに仏凶徒でも、あそこにだけは不敬はしないだろうね」
「当然じゃ」
一つ、候補が消えた。
「次に明治神宮もないね」
「納得」
「お主らの本貫地であるからな」
「そういうことか」
さすがに〈社務所〉の本拠地とでもいうべき場所を隠れ家にするものはいないだろう。
特に目の前のたゆうさんは本当に神宮の森に住んでいるという話だし。
「他に深き森といえるところは?」
「まあ、いくつかあるけれど、囲まれたとまでいえるとなったら、ここしかないんじゃないかな」
御子内さんが都内全域の地図を出して指したのは、ここからすぐの場所だった、
―――新宿御苑。
もとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地に作られた国民公園で、面積が約58.3haほどある。
最初に消去された二つに比べれば小さいが、東京都にある限り、森といっても過言ではないだろう。
それに、新宿と渋谷の境にあり、下落合から逃走した仏凶徒が逃げ込みやすい場所ともいえる。
「ここは国道20号が通っていて、すぐに赤坂御用地もあるし、少し行けば皇居に達する。明治神宮外苑もあるし、森に囲まれているということならぴったしです」
「おまえ様の言う通りだ。土の神はたいして知能の巡りのいい神じゃないから、あまり深い考察は無意味だろうしね」
「となると、このあたりに神の剣の刺さる城がある訳だね。……いや、ないとおかしい」
ざっと地図を観てみてみるが、城という表現に相応しいものは見当たらない。
皇居は城といえるだろうけれど、さっきの話の通りに仏凶徒のアジトにはなりえない。
灯台下暗しにしても、だ。
「時間がない。御子内さん、このあたりを足で探してみよう。以前の〈砂男〉事件の時みたいに」
「そうだね。京一の言う通りだ。お義祖母ちゃまは禰宜たちを動員できるだけ動員して探索を続けて。ボクたちは自分の足で探して見る」
「わかりましたよ。いいですか、或子。敵はまだ三柱健在だと思いなさい。しかも、すべてがおまえ様と五分かそれ以上だとも。努々油断は禁物ですよ」
すると、御子内さんは不敵に笑った。
「ボクが今まで油断や不覚悟をみせたことがあるかい? しかも、今回はどれだけ多くの民草の命がかかっているかわからないぐらいだ。一つのしくじりもしやしないさ。……あと音子のバカも助けないとならないし」
どういう訳か音子さん相手にはツンデレっぽくなる。
そんなところも可愛いけれどね。
「僕もつきあいます。足手まといかもしれませんが、いいですか」
「頼みますよ、おまえ様。わたくしはおまえ様がいるから、このバカな孫娘を迷うことなく送りだせるのですから」
「はい!」
僕たちはバーを飛び出した。
土曜日の込み合った靖国通りを走りだす。
きっとこの道の先にすべてを守る鍵がある。
そう信じて疑うこともなく。
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