第503話「〈八倵衆〉二人」



「侵入者か。一切の音を立てないということは、忍びの類いかな」

「待て、一休僧人いっきゅうしょうにん。そもそも、貴僧は耳が聞こえぬはずではないのか。足音などわかるはずもあるまいさ」

「その耳の聞こえぬものに平然と語りかけるお主も大したものだと思うぞ、天海僧人」

「なに、愚僧が襲名した天海僧正はどのようなものも助けを求められれば手を差し伸べた徳高きお方よ。愚僧もそうありたいと願っておるだけであるよ」

「天台宗徒は愚にもつかぬことを喋る。我ら、禅宗には理解しがたいわ」

「禅僧こそ問答に根を詰めすぎておるのではないか。さっさと大悟してしまうがいい」

「ははは、大悟できるものが〈八倵衆〉になどなるものかよ。この一休、初代同様に印可書を受け取らぬ性分であるよ」

「くくく、ならば袈裟をくれてやろうぞ」

「禅宗との間に宗門戦争を起こす気かよ」


 一たび、廊下に潜んだ音子の存在に気が付くと、二人の僧侶は落ち着き払ったまま、古風な会話を交わし合った。

 結跏趺坐をした黒目のない大男の僧侶は一休僧人、黒人のように褐色の肌を持った背の高い僧侶は天海僧人というのがわかった。

 音子が聞いた知識では、〈八倵衆〉の幹部となるには仏破襲名という儀式が必要となるらしい。

 それはかつて存在した偉大な僧侶の名を襲って、いわゆるコードネームのように使うというものである。

 同じ宗派の先達の名前を襲う場合もあれば、他の宗派でも性質や特技が似通ったものから拝借する場合もあった。

 ただ、どの幹部も―――特に八天龍王とまで称されるものたちはいずれも日本史上で比類のない著名な僧侶たちの尊名が振り分けられる。

 たった今、音子が眼にしているものたちもかつて何度も耳にしたことのある知名度のある名前であった。


(一休さんに、黒衣の宰相って―――マジですか? いったい、どんな罰ゲームをやったらこんなのと遭遇しなくちゃならないんだか。もーサイアク。お母さーん!! 京いっちゃーん!! ついでにアルっちぃぃぃ!! でも、まあやるしかないのは確かかあ。しょぼーん脳髄グシャー!! でも、どっちがアルラウネを持っているのか。それが勝負だよねー)


 心中でそれだけを一気に思考すると、音子は様子を探り続けた。

 バレているとしてもまったく情報を持たずにのこのこと顔を出すわけにはいかない。

 それこそ、これは命がけの使命なのだ。

 最低でもどちらか片方を再起不能になるまで仕留めなければならないという枷を自分にはめる。


「―――出てこぬな」

「それはそうだろう。天海僧人はともかく、この一休は一騎当千のツワモノよ。策もなしに乗り込んでくるものはおらぬわ」

「言ってくれる喃。とはいえ、一休僧人。庵にしていたこの家が暴かれるとは思わなんだのは確かだ。いったいどうして突き止められたのか」

「〈社務所〉はこの時代にしては珍しく忍びを多く飼っているという話だ。一休たちとて、数は少ないが伊賀と甲賀、根来の奴ばらを使っておるからな、おそらくはその筋じゃろうて」

「なるほど、さすがに愚僧らも少々派手に動き過ぎたか」

「であろ」


 普通の住宅の部屋で焚火をするという異常な真似をしているというのに、この二人の廃棄僧侶はまったく悪びれた様子もなく、一休僧人は火にかけていた鍋を外すとわかしていた湯を湯呑に注ぎ込んだ。

 天海僧人は音子の隠れた廊下をじっと睨みつけ、油断などは微塵もない。

 ただ、何故か動きだそうともしないのか不思議であった。


「……どうする?」

「まあ、待て。自然とあちらから動くのがわかっておるのに、無駄な力を使うのも意味がない。衝立の竹林の虎を追い出すように知恵を使えばいいのだ」

「初代にあやかってとんちを使うということか? 〈風狂〉を使えばいいだろうに」

「なに、一休が縛る準備をしておけば虎の方から勝手に顔を出すという算段よ。すぐに結果も出るだろうさ」


 何を言っているんだ、と音子が首をひねりかけたとき、彼女の背後からカカカカカカと何かを連続で叩くような甲高い音が聞こえてきた。

 同時にうなじの産毛がちりちりと爆ぜる。

 その現象が差す結果は只一つ。


Mierda.ミェルダ!!」


 スペイン語における「くそっ」という女の子らしからぬ罵声をあげて、音子は前方に身を翻した。

 ほんのわずかの差で、彼女がさっきまでいた場所に鋭い牙を生やした口が噛みしめる。

 黒くて長すぎる髪をざんぎりにしたもともとは白かったはずの薄汚れたドレスをまとった女だった。

 肩が異常なほどに膨れていて、足は纏足でもしているかのごとく先に細い。

 とてもではないが、人間とは思えない奇形であった。

 とはいえ、発する妖気で簡単に正体の見当はつく。


「悪霊……」


 しかも、この世に強い怨みを残して死んだ地縛霊型だ。

 通常の霊なら歯牙にもかけない退魔巫女でも、油断をしたら首を落とされかねない強力なタイプである。

 事故物件であるということはわかっていたが、詳細までは聞いていなかったことがしくじりかと音子は思う。

 ただ、それだけではないだろう。

 この悪霊……間違いなく―――


(操られているの! ……ノ!! もともとこの家にいた地縛霊を〈八倵衆〉が使役しているみたいじゃん)


 それを見抜いたのは音子の眼力であったが、悪霊に気を取られたせいで本来の敵に対する警戒心がおろそかになる。

 薄い壁の向こう側から突き破ってきた太い腕に首を掴まれた。


「ぐっ!!」


 鍛え抜かれた鉄のような握力で音子の細い首を締め上げる。

 同時に肉体の強度をあげる〈剛気功〉でガードしたから良かったが、それでも喉笛を破壊するかのような万力のごとき握力に呼吸がとめられた。

 壁越しにどちらかの〈八倵衆〉が彼女に攻撃をかけてきたのだ。

 だが、それだけではすまない。

 悪霊は弱りかけた彼女の事情など気にも留めずに襲い掛かってきたからだ。

 しかも、咽喉は〈大威徳音奏念術〉の使い手にとっての弱点。

 あの鋭い牙に噛み裂かれたら、いかに音子とて致命傷は免れない。


 どうする、空飛ぶ巫女・神宮女音子!!

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