第502話「音子探索行」



 闇の臭い香る邸宅に神宮女音子が辿り着いたのは午後11時丁度。

 夜とはいえ深夜でもなく、街頭にはまだまだ目を覚ましている人々が溢れかえっている時間帯であった。

 それなのに音子の降り立った辺りは、ほとんど人の往来のない沈黙に支配された場所であった。

 すぐ傍を通る西武線はまだ最終にもなっていない。

 そして、わずかに離れた場所には灯りのついた商店街がある。

 つまり、この場所は完全に人の営みから外れた場所なのだ。

 退魔巫女は塀を乗り越えて敷地内に潜入する。

 それだけで背筋に身震いが走る。

 音子の敏感な部分が周囲に妖魅かそれに類似するものがいることを伝えたのだ。


(BINGO)


 彼女自身はまだ仏凶徒とも〈八倵衆〉とも争ったことはない。

 だが、その禍々しい雰囲気を間違えるはずはなかった。

 誰も住まないはずの空き家に漂うにしてはありえない兇刃の気配。

 被った覆面の紐をぎゅっと縛った。

 決意の証しだ。

 このとき、神宮女音子は命を捨てる覚悟をしていた。

 普段からしている常在戦場の心がけではない。

 それを越えて、武運の行方によってはここで命を散らすことになることを決めていた。

 ただでさえ、〈八倵衆〉という相手はかつてない強敵である。

 静岡―――東海道を守護する豈馬鉄心を病院送りにし、あの御子内或子と熊埜御堂てんのタッグをもってしてもギリギリの勝利しか捥ぎ取れなかったのであった。

 例え彼女といえども確実に勝利できるなどという保証はない。

 今まで戦ってきた多くの妖魅とはまさしく桁が違う。

 そして、その人物はアルラウネという生物を死に陥れる奇怪な妖植物を保持している。

 なんのために手に入れたのか知らないが、すくなくとも人混みの中で用いれば致死率100%の危険な兵器になるものだ。

 絶対にテロリストの手に渡してはならないものといえた。

 

(……でも、まあ前哨戦にはいい)


 とはいえ、彼女がこれからしばらくしたら絶対に対峙しなくてはならない存在と比べたらどうということもない。

 もし、その敵との戦場に赴くことになったら……もう死ぬどころではすまないのだから。

 

「もう少し色々と書き込みしておけばよかったかも」


 音子がSNS上に多くの書き込みをする大きな理由はであった。

 ネット上の痕跡はいつまでも残り続ける。

 例え、誰かが消そうとしても、そこに神宮女音子という女の子がいた証しは残り続けるはず。

 そのことに気がついてから、音子はさらにネットに自分のことを晒し続けた。

 当然、苦情はきた。

 ただし、両親も祖父母も何も言わなかった。

大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉を自分のものとして、神物帰遷の時代に挑もうとする娘の自由を縛ることなど彼らにはできなかったのだ。

 皆わかっている。

 音子には普通ならあるべき未来がないということを。

 彼女が進むべきは無音の世界―――死か崩壊かという滅びのフィールドであるということを。

 彼女がここまでSNSに熱中するのは遺言に等しい心持の行方なのだということを。


 ガチャ


 玄関のドアは開いていた。

 侵入者が来ることをまったく想定していない。

 いや、あったとしても気にも留めないということだろう。

 それがこの幽霊屋敷の中にいるものの考えなのだ。

 そっと玄関を抜ける。

〈軽気功〉を用いているせいで音は一切でない。

 電気の類いは一切ついていないせいか、カーテンのない窓から注ぎ込む月の光だけが頼りにならざるをえない。

 音子が耳を澄ますと、奥の方に何かチリチリと音が聞こえた。

 人の気配もある。

 さっき見せられた不動産屋の見取り図だと、ダイニングキッチンのある方角だ。

〈気当て〉を試みると、二人分の反応があった。

 戦慄が走る。 


(二人―――!!)


 音子は唾をのんだ。

 二人分の〈気〉がするということは―――まさか、〈八倵衆〉が二人いるというのか。

 一人だけでも危険極まりない敵が。

 だが、想定していなかったのは彼女の落ち度だ。

 よく思い起こせば奥多摩の戦いには、竜王と摩睺羅伽王の二人が出張ってきていた。

 つまり、〈八倵衆〉はツーマンセルが基本の行動指針という可能性もあるのに、一騎当千の敵という意識を捨てきれなかったのは彼女のしくじりだった。

 そして、それは最悪の事態を産むことになった。

 そっと覗きこむと、家具も何もない台所兼居間の中央で室内だというのに焚火をしている二人組がいた。

 ともに僧形であった。


「誰かいるのか!!」


 焚火にむけて結跏趺坐していた禿頭の大柄な僧侶が向いた。

 目が見えないのか黒目がないいかつい大男であった。

 同時にもう一人が立ち上がる。

 これは肌の黒い、どうみても日本人とは思えぬ長身の僧侶であった。

 どちらも纏っているのは凶気。

 人を殺してもかけら気にはしないだろう殺人鬼の気配であった。


「我らの結界を破って中に入るとは!!」


 二人の仏凶徒が牙を剥こうとしていた。

 

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