第501話「澱んだ水辺の蝶」
アルラウネの捜索を続けていた音子と禰宜たちであったが、その結果は芳しいものとはいえなかった。
〈奇喜木樹〉の現場の様子からして、植物店の店主を殺害したのは仏凶徒であることはほぼ疑いのないところだ。
だが、この広い東京に潜り込んだネズミを見つけ出すことはどれほど難しいことか。
この点、〈社務所〉の主たる諜報組織である霧隠一族と忍び達は、妖魅の引き起こす事件の探索と調査に特化しすぎていて、このような人狩りへの対応が鈍化していしまっていたという問題があった。
特に後ろ盾のない一般人やヤクザ、半グレなどを見つけるのはお手の物でも、自分たちと同等の忍びの術を持つ相手をするのには鈍っていたといえよう。
彼らにとって空の監視役といえる八咫烏たちも、妖魅以外のものたちを探すには不向きであり、成果らしいものはあげられなかった。
そのため、〈社務所〉は警視庁と消防庁という地の利のある組織を動かし、ローラー作戦を敢行することになる。
表向き警察はただの住民調査として、人のいない住居を巡り、消防局は各地の火元の点検と称して歩き回った。
過程で数人の指名手配犯と不法侵入者と幼児虐待のおそれのあるものの検挙という結果もでる。
警察官と消防官は実際に自分たちが探しているものが、関西を中心に活動する道を外れた妖術僧たちであるということは知らなかったが、上層部からの指令通りに地道に調査を行った。
そこで、ようやく下落合にある落合水再生センターの脇にある空き家に隠れている正体不明の男を発見したのである。
下水道処理施設として、一部からは迷惑施設として考えられているからか、周囲の民家にはわりと空き家が多かったのだ。
新宿区は来年度に国会で法律案が出される予定の民泊を行う予定で、今から住民調査を頻繁に行っていたこともあり、新宿署がかなり重点的に落合周辺を探っていたおかげである。
不審者発見の知らせはすぐに警察庁内に潜り込んでいるスパイを介して、〈社務所〉に伝えられ、待機していた音子が出陣することになった。
夏休みとはいえすでに三日間もじっと都庁の一角で待機していた彼女はついに解き放たれたとでも言うかのごとく、風に舞う魔鳥のごとく巫女装束の緋袴を翻し、新宿の空を舞った。
追随する二人の忍びと同じ速度と高度を持って。
「……おい。神宮女の媛巫女、ものすごい気迫じゃないか」
「無駄口を叩くな。おれたちが向かっているのは化け物が隠れている場所だぞ」
「俺たちは戦闘には参加しちゃならんというお達しはわかっているが、本当に媛巫女だけでいいのかよ」
「おまえ、媛巫女の戦いを見たことないのか。おれはあるぞ。あの神宮女さんではなくて、御子内の方だが」
「知っているさ、俺だって」
「だったら、信じるしかないだろうさ、彼女たちを。あんなに気合いが入っているんだ。燃える闘魂なんだろう」
ここしばらくの間、音子の付き人のような立場にいた二人の忍びは、間近で接した〈社務所〉の媛巫女に対して尊敬の念を抱いていた。
臨時本部となっていた都庁の誰も近寄らない一室で、じっと敵の発見を心待ちにして静かに時を待っていた彼女の態度を素晴らしいと感じていたのだ。
実際、二人が買ってきたコンビニ弁当の食事時以外は音子はまったく部屋からも出ず、その雑な栄養補給に対しても文句ひとつ言わない立派過ぎる態度は二人の胸を打ったのである。
もっとも、当の音子はそのあいだずっとミクシィとTwitterとインスタグラムとフェイスブックとブログとフタバと某匿名掲示板に入り浸ってSNS三昧の本人的には楽しい日々を送っていたという事実を知らずに済んだのは幸運であろう。
ちなみに、その時に散々ばら撒いた自撮り写真のおかげでさらなる
ある意味で自己顕示欲の強すぎる巫女であった。
さっきまでフンフンと鼻息荒く自撮りしていたとは思えない後ろ姿とともに二人が辿り着いたのは落合水再生センターの中であった。
監視カメラの映像は完全に消されているので堂々と侵入できる。
「地図によると、この先のフェンスを越えたすぐそこにある一軒家です。建物だけで約五十坪、庭も含めれば百二十坪の屋敷です」
「これをどうぞ」
渡された図面は不動産屋が登録する共用システムから拾ってきたものだった。
目的の家は五年ほど前に売りに出されていたのだ。
「―――築二十年? いいお
音子は首をひねった。
「仲介契約を受けている不動産屋の記録を漁ったところ、事故物件のようです。しかも、二人の住人が殺されていて、下手人が見つかっていません。生き残った家族が売りに出したのですが、その度に幽霊騒ぎが起きて買い手も借りてもつかない現状のようです。例の大島なんとかというサイトでも要注意すぎるとでています」
「……シィ。仏凶徒にとっては幽霊なんか怖くもなんともないからアジトにするにはいいかも。実際、有名な事故物件で取り壊しもしていないところは誰も寄り付かないから」
「では、やはり」
ちらりと音子はそちらを見た。
それだけでわかる。
ここ最近の彼女にとってはこのぐらいの距離からでも妖気を感じ取ることができる。
家伝の〈大威徳音奏念術〉を完全にものにして以来、巫女としての彼女の感覚は全能感にも等しいものがあった。
「あたしが一人でいく。もし、あそこにアルラウネがあるとしたら、あの妖植物の〈
「しかし、媛巫女。いくらあなたでも不意打ちでアルラウネを引き抜かれたら……」
「その時はその時。一応、準備はしてきた」
両手に持っていた耳栓を詰める。
儀式によって呪力がこめてあるが効くかどうかは五分五分だ。
それでも聞いた途端に即死は防げるだろう。
「
そう言って振り向きもせずに音子は蝶のように飛び立つ。
二人の忍びはただ小さな声で、
「ご武運を、巫女よ」
と見送るだけであった。
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