第498話「暗夜行路-邪神道-」



「来たな」

「そうみたいだね。……一遍僧人、背中の結び目をこっちに」


 或子が何気ない口調だったので、言われた方がきょとんとした顔をした。

 まさか、という気持ちだった。


「拙僧を解き放つ、というのか。うぬが拙僧を縛につけるのにどれほど苦労したかを忘れた訳ではあるまい。あの尋常ではない神業、おいそれとまた使えるものではないだろう」

「ご忠告はありがたく受け取っておくけど、ボクはキミを解き放つこと自体はある程度覚悟できていたんだ。なんといっても神の棲家に踏み込むのに、親友でも相棒でもなく、もと敵を連れていけってんだから、命じた方もそういう意図があったはずさ」

「うぬらの考えは拙僧らにとっては理解できぬな」

「キミらこそ、仏法のくせに人を殺して悪びれないところがボクには納得できないね」


 口論も討論もしている暇はないとみたか、一遍僧人はすぐに振り向いて、がんじがらめの鎖の結び目を或子に見せた。

 鎖で縛るという行為もそうだが、彼からすると関東の宿敵たちはある意味で予想の出来ないことばかりする相手でどうにも厄介極まるといえる。


 きん


 何かが弾ける音がして、自身を縛っていた鎖が外れ、一遍僧人は自由になった。

 足元に蟠る鎖の束をじろりと見つめて、廃棄僧侶は口を開いた。


「結び目をほどくのではなかったのか」


 鎖の一部は綺麗に切断され、御子内或子の手には鉈サイズの分厚い刃を持った刀らしきものが握られていた。

 この刀で斬ったのだとわかる。

 ただ、金属製の鎖を刃物で叩き切る技量もさるものだが、彼を縛っていたゴルディアスの結び目をアレクサンダーの故事よろしく挑戦もしないで乱暴に解決した理由が知りたくなっていた。

 誰にも解けない結び目だからといって、斬ってしまえばそれでいいというのは実に乱暴な発想であるからだ。


「時間がないから仕方がない。なんのためにわざわざこんな剣鉈みたいなものを持ってきたと思っていたんだい。ボクの流儀は素手なんだよ」

「いや、特にさほどの感想はない」

「むむ、何か言いたがっているのはわかっているんだ。誤魔化したってあとで拷問にかけて吐かせてやってもいいんだぞ」

「―――うぬはがさつな女子おなごだな。嫁の貰い手に苦労するだろうと、御仏の名にかけて予言してやろう」

「ほ、ほっとけ!! ボ、ボクのことが好きだって物好きもいるんだからな!!」

「ほれみたことか。自分で蓼食う虫もいると言い訳をしているところで語るに落ちているぞ、大聖の媛巫女。うぬのような武辺もの、貰ってくれる男など―――」


 いるはずがない、と宣言しようとした寸前、一遍僧人は顎を捻った。

 記憶巣に何かが甦った。

 彼が戦いに敗北する寸前に見た映像だった。


「……なるほど、彼奴か。うぬらのいうところのただの禰宜だと思っておったが、それは面白い」

「何を言っているんだい、この生臭坊主!! 勝手なことをいうんじゃない!!」

「〈サトリ〉と透明人間という変わった組に囲まれておったから気にもしていなかったが、なるほど、そういえば拙僧の〈捨聖〉を見抜いた子供。もうすこし注意しておくべきであったか」

「ボクの京一に勝手なことを言うな!!」

「京一というのか。京の一条堀川に住んだ鬼一法眼を思わせる名だ。さぞかし、うぬらにとっても期待されているものなのであろう」


 その言葉に対して或子は腹を抱えて笑い出した。

 彼女の鋭敏な感覚はすでに敵が間近にまで寄ってきていることを告げていたが、この無知蒙昧な感想についてだけは笑い飛ばさずにはいられなかった。


「はっははははは」

「―――何がおかしい」

「だって、キミらが激しい誤解をしているからさ」

「どういうことだ?」

「京一が期待されているだって? もしかして、あいつのことをボクやキミらみたいな頭のおかしい戦闘狂だとでも思っていたのかい? それとも、昔から面々と続いた呪法の一族の御曹司か何かだと? まさか、まさか!?」


 或子の目は洞窟の奥、岩場から沁みだすように姿を現していく泥のような這いずる重油といってもいい化け物を捉えていた。

 一匹や二匹ではない。

 彼女たちの行く手を遮るのに足りるだけの数がぞろりぞろりと這いずっていた。

 生命を持ったスライム。

 しかも、一歩一歩いくのに、頭の部分のねばねばした部分を伸ばし、それが前進した直後に残ったすべてがゴムのように縮んでいくという不気味な歩法を披露していた。

 粘体でできた尺取虫とでもいうべき存在であった。

 それが近づいてきているというのに、或子は笑わずにはいられなかったのだ。


「……どういう意味だ、媛巫女」


 或子は手にしていた剣鉈を腰の鞘に納め、手袋をきゅっとはめる。

 聖製したグローブはも掴むことができる武器だった。


「あいつはただの高校生だよ。付き合いがよくて、頭がいいからボクの手助けをしてくれる。ついでに言うと、けっこう優しい」

「まさか。そんなものを化け物退治に連れまわせるはずがないだろう。才のない人間、徳のない衆民は拙僧やうぬらにとって戦いのときの足手まといにしかならないはずだ」

「―――それがダメなんだよ、仏凶徒。ボクらは大きなもののために、。そう考えたらもうダメなんだ」

「拙僧に法を説くか」

「ああ。きっと神も仏も色々あるんだろうけど、その使いであるボクらがすることは一つさ。いつか、神様が助けてくれるかもしれないときまで諦めないで姥貝て足掻き続けること。……妹が大ピンチとなったら、自分のことはおかまいなしに土下座をして他人の靴の裏を舐めてでも必死になり、得体のしれない奴にすがりついてでも守ろうとする。そこまでやっても助けがこないこともあるかもしれないけど、でもやるべきことはすべてやるのさ」


 歌うように或子はとある少年を賞賛した。

 恋心を言葉にしたにしては少々乱暴であったが。


「……ボクの頭上のどこかに京一がいて、眼を放しているとまだぞろ性懲りもなく他人を助けて回っている。そうすると、ボクもこんなところで慌てふためいている場合じゃない。いいかい、一遍僧人。あの邪神ツァトゥグァの落し仔どもをぶっちぎって本体と交渉をしに行くよ」

「拙僧がうぬらにそこまで協力すると思っているのか」

「キミらだってツァトゥグァを利用する気でいたのは確かなんだろ。せっかくの好機をみすみす見過ごす気にはならないんじゃないかい」

「―――それとこれとは話は別だ。……だが、ここで神と接触を持つ機会を捨てるのも癪だな。しかたあるまい、ここは手を組むとするか」

「いいねえ。そういう合理的な判断はいくさ人でないとできない。せいぜい当てにさせてもらうよ、廃棄僧侶」


 そういうと、或子は振り向きざまに振りの長い右のストレートを後方にぶっぱなち、原油が固まったような頭部を吹き飛ばす。

 いかに打撃を無効化できそうな粘着質の躰であっても、それを上回るスピードで有無を言わさずぶっ飛ばせばいい。

 まさに御子内或子の力技であった。

 同様に一遍僧人もコールタールの触手が降れた途端に秘技〈捨聖〉を使って落し仔を縦回転させて投げ捨てる。

 かつて奥多摩で鉄壁の防禦を誇った技はこれほどの怪物相手でも効果はあるのだ。


「南無阿弥陀仏!! ―――ふん、あまり元気を使い果たすなよ小娘」

「そっちこそね!!」


 地下の奥底で繰り広げられた敵味方による強力タッグは一歩一歩着実に化け物どもを排除して、さらにさらに暗闇へと進んでいった……


 


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