第496話「虚無僧と京一」



 今どき、虚無僧スタイルというだけで怪しさが爆発しているが、腕を掴むこの握力の強さだけですでに逃げることは不可能な気がした。

 一遍僧人もそうだったが、御子内さんたちと比べてもこの〈八倵衆〉という僧侶たちの人外感は凄まじい。

 間近に接するととても同じ人間とは思えないほどだ。

 さっきまで存在を微塵も感じさせなかったくせに、僕のことを察知した途端に恐ろしい速さで姿を現して確保してきたうえ、逆らう気を起こさせないような圧力をかけてくる。

 天蓋笠のせいで顔が見えないのに、まるで直に睨まれているみたいだった。


「―――離してくれませんか?」


 たどたどしくもなんとか抗議をしてみたら、


「……ほお。わしを前にして平素の口が利けるか。やはりお主、まっとうなものではないな。―――しかし、妖魅の類いではない。〈社務所〉か、それとも武蔵野柳生か?」

「どっちかというと前者だと思いますよ。柳生さんとことも不仲じゃないんですけど」

「ふむ。……肝が据わっておるの。よい、ちぃと付き合ってもらおうか。わしも知りたいことができた」


 そのまま、僕は新宿駅の雑踏の中を虚無僧に掴まれたまま連れていかれた。

 これだけ人がいるというのに僕らには誰も気がつかないっぽいのが異常だった。

 ただ、これまでの経験上、ことだし、あの場で首の骨を折られなかっただけでもマシと考えなくてはならないだろう。

 人にはまったく視えない妖魅と接していた経験から、この程度の異常では驚くこともない。

 下手に声を出したりして意にそぐわない行動を採れば、あっさりと始末されるだろうという予感もあったので黙ってついていった。

 少し歩いて、西口の人通りのない路地裏に連れこまれた。

 入る瞬間に何か呪印を指で描いていたので人払いの術でも掛けたのだろう。

 このあたり、やはり闇の世界の住人だった。


「―――さて、ここでいいか。お主は何者じゃ、名乗れい」

「僕は〈社務所〉で〈護摩台〉設置のバイトをしていました。だから、そちらの事情にも多少は詳しいのです」


 正直に答えたのに、虚無僧は沈黙した。

 雰囲気からすると呆気にとられた感じか。

 僕が素直に喋るとは思っていなかったのだろう。


「……まことか?」

「これ、学生証です。あと、必要なら〈社務所〉から貰っているバイト料明細も出しますよ。払い込んでくれている会社はダミーの合同会社みたいですけど」

「どれ」


 僕は学生証をだした。あと、カバンにしまってあった明細と通帳も。


「なんだか気味の悪い子供じゃ。わしの気が飲まれそうだ」


 なんだか普通のお爺さんみたいなことを言い出した。

 とはいえ油断はしていないらしく、手にした尺八はずっと僕の方を警戒していた。

 この尺八はきっと武器に違いない。

 一見して武器のようには思われないが、虚無僧の躰の捌き方からするとやはり命を預けるものだろうことは容易に想像がつく。

 そんなものをつきつけておいて、他人のことを気味が悪いとは。

 まったくもって失礼な人だ。


「……升麻京一というのか。いいのか、わしのようなものに名を告げても。呪術の世界ではみだりに名を教えることは禁句のはずじゃが」

「僕はごく普通の高校生ですから。あなたがたのように呪力を持っているわけじゃないんですよ、廃棄僧侶のお爺さん」

「わしらの蔑称まで知っておるとはの。はてさて、ただの高校生とは嘘であるか。では、問おう。どこまで知っておる?」


 天蓋笠の中から凄まじい眼力に貫かれたような気がした。

 対応の温さに誤解しそうになったが、やはりこの虚無僧は仏凶徒なのだろう。

 僕は知っていることぐらいは教えておくことにした。

 

「さっき、演説をしていた都知事候補のおばさんの声が男のものにすり替わった気がしました。内容も一方的に変わっていて、東京を呪うもののようになっていました。でも、周囲の人は誰も異変に気が付いていなかったので、僕は知り合いの〈社務所〉の人に連絡をしようと離れたところであなたに捕まりました」

「知り合いとは、誰じゃ?」

「不知火こぶしという女性です。僕の知っている限り、〈社務所〉でもだいぶ偉い人みたいですから」

「その偉い女の番号を何故知っておる?」

「僕がアルバイトをする手続きをしてくれたのがその女性ひとだからです」


 よどみなくスラスラと応えられた。

 まさしく事実だからだ。

 本当は僕とこぶしさんの間には御子内或子という女の子が仲介に入るのだが、彼女のことを教えてはならないような気がしていたので誤魔化した。

 だが、虚無僧は僕の思惑には気が付かなかったようである。

 

「坂東の組織の流儀はよくわからんのお。こんな子供を化け物退治に使うとは……」


 独り言には微妙に関西のアクセントがある。

 やはり西から来た人たちというのは間違っていないようだ。

 それなりに人も良さそうだ。

 ただ、だからといって一目散に逃げだすということはできない。

 おそらく僕が逃げた瞬間に、何かが僕を襲うだろう。

 これまでの予測ではきっとこの尺八を使った攻撃なのだろうということは想像がつく。


「お坊様はお名前は?」


 どうせなので聞いてみた。

 一遍僧人もそうだったが、仏凶徒はどうも自己顕示欲が強い。

 本来訊かずとも名乗るような奴ばかりのようで、この虚無僧も例外ではなかった。


「わしか。わしは、〈八倵衆〉の八天竜王はってんりゅうおう一柱いっちゅう緊那羅王きんならおう快川僧人かいせいしょうにんじゃ。和尚と呼んでくれてもいいぞ」


 虚無僧は意外と陽気に名乗った。

 僕の予想通りに〈八倵衆〉―――てんちゃんの仇の一人だった。

 だけど、次に虚無僧の仏凶徒、この緊那羅王きんならおう快川僧人かいせんしょうにんが口にしたことを聞いて僕は腰を抜かしかけた。

 それは……


「よし、お主ならばわしの手助けができるじゃろう。今の〈亦説法〉を唱えておったわしの同胞である夜叉王やしゃおうの情報を〈社務所〉にくれてやると連絡せい。今ならば先着順で奴のすべての弱味まで教えてやろうぞ」


 と、とんでもない提案をしたのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る