第494話「アルラウネの叫び」



 そもそもの発端は、とある地方空港の防疫官が全員突然死した、という事件であった。

 国外のものがほぼすべて集まるという成田空港に比べると、地方空港での防疫体制というはやや弱いものがあるのは周知の事実である。

 とはいえ、防疫官は植物や動物の検疫を行う農林水産技官という国家公務員であり、植物防疫官は、植物防疫法に基づいて、家畜防疫官は、家畜伝染病予防法に基づいて、空港・港湾などに設置された検疫所で、それぞれ検疫業務を行っている。

 彼らが水際で食い止める戦いをしているために、グローバル化が進んだ世界においても日本固有の生態系を脅かす、外国の植物・動物がなかなか侵入してこないのであった。

 ある意味では、現代の防人であるといえよう。

 個々の防疫官の意識は高く、それは地方の空港においても同様だった。

 むしろ、成田を避けてカモフラージュをもって地方から厄介なものを持ち込もうとする業者などが後を絶たない分、かなりの激務であるといえた。

 やや弱い、というのは予算や人員が足りないという意味であり、能力や職業意識の面において彼らは中央にも匹敵する人材ばかりである。

 事件が発生したのは、空港から離れた施設を利用している植物検疫所であった。

 新しい海外便が到着するというので、管制が防疫官の立会いを要求したというのにまったく応答がないのである。

 個人的に親しい係官が防疫官の携帯に電話をしても反応がない。

 何かトラブルの臭いを嗅ぎつけた警備員たちが押しかけると、五人いる防疫官たちは全員が口と眼と鼻から血を流しながら死んでいた。

 何しろ舞台は検疫所でのことであった。

 警備員たちは伝染病か何かのおそれがありとして、すぐに警察と消防に連絡し、さらにこうこう航空局にまで連絡を取った。

 伝染病だとするとすぐにでも隔離しなければならないからだ。

 しかし、ここでさらに混乱に拍車がかかった。

 中国からの乗り入れ便がオーバーランを起こしたのである。

 地方空港の処理能力を上回る事件が二つ、立て続けに起きたことで事態は加速度的に混沌化していく。

 実際に、警察と消防が検疫所を閉鎖できたのは、事件が発覚してから五時間後。

 その間に検疫所を通過しなければならないはずの荷物が手違いですり抜けてしまい、さらに何人かのアジア人がいなくなるという失態も発生し、すべてが片付くまでには翌日までかかるという体たらくのまま終わった。

 そして、検疫官たちの遺体からは伝染病のウィルスも毒物も、当然何の傷跡も見つかることはなく、事件はさらに暗礁に乗り上げたのである……



          ◇◆◇



「―――で、元凶はアルラウネで間違いない」


〈奇喜木樹〉の店主の遺体を検分していた音子は凶器を断定した。

 外傷はどこにもなく、全身の穴という穴から血を噴きだしている有様はかつて座学で習ったものと特徴が同じだった。


「この植木鉢にはいっていたのですかね」


 植木鉢というよりも、箱に近い。

 いや、棺桶に近い形の奇妙な入れ物が差し出された。

 中には湿った土が入っている。


「ありました。金貨です」


 もう一人の霧隠の禰宜が床に転がっていた煌めく金貨を差し出した。

 どんな意匠も施されていない、丸いだけの金でできた円盤だったが、あえて呼ぶとしたら金貨しかないだろう。


「……アルラウネが産みだした金貨を拾いもしなかった? どういうこと?」

「でも、本体の方は見つかりませんねえ。そっちだけ持ち出されたのかな」

「だろうな。玄関の戸が開いていた。下手人は表から入ってきて、店主を串刺しにしてから目的のブツを奪ったらアルラウネを引いて殺したんだろう」

「―――身近で耳にしたらどんな生物も殺してしまうっていう悲鳴を聞かせて? そんなことしたら自分もお陀仏でしょう? 神宮女さんではないんですよ。下手人はあなたですか、媛巫女?」

「ノ. あたしじゃない」


 ―――アルラウネとは、西欧で金貨を産むと言われている伝説の植物である。

 植物とはいっても、すでに純粋な植物ではなく、魔物か妖精のカテゴリーに入れられるのが相応しいものであったが。

 そもそもアルラウネが生えるためには植物ではありえない条件がある。

 盗賊の家系に生まれたものや盗みを働いた妊婦から生まれたもの、無実ではあっても泥棒であると「自白」をしたものが縛り首にされたとき、その死に際に垂らした精液が地面に落ちることで生えると言われている。

 グリム兄弟『ドイツ伝説集』第八十四話にて言及されていて、かなり広範囲にわたる伝承であることが窺い知れる。

 なぜ、盗みを働いたものだけでなく自白したものまで含まれるかは不明であるが、アルラウネの生える原因のキーワードが「窃盗」であることは確かであろう。

 そして、生じたアルラウネを引き抜き、赤ブドウ酒を用いて洗浄して、紅白模様の絹布で包み、箱に収める。それから毎週金曜日に取り出してまた風呂で洗い、新月の日には新しい布を着せることで金貨を口に似た隙間から吐きだすのである。

 つまりは金の卵を産むガチョウと同様なのである。

 アルラウネは研究のための金のない魔術師・錬金術師の資金源となって重宝されたという。

 ただ、それだけの富を生むのであるから、当然リスクもある。

 この奇怪な植物は根の部分が人間の同じ四肢の形をしていて、当然顔に当たる部分が茎にきている。

 そして、無闇に引き抜いたら叫びだし、その叫びを間近で耳にしたものを全員呪い殺すのであった。

 育て方と大きさによって叫びの致死範囲は変わると謂れているが、もっとも小さいアルラウネでも五メートル以内にいたものをすべて殺すという。

 ゆえに、アルラウネを収穫しようとする場合は、犬を茎に繋いで離れた所から引っ張らせるという方法がとられる。

 そうして手に入れたアルラウネを金貨目当てで育てるのが、西欧の魔術師たちの性活手段であった。

 今回、音子が呼び出されたのはそのためである。

 某地方空港に持ち込まれ、おそらくは事故であろうが防疫官たちを殺害した凶器はアルラウネであることは〈社務所〉の調べですぐに判明した。

 だが、肝心のアルラウネ自体がそのときの空港内での混乱のせいで忽然と行方不明になってしまったのだ。

 警察は行方不明になったアジア人がどういう訳か盗んでいったのだろうという見解を示したが、〈社務所〉もほぼ同様の結論を下した。

 ただ警察よりは事情がわかっていたこともある。

 防疫官によって引き抜かれて、その叫びで検疫室内の生物を皆殺しにしたアルラウネは、その性質に従って金貨を産んだはずである。

 偶然侵入したアジア人が生み出された金貨を見ればなにやら金になるものと考えて盗んでいってもおかしくない。

 犯人の動機が推測できれば、あとは闇マーケットに出るのを待つか探せばいいという判断である。

 そして、諜報に優れた禰宜たちが〈奇喜木樹〉という店でそれらしい謎の植物を手にいれたという情報を仕入れたのであった。


「この〈奇喜木樹〉というのは一風変わった植物だけを集める場所でしてね。ゲテモノ屋の植物バージョンというか」

「ふぅん」

「今回の件が起きたとき、最初からマークしていたのです。ただ、アルラウネというものがものだけに、神宮女さんの助けが必要だと思ってすぐには向かいませんでした。こぶしさまにも止められましたし」

「いい判断」


 すべての音を殺す、無音の世界を産みだせる〈大威徳音奏念術〉を使える音子でなければアルラウネの叫びからは逃れられないというのは良い判断だと思う。

 だから、すぐに動かなかったとしても仕方のないところだ。

 まさかアルラウネを狙う別の勢力があるとは誰も思わなかったはずである。


「―――はい、わかりました。そう伝えます」


 携帯で〈社務所〉の本殿と連絡を取っていた禰宜が振り向いた。


「神宮女さん。間違いないそうです」

「シィ。やっぱり犯人はあいつらでいいんだ」

「……はい。店主の死体に刺さっていたこの独鈷杵どっこしょは西から来た仏凶徒のもので間違いありません」


 仏凶徒と聞いて、音子の眼が光る。

 それは彼女の可愛い後輩と仲のいい同期の仇であるからだ。


「しかも―――形状には八匹の龍が刻まれており、この独鈷杵を持つものは仏凶徒の中でも最悪の〈八倵衆〉の幹部だと思われます」


 ―――〈八倵衆〉。

 西からの波はついに関東の中心、ここ新宿まで達してきたのである。

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