第493話「摩天楼の巫女」



 闇の空を紅い巫女が駆けていた。

 人間の作りだした夥しいネオンがどれほど輝こうともすべての夜を駆逐できるはずもなく、逆に人間の手による高層建築などのせいで過去には存在しなかった陰ができた、現代の街並み。

 その頭上、誰も見上げてはいない場所を一人の巫女と二人の忍びが自在に飛び回っている。

 巫女は美貌を滑稽ともとれるレスラーの覆面で隠した少女―――神宮女音子であり、それに従うのは〈社務所〉に属する禰宜と呼ばれる調査役の中でも体術に自信のある忍び―――霧隠出身の二人であった。

〈社務所〉には幾つかの忍びの一族が協力しているが、実質的に次の頭領まで所属しているのは霧隠だけである。

 派閥を作るのならば、霧隠一族が最も多いであろう。

 もっとも、そんなくだらない勢力争いを許す御所守たゆうではなく、禰宜たちがたかの知れた縄張り争いなどを起こすことは皆無であった。

 本物の忍びと並んで十数階建てのビルの屋上を飛び回れるのは、媛巫女の中でも音子だけである。

 ほとんどの巫女は通常の交通機関を利用しなければならず、機動力という点だけを見れば音子を上回るものはいない。

 例え、戦闘能力では彼女を凌ぐと評価されている明王殿レイや猫耳藍色でも、だ。

 ただ一人だけついてこれそうなものはいるが。


(アルっちだけは読めないんだよね。〈猿飛〉も〈八艘〉も使えないはずだけど、昔からアルっちはどんなことでも強引についてきてもうサイアクってときだって平然と無茶をしてくるから、あたしがどんなに引き離そうとしたって絶対にヤバい。もう昔からそう。信じられない爆発力をもっていやがるからね、なんでああなんだろ!!)


 基本的に寡黙な性質の音子だが、心中では常に様々なことを恐ろしい勢いで考えている。

 並列思考をしているのではなく、一つのことを雪崩のごとく脳の中で積み重ねていくのだ。

 しかも、口を動かすよりもキーボードに打ち込む方が早いぐらいなので、自然とSNSの方面に偏っていくのも無理のないことであった。

 小学生の頃のミクシィから始まり、Twitter、フェイスブック、インスタグラムとあらゆるSNSに投稿し、自分を惜しげもなく出していくのが彼女のスタイルである。

 あまりにもネット上の有名人になりすぎてしまい、普段は覆面を被り始めたのは自業自得であったが。

 ただ音子自身は、覆面を被るきっかけはともかくそれに付随してなんとなく始めたルチャ・リブレに自分そのものを見出してしまったこともあり、まったく後悔もしていないのだった。

 中学生のときに退魔巫女の道場に入門した直後は、実家で覚えた合気道と秘術〈大威徳音奏念術だいいとくおんきょうねんじゅつ〉だけしか取り柄がなかった。

 ただし、彼女には抜群に優れた平衡感覚と異常に進化した三半規管があった。

 それは無音の世界を作り出す秘術を継承する一族の体質であったが、このおかげで音子はどれほど無茶な体術をしてもバランスをなくすことがないことがわかった。

 ゲームで行われるバットを額につけて回転して走るというものでも、音子は何回転したとしてもケロっとして走り出すことができた。

 仲のいい同期で遊園地に遊びに行ったときも、遊具のコーヒーカップを無理に回されても平然としていた。

 はしゃぎまわってカップのハンドルを回し過ぎた御子内或子と刹彌皐月が、そのまま一時間以上吐き続けていたのとは正反対である。

 そんな彼女が覆面を被ったルチャの戦士になったのも神の導きであろうか。


(まあ、おかげで〈大威徳音奏念術〉はこっそりと練習できたんだけどね。ララぽんに気づかれていたのは失策だけどさ。まったくあのクソ先輩はろくなことしないってわかっていたからずっと距離を取っていたのにどうしてバレたんだろーねー。スパイでもいるのかな。でも同期で〈社務所・外宮〉に入ったのっていないよねー)


 実のところ、〈大威徳音奏念術〉には無音の世界を作り出す秘術という姿以外にももう一つ別の使用方法があるのだが、それは一族以外の誰も知らない。

 もしくは、古い〈社務所〉の幹部か、彼らの真のあるじである御殿さまぐらいしか承知していないはずだ。


(やっぱりそういうことなんだろーけどねー。信じられないね。後輩と弟子を騙すなんてさー。サイアク)


 音子と仲間たちはそれぞれ〈社務所〉を介してではなく独自に連絡を取り合っていた。

 監視されているおそれもあるので、SNSを使うのはできるだけ避けるようにして直接連絡を基本としている。

 直近の最大の懸念事項はとある単語に関してものであった。

〈五娘明王〉である。

 熊埜御堂てんが奥多摩で消えたとき、御子内或子が敵である〈八倵衆〉から聞きだしてきた言葉である。

 その言葉について明らかに聞き覚えのあるものは二人いた。

 レイと音子である。

 それぞれ幼少期にその単語について聞き及んでいたのである。

 物心ついたころのことなので、詳細までは覚えていないが、ともに自分がその一人になれるように精進しなさいと諭された記憶があるのだ。

 それを言ったのは誰であるかはなぜか記憶にない。

 ただ、穏やかで優しい声であったことは確かであった。


「―――神宮女の媛巫女。あれです」


 長い長い記憶と思考を断ち切ったのは、忍びの禰宜の声であった。

 忍びではないのに、彼らについてこられる音子に内心舌を巻いていた。

 ゆえに、自分よりも遥かに小娘であるはずなのに強い尊敬の念を抱いている。


「あれ?」


 指さされた場所には、あまり人のいない路地の一角に古いガラス戸をつけた一軒の店であった。


「はい。〈奇喜木樹〉という一風変わった観葉植物店でして、例のアレも紆余曲折あってあそこに流れ着いたものと思われます」

「……相応しい辿り着いた先」

「神宮女さんが来てくれて助かりましたよ。自分たちでは危なすぎて対処ができないものですから、アレは」

「アレが噂に聞くソレなら、あたしがきて正解。つーか、あたし以外では全滅」

「だから頼みます」

「シィ」


 三人は、個人の住居と一体になっている店の造りをみて、三階のベランダから潜入することに決めた。

 深夜であるのに電気もついていないことから、店の主人たちはすでに就寝しているだろうが、警戒されているはずの地上から入るよりはリスクも少ない。

 特に一階は太陽光を浴びる植物のためにシャッターを下ろしても薄く光が漏れているのがわかった。

 あそこから入ると万が一でも誰かに見られるおそれがある。

 そして、彼らは一人を除いて忍びであり、寝ている住人の脇でも音を立てずに忍び込むのは専売特許であった。

 屋上や屋根を伝わってきたという利点を生かし、一人が窓にぴたりと張り付いて、ガラスに触れる。

 軽く震動が起きたかと思うと、そのまま窓が外れた。

 築三十年ほどの建物であるのならばほとんどの場合使える、忍びの秘術である。

 ガラスをカットしないでもはずすことができるのだ。

 音もなく窓を外すと風のように侵入していく。

 例え、室内に誰かが起きていたとしてもまさに隙間風がそよいだとしかとらえられないだろう。

 気配を消して、重さを消した忍びは

 続いて、もう一人と音子が入った。

 そこは乱雑に布団や服が散らばった誰かの寝室のようだ。

 転がっている男性向けの雑誌からして、四十代から五十代の中年―――しかも独身だろう。

 禰宜たちの調べでは、この〈奇喜木樹〉の店主がその年頃で住みこんでいるはずだ。

 布団に触れるが熱はなかった。

 万年床に入った様子はない。

 しかし、二階にも同様に電灯はついていなかったはず。

 出掛けているのか。

 独身の中年男性ならば、夜になったら近くに酒を飲みに出ていても不思議はない。

 三人は引き続き音を立てずに下の階へと向かう。

 闇が移動しているかのようだった。

 だが、倉庫も兼ねている二階にも何の気配もない。

 一階への階段にはむっとした熱気があった。

 植物を扱っているため、電熱灯などを大量に使っているのだ。

 緑の草の臭いもする。

 植物園の香だな、と禰宜は思った。

 同時に顔をしかめる。

 嫌な臭いもしたからだ。

 据えた鉄の臭いに近いそれは……


「血です。……しかも大量。人が死んでもおかしくないぐらいでしょうね」

「厄介」


 音子たち退魔巫女の仕事は妖怪退治であり、名探偵でも刑事でもない。

 


 三人は〈奇喜木樹〉の店内に入った。

 そして、見た。

 一人の中年男性が両掌を何か鋭い凶器のようなもので柱に磔にされて、耳と目と鼻、全身の穴という穴から血を流して絶命している姿を……

 無残に荒らされて、床に落ちた大量の植物たちを。

 そのすべてが枯れ果てている異様さを。


「―――引き抜かれたようですな」

「シィ。ただ……」

「ただ? なんですかな?」

「アレを引き抜いたというのなら、それをやったものの死体があってもおかしくない。でも、何もない。まさか、両掌を刺されたおじさんがやったっていうの?」


 ざっと見渡してみてから禰宜は答えた。


「確かに。アレを抜いたものが見当たりませんね」

「うん。アレは、人間みたいに四肢があるけど、所詮は植物だから自分では鉢植えからでてこないものだから。だから、おかしい―――アレが……」


 音子はぽつりと言った。

 この惨劇を産みだしたものの名前を。



「アルラウネがどこにもないのは変」

 

 

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