第490話「〈S.H.T.F〉」
スタン・グレネードM84は、アメリカで使用されている閃光弾である。
起爆すると同時に170から180デシベルの爆発音と、15mの範囲で100万カンデラ以上を出すという閃光を放つ。
これは咄嗟に防禦したとしても、突発的な目の眩みや難聴、さらには耳鳴りを起こさせられる。
一切防禦しなければ、方向感覚の喪失や見当識の失調まで引き起こすという強力な効果を持つ。
そして、その効果は人だけにある訳ではなかった。
バタバタ
とヤクザの組事務所を羽ばたいて、今にも神撫音ララに襲い掛かろうとしていた蝙蝠の群れにとっても同様であり、ほとんどが抵抗もできずに床に落ちていく。
蝙蝠たちは自然の生き物ではない。
マーカム・フォン・ブライシュティフベルガーという〈吸血鬼〉の肉体の一部である。
だが、一体では強力な〈吸血鬼〉といっても、何百匹もの蝙蝠に分離したことで一匹一匹の蝙蝠の強度のようなものは確実に失われていた。
人間相手の非致死兵器が通用してしまうほどに。
本来ならば、これだけ無数の蝙蝠に一斉に襲われれば全身に無数の咬み傷をつけられて、大量の出血みならず痛みでショック死しかねないのだが、その牙はララに届く手前で防がれてしまった。
『……ぐ、ぐぅぅ』
床に落ちた蝙蝠たちはぐちゃぐちゃの黒い泥に変わったかと思うと、そのまままた人間の形に戻っていき、マーカムの姿になった。
〈吸血鬼〉のままであったのならばとにかく、一匹では強度の薄い蝙蝠のときに受けた音と光によってふらふらとしていた。
誇り高い貴族が床にひれ伏し、しかもそれが極東の島国の猿だということで屈辱に唇をわななかしていた。
『貴様……なにをした』
「ふん。ただでさえ〈吸血鬼〉は弱点がバレているというのに、あなたのような輩は自分についての情報ですら垂れ流しだからネ」
『―――っ』
「マーカム・フォン・ブライシュティフベルガーの切り札は、蝙蝠への変化。それは暴徒と化した移民から逃げ出すときにも使われた。移民の中にはアラブの魔術の使い手がいたこともあり、あなたはまともに抵抗するのは無駄だと悟ってさっさと逃げ出したらしいじゃないカ。恭しく仕えていた下僕たちを捨てて。その下僕のほとんどは、あなたが無残に手折ってきた近隣の村の少女たちばかりだったというじゃないカネ。まったく醜悪なことダヨ。なにが貴族だ。護るべき領民を捨てて、ノブレス・オブリージュの欠片もないネ」
ララは吐き捨てるようにいった。
事実、彼女は〈吸血鬼〉マーカムを嫌っている。
妖魅だからではない。
その生き様を、だ。
貴族を標榜しながら護るべきものと領地を見捨てて日本にまで来ただけでなく、平然と他国の人間たちを虐殺する化け物を……
『何を言う―――私にはわかっているぞ』
「なにをダネ」
『貴様はこの国の民警を囮に使ったな!! 盾として使い捨てたな!! 奴らを先に突入させることで私を燻りだそうとしたな!!』
すると、毒の混じったその告発に対してララは鼻で嘲笑った。
「異なことを言うネ。兵士も警官も、現体制を護持するためには身を投げ出しても悔やまないの、そもそもの本質。あなたという害毒を滅却するために使い捨てられても何の文句も言わないヨ」
『なっ!!』
これは悔し紛れの捨て台詞ではなかった。
神撫音ララという女はこういう思考の持ち主であった。
国を構成する民とそれを構築する政治・社会体制を護るためであったら、全体に奉仕する役割の人間などいくら死んでも構わない。
そういう考えの持ち主なのである。
ララの思想の顕著なところは、それが同僚・後輩であるはずの媛巫女にも及んでいたことからわかる。
彼女は〈社務所〉の究極の目的であるところの、神物帰遷によってやがて現われる邪神を滅し討ち果たすためならば、どのような過酷な状況に追い込んでも鍛え抜ければそれでよしとしているのであった。
そのために御子内或子に〈殺人サンタ〉をぶつけ、神宮女音子に〈枕返し〉をあてがい、ブランクのあった猫耳藍色のテリトリーに異国の〈鎌鼬〉を放り込んだ。
すべて、遠大なる目的のために。
そして、ついに戦いは始まろうとしているのにもかかわらず、余計な邪魔をしかねない巨大な妖魅が欧州からやってきた。
わざわざララが討ち手としてやってきたことの背景はそこにあったのだ。
彼女の言う通りに、すでにこの日の段階で御子内或子はとある多摩の団地の一棟で、明王殿レイは房総半島の一角で、すでに狙う邪神の眷属との死闘を終えていた。
本来の敵が上陸し、大戦の気配が間近に迫っているというのに、つまらない雑魚にかかわり合っている暇はない。
モンスターの王とまで呼ばれる〈吸血鬼〉ですら、神撫音ララにとってはその程度の存在でしかなかったのである。
もっとも、その大言壮語を裏付ける実力も有していた。
「私は日本という国が護れるのであれば、兵を何人すり潰そうが気にも留めない。〈社務所・外宮〉を選んだ時に覚悟は決めているんダヨ」
―――ゲーム感覚で、何万人もの命を左右できるという高級官僚の残酷さを有していることをみこんだ、という御所守たゆうの率直な意見に魅かれたからというのもあった。
沖縄の米軍基地返還問題に食い込んだ妖魅たちの抗争のおかげで、地元沖縄を追われることになった神撫音ララにとっては二度と帰ることのできない故郷を影ながら護ることができるという理由もあったが、そんなことはおくびにも出さない。
彼女のニライカナイはなくなったが、この神州・日本を守りきれば、また生まれ故郷をも救えるのだ。
だから、ララは無慈悲にゲームを進める。
クリアできなければ泣くのは自分ではないのだから。
護国のためなら鬼となれ。
「さあ、〈吸血鬼〉マーカム。この麗しい神州を土足で踏み抜いた報いを受けてもらおう。この国は我らの大帝と生きとし生けるものの国なんダヨ。かりそめの客にはさっさとご退場を願おうカナ」
ララがパチンと指を鳴らすと、今度はスタン・グレネードではなく、あらゆるドアと窓を突き破って完全武装した兵士たちがなだれ込んできた。
息と身を潜めて事務所の外のあらゆる場所で合図を待っていたものたちであった。
マーカムが周囲を一回見渡す間に、彼にサブマシンガンの銃口が何十と突きつけられる。
しかも、その照星にはイエス・キリストが磔刑された十字架が飾られていた。
全員が着込んでいる分厚いボディアーマーにも、至る所に十字架が貼りつけられ、ニンニクの成分を分析した薬剤が振りかけられている。
弾丸は銀を溶かして、さらに聖製された特殊加工品だった。
ゴーグルには直接に〈吸血鬼〉を見ないように工夫されたレンズが装着されている。
彼らはララをはじめとした〈社務所・外宮〉の面々が自衛隊の各部署から秘密裏に引き抜いて結成した特殊部隊であった。
名を〈S.H.T.F(
邪悪を祓う媛巫女以外にも用意された人類の剣。
美しく優しい少女たちだけではなく、このような組織まで用意しているのは当然と言えば当然のことである。
ララたちの本当の敵―――神。
できることはすべてやらねば、為すすべもなく滅ぶのはこの国なのだから。
『……ハンターなのか』
「その答えはノンだネ、〈吸血鬼〉。たかが、百年生きた程度で私らの国で自由にできると思ったのが大間違いだと今知ったところだろう。―――私ら〈社務所〉はね、百年以上、
ララが上げていた手を降ろした。
同時に〈S.H.T.F〉の隊員たちの手にしたサブマシンガンが火を噴く。
いかに〈吸血鬼〉といえど聖製された銀の銃弾でハチの巣にされればほとんど動けなくなる。
完全に全身が銃弾で抉られつくしたところを強引に仰向けにされて、隊員の一人が手にした白木の杭を左胸に当てた。
『……やめろ……っ』
マーカムは命乞いをしたが、隊員は迷うことなくその白木の杭を心臓に邪悪な心臓に叩き込んだ。
伝説にある弱点の通りに。
百年続いた呪われた生命はここに終わりを告げる。
死人は灰になり大地に還っていくだろう。
怪物は人の手によって始末されるのが宿命なのだ。
「わたしとクライドとが 人なみの暮らしをしたり
人なみに家を借り 人なみに生活したら
三日めには警官がやってくる 税金で買った機関銃をもって
わたしは必死に戦う どうせとどのつまり勝つのは法律で
先に撃たれて死ぬのは ふたりと決まっている
でもわたしたちは知っている 死は罪のむくいなのだと
いつか私たちいっしょに死ぬだろう力のかぎり戦い、
傷つき、撃たれてふたりはならんで土になる
わたしたちの墓を見て ほっとして人は言う
やっと死んだボニーとクライド
わずかな人にそれは悲しみを与え、法に安堵を
でもそれは、ボニーとクライドの死……」
警官に撃たれてハチの巣になって死んだ、伝説的な銀行強盗カップルの詩をララは不意に口にした。
〈吸血鬼〉マーカム・フォン・ブライシュティフベルガーの死にざまはまさにそれを連想させたからだ。
「……まあ、あなたが人並みに暮らしていれば、私らはやってこなかっただろうがネ」
―――そう、神撫音ララは興味もなさそうに呟くのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます