第488話「外道のマニュアル」



 モンスターの世界の王といえば、それは〈吸血鬼〉となろう。

 世界には数多くの物の怪、怪物、妖怪、悪魔の存在が語られているが、世界的にその超常たる能力と悪名を轟かせた怪物種はそれほどいない。

 一言でいえば、人間の血を吸う蝙蝠の親玉にすぎない。

 だが、その存在感は世界規模であり、もしかしたら最も有名かもしれない。

 おそらく、人々の恐怖の具現化としては近年になって成長著しいゾンビでも敵わないものがあるだろう。

 救いがあるとすれば、彼ら〈吸血鬼〉が生息するのは、欧州と北米の一地域に限られるということであった。

 彼らは基本的に昼という時間に弱いために、堅牢な城塞で自らを守る必要があることから、あまり他の地域には出ていかないのである。

 ゆえに、もともと〈吸血鬼〉の巣である国に住む者以外は、かの伝説の魔物の存在にも襲来にも怯える必要性はなかったのであった。

〈社務所〉においてもそれは同様だ。

 過去、日本という極東にある弧状列島には様々な魔物・妖魅・邪神・悪神の類いが流れ着いてきていたが、〈吸血鬼〉という魔物が上陸したのは記録に残っている限り、ただの二回。

 しかも、そのうちの一回は昭和に入ってからの近代であり、その頃には〈吸血鬼〉対策が十分に練られていたことからさほどの被害は出なかったという。

 この国においては、〈吸血鬼〉はまずありえない災害扱いであったのである。

 ただし、〈社務所〉は伝統的に執念深く相手を追う組織である。

 比較的少数とはいえ、被害を受けた民草が出た以上、二度と起こらないという楽観論は語らない。

 二回分手に入れた〈吸血鬼〉のデータは細かく分析されて、机上の空論めいた対策方法が練り続けられていた。

〈吸血鬼〉が欧州産の妖魅であることから、外来種の退治を主な役割とする部署は特に真剣に課題に取りかかっていた。

 その部署、神撫音ララの属する〈社務所・外宮〉が都内に侵入した〈吸血鬼〉の存在を察知したのは、とある暴力団組員の検挙からであった。

 発端は一人の暴力団組員によるケチな恐喝事件であった。

 ただ、その事件が〈社務所〉の情報網に引っかかったのは、深夜のバーで起きた暴行の際に、加害者である男が殴り倒した被害者の血を舐めとったということがあったからである。

 手や顔に浴びた返り血を舐めとる程度なら、示威行為としてはありえないことではない。

 自らを危ない奴に見せる常套手段であるからだ。

 だが、殴り倒された被害者の流した血をわざわざ四つん這いになって舌でなめとったというのは尋常ではない。

 しかもその凶行は駆けつけた警察官が制圧するまで終わらなかったのである。

 舐められた側の被害者はあまりに不気味すぎて反抗する気も起きずになすがままにされていたらしい。

 時間にして五分程度、強面のヤクザに顔面を舐めとられるという狂気の沙汰でない体験をした被害者は極度の貧血でまだ入院している。

 もっとも、その際、ヤクザは抵抗なしに制圧されたわけではなく、激しく抵抗してさすがに警察官からも執拗な暴行を受けることになった。

 警察官側にも二人の怪我人がでる事態はなんとか終息したが、それで終わるはずもない。

 拘束されたヤクザは派手に暴れ回り、麻酔薬の注射というあまり類をみない結果を迎えたのである。

 当の警官たちですら、裁判になったとき刑事訴訟法的に違法をとられるに違いないと思わざるを得ないほどの強硬手段だった。

 麻酔を注射し、さらに全身に拘束具を着せてようやく無力化させることができたほどであったのだ。

 あまりの凶暴性に、何か新種の薬物の常用を感じさせたが、覚醒剤などの反応はすぐに見つからなかった。

 ただ、数時間後に現われた警視庁の係官の来訪によってすべてが変わる。

 彼は拘束されたヤクザの様子をじっと数時間も観察し、幾つかの質問を投げかけ、その肌に触診のように触るなどの行為をしたあと、「そのまま拘禁しておくように。場合によっては警察病院へ連れて行ってやれ」と命じて出ていった。

 入れ替わりに若い弁護士がやってきて、法的な手続きを済ませる。

 ヤクザに対して行った過度な制圧行為を責められるかと思いきや、弁護士は「仕方ないことだと思います。当職は彼の身柄の確保が正当になされることだけを目的としております。具合が悪いようでしたら、野方の警察病院への搬送をお願いできないものでしょうか」と神妙な顔つきで言った。

 この時、先の係官から野方への移送を命じられていた所轄の署員は渡りに船とばかりにヤクザを搬送していった。

 実のところ、この警視庁の係官と弁護士は共に〈社務所〉の禰宜であった。

 また、野方の警察病院は〈社務所〉の影の医療機関でもあった。

 彼らは自分の所属する組織―――警察と弁護士会の内部で妖魅事件の端緒を掴むことを主任務としていて、今回もマニュアル通りに動いただけであった。

 しかし、そのマニュアルは普通の物とは異なるものであった。

 それは〈社務所・外宮〉が制作したものだった。


 その名も―――『ヴァンパイヤ・ハンティング・プランニング』。


 ヤクザを間近で観察し、間違いなく〈吸血鬼〉の下僕であることを確認した係官は、そのまま〈社務所〉内における外来種の撲滅を任務とする〈社務所・外宮〉の幹部である神撫音ララに連絡を取った。

 弁護士は、これ以上、下僕―――彼らはチェザーレと呼ばれている―――を人目に触れさせないように移送させる手続きを取った。

 そして、神撫音ララは部下たちを率いて、そのヤクザの所属する事務所の洗い出しを行ったのである……



      ◇◆◇



「―――〈吸血鬼〉災害の端緒は、ほとんどの場合、まずなんてことのない下僕たちの行動にある。それは私ら〈社務所〉がまとめあげたマニュアルにもあるんダヨ」


 ララは掌を合わせて、すっくとした立ち姿になった。

 棒立ちではなく、明らかに構えだった。

 しかし、数多の武術のように襲い掛かるための構えではない。

 はっきりとわかる技を受けるためのものであった。

 琉球武術・御殿手うどぅんてぃのように見えるが、それよりも遥かに危険な業であることを知るものは〈社務所〉の関係者だけである。


「あなたは、自分の手綱の緩さによって滅びることになるのサ」


 姿勢良く膝を伸ばし、まったく軸のぶれない眩惑的歩法を用いて、そこからうまれる突きや蹴りによる護身術が御殿手うどぅんてぃであるが、果たして実践的なものであったかは疑わしく思われている。

 てぃ自体が近代に作られたという説もあり、過大評価ではないかと噂されているからだ。

 実際に、体系立てられているとはいえず、学ぶものも少ない武術は分母が小さいために強い使い手が多く発生しやすいとはいえず、軽くみられるのも当然であろう。

 だが、それは少数のみにエッセンスを伝えて純粋培養された強い流派がいてもおかしくないという考えと矛盾しない。

 ララの使うてぃはまさにそれであった。

 彼女の出身する一族が代々継承してきたてぃの源流ともいえる武術。

 中野の猫耳藍色が伝承する猫耳流交殺法と同じ、人の範疇の外にある古武術なのであった……




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