第487話「妖魅〈吸血鬼〉」



「マーカム・フォン・ブライシュティフベルガーというらしいネ。東欧のとある地方を牛耳っていた一族の末裔らしいが、こんな極東の島までご苦労なことダヨ」


 ソファーに腰掛けた日本の巫女は、手にしていた缶コーヒーを飲みながらである彼を見上げてきた。

 不遜な眼差しだった。

 とてもではないが、下層の民が、ただの人間が、彼に向かってやっていい視線ではなかった。

 明らかに増長している。

 ただし、応接間の惨憺たる状況を見る限り、口だけのハッタリという様子ではない。

 彼の―――マーカムの不細工な下僕たちを不思議な金属棒で床に縫い止めているのは、この巫女だからだ。

 間違いなく“力”がある。

 貴族たるマーカムの御前を汚すだけの何かを有しているはずだ。


『―――〈社務所〉とかいったな』

「言ったネ。あなたをここまで手引きしたブローカーから聞いていないのカナ?」

『知らぬ。貴様のようなもののことなど聞く気もない』

「……ああ、貴族さま、それは不見識ですナ。あなたのような妖魅に属するうえに、人間と同様の知見を持たれる方は、自らが落ち延びられる先に何があるのか、どんな敵がいるのか、きちんと把握しておくべきだと私なんかは思いますガネ」


 嘲るような口調で巫女は言った。

 いや、完全に嘲笑しているのだろう。

 口元にはチェシャ猫ですら及ばないほどの三日月が浮かんでいた。


「確かに〈吸血鬼〉といえば欧州では最強の部類に入る妖魅。しかも、数も多い。……ある物語の登場人物は言っている。『吸血鬼はその弱点の多さに驚くべきではない。警戒すべきは、それだけの弱点があることが知れ渡るほど人間との接触が多いことだ』と。至言ですネ」


 神撫音ララの言動にはすべてに裏があるように聞こえる。

 彼女のことを良く知るものたちでなくとも、それは十分に窺い知ることができた。

 この場合、マーカム・フォン・ブライシュティフベルガーでさえも例外でなく。

 眼前の正体不明の巫女が只者ではないというだけではなく、彼に対して姑息な罠を仕掛けてきているということが読めるほどに。


『……私を狩りに来たのか?』

「当然ダネ。この事務所に詰めていた十数人の暴力団員、その妻たち、そして数人の風俗嬢。あと、十一人の警察官。これだけ殺しておいて無害を主張するのはいただけないカナ?」

『―――貴様』


 背筋に戦慄を感じたのはマーカムの方だった。

 

(この女は私がここで餌にしたものたちのことを完全に把握しているのか!?)


 ただ、その考えには不審な点がいくつかある。

 自分の―――〈吸血鬼〉の存在をわかっていたというのに、どうして警察官による家宅捜索を認めたのか、という点が一つだ。

 彼のフルネームを知っていて、さらに出自まで把握しておきながら、どうして警察官たちに警鐘を鳴らすなどの行為をしなかったのか。

 何の経験もない相手でもなさそうなのは、彼が気が付かないほど手早く下僕たちを制圧した技術から想像できる。

 では、いったい、何故だ。

 さらに、どうやって彼の居場所を突き止めたのだ。

 マーカムがこの極東の島国に訪れてから二週間。

 そのうち、塒がなく彷徨っていたのはほんの数日。

 あとはずっとこのヤクザの事務所に潜んでいて、ただの一度も外に出ていないのだから、ここまでピンポイントで見つかるはずがない。

 確かに故郷を追われてからも、執拗に自分のような貴族を狙う奴ばらはいない訳ではなかったが、彼の知っている限りでもハンターたちが獲物を見つけるのには最低半年はかかる。

 しかも、それもおおまかな地域の予想が立っていればこそだ。

 たかが十日前後でできることではない。

 この神撫音という女はいったいどうやって、正確にここをつきとめたのか。

 もし、今ここでこの女を始末したとしてもそれがわからなければ再び塒を襲われるかもしれない。

 しかも、〈吸血鬼〉にとっては弱点ともいえる昼間の時間に。

 それだけはなんとしてでも避けたいところであった。


『……夜になってから貴族の前に立とうとは見上げた領分だ。褒めてやるぞ。はたして、どうやって我のあとをつけてきたのだ。貴様以外にハンターがいるというのか?』

「ちょっとその邪眼イーブルアイやめてくれないカネ。視点をぼやかすので苦労するんダヨ」

『なっ!!』


 マーカムは誰にもわからないように、自らの双眸に妖力をこめて、人間はおろかすべての生き物を操る邪眼を使用していたのを見抜かれて狼狽えた。

 彼の一世紀に渡る呪われた半生において、見詰めている人間に邪眼を指摘されたことは一度もなかったからである。

 邪眼は生き物を操るため、見つめた相手の挙動が不自然になるため、同行している第三者などに気取られることはあったが、〈吸血鬼〉の妖力をこめた眼差しに気が付くものなどはいないはずだ。

 まして、邪眼封じの呪法でも掛けていない限り、逃れられるはずがない。

 この巫女はいったい何者なのだ!?


「そうかネ。まさか、自分の術が破られるとは思っていなかったとは……ついぞ欧州は妖魅どもにとっては棲みやすい環境だったに違いない。我が神州では、この程度の邪眼を使う妖怪など腐るほどいるから、防御方法も知れ渡っているというのに」

「なんだと!?」

「伝え聞くところの〈吸血鬼〉の最大の恐怖はその暴力性とあるというではないカネ。それを見せつけ給えヨ。地下でヤクザの組長を殺したときのように」


 あからさまな挑発にもう耐えられなくなっていた。

 貴族たるものに対してなんて口の利きようだ、この女は!!

 罰してくれる。

 糺してくれる。

 人間如きが帰属に逆らうことは、紛れもない“悪”である!!


『いい加減に黙るがいい小癪で下等な猿め!!』


 ついに貴族の怒りが爆発した。

 鋭く尖った手刀の先で日本の巫女の胴体を貫く。

 だが、それは上に飛び跳ねた巫女の残像に過ぎなかった。

 ソファーだけに被害をだして、手刀は一切の血を流さない。

 そのまま上に手を動かすと、高級で分厚い革は内蔵されたスプリングごと容易く切り裂かれ、再び神撫音ララを襲う。

 空中で一回身をねじって、ララはさらなる手刀を避けた。

 まるで空を飛翔する蝶のうに身軽な動きであった。

 当たらない攻撃に業を煮やしたマーカムがソファーをサッカーボールのように蹴りあげて爆散させても、その破片がララに命中することはなかった。

 逆に床に縫い付けられたもとヤクザの〈吸血鬼〉の下僕たちが被害を受けたほどである。

 もっとも、残酷な支配者は下々の苦鳴など意にも介さなかったが。


『小癪な!!』


 ララの述べたとおり、〈吸血鬼〉の最大の武器はその尋常ではない凶暴性と暴力性にある。

〈社務所〉に知られている妖怪は数多いが、〈吸血鬼〉と同じレベルで警戒されているものはほとんどいない。

 辛うじて〈牛鬼〉や〈童子〉などがいる程度だ。

 力そのものはさらに強いものがいるとしても、〈吸血鬼〉にはその眷属を生産できる増殖力と再生力がある。

 ゆえに災害クラスの妖魅と認定されていた。

 自らを貴族と名乗るのもむべなるかな。

 彼らは人のカタチをした災害そのものなのである。

 目にするのも口の端に乗せるのも避けたい、闇の暴力の化身。

〈吸血鬼〉はそれだけの怪物なのである。

 ただ、その怪物を前にして神撫音ララは怯えもしないし、震えもしない。

 いつもの彼女のままだった。


「……ぬるいナ」


 ララは我知らず口走っていた。

 侮ってはいない。

 見下してもいない。

 ただ、目の前の敵に対しての正直な反応がそれであった。


「あなた、こちらの情報が確かならば百歳ということですが、事実でしょうかネ」

『ああ、暗黒を永劫に生きる我らと貴様ら定命のものを同等に比べたりするなよ。下郎がどれほどかかってきても我には勝てぬぞ』

「―――道理で。たかが百年生きた程度でそのイキリよう。まったく、やはりこの程度の妖魅では御子内たちのレベルアップにも使えそうにないカ。仕方ないですネ。私がここで始末してしまいましょう」


 マーカムにとっては聞き捨てならない。

 だが、ララにとっては失望した挙句サービス残業めいた仕事をしなければならない徒労感に満ちた、しかし魂まで穢れかねない危険は微塵も減少していない魔戦が始まったのである。

 

 


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