―第62試合 闇と人の剣―

第485話「某事務所へのガサ入れの記録」



 何度か訪れたことがあるといっても、やはりこの場所の空気は独特だ。

 

 部下の職員たちが次々と段ボール詰めにした証拠物件を外に運び出していく中、松任谷竜司はソファーに傲然と座っていた。

 前には彼以上にふんぞり返った男が一人。

 この事務所の最大権力者である、東堂中也とうどうちゅうや

 二代目朝倉会の会長―――俗にいう組長である。

 今どき一見してヤクザとわかる風体と顔付きで、黙っているだけでしのぎが回ると言われている強面だった。

 自分の事務所が警察にガサ入れされているというのに動揺した様子もない。


(まあ、最近は組員が何かしでかせば即ガサをいれるのが普通だからな。こいつらにとっちゃあ日常茶飯事か)


「よお、松任谷さんよお。うちのバカがたまたま喧嘩した程度で、組事務所まで漁っていくのはやりすぎじゃねえのかい?」

「喧嘩? どう考えても不当要求の恐喝だろ。黙ってお上のいうことに従っていりゃあいいんだよ。ヤー公の分際で」

「へ、また吠えてくれるぜ。別にいいさ。あんただって、今はサツの側で風をフカシテいられても、いつかはあの庄司みてえに追い出されて終わるぜ」


 庄司昇は松任谷の同期の警察官だった。

 ヤクザというか、半グレと癒着があったとして、二年ほど前に警察を追われていた。

 警察学校の同期で公私ともに仲のいい相手だった。

 その庄司のことをあてこすられてさすがにむっとする。


「庄司がなんだって?」

「あんたら、サツだって今はともかくいつかは俺たちと同類にまで落ちぶれるかもしれねえんだぜ。そんときゃ、警察は守ってくれやしねえ。庄司のダンナみてえになってからじゃおせえってのよ」

「てめえらの忠告なんか効かねえよ。それとも脅しか」

「まさか。ただの世間話さ。―――聞いた話じゃ、なんかの作業していて死んだらしいじゃねえか。お悔やみのためだ」

「知った口を」


 だが、庄司が二週間ほど前に死んだのは事実だ。

 親しかったにもかかわらず、葬式には呼ばれなかった。

 噂では遺体があまりにも無残だったために、近親者のみで行われたらしい。

 仕事柄、警察時代の報復でもされたのではないかと松任谷は疑った。

 なぜなら、庄司は正義感を暴走させた挙句、たまに被疑者を暴行してしまう情緒不安定なところがあったからだ。

 警察を退職させられたのもそれが原因なのだから、その後の人生でも癇癪を起こしていたとしてもおかしくはない。

 ただ、その死をヤクザに掴まれていたとは……


「もしかして、てめえらがやったのか」

「まさか。いくらなんでも辞めたとはいえサツには手を出さねえよ。ただ、世の中、恨みを買ったやつがどうなるかをよくわかっていねえのが多いなって話さ」


 つまりは、松任谷も調子づいているといつか痛い目を見るぞということだ。


「ご忠告ありがとよ。―――ところで、茶は出ねえのか」


 話を逸らすことにした。

 ヤクザと辛気臭い話を続けていたくなかった。

 すると、東堂は露骨に驚いた顔をした。


「おや、あんたもう忘れたのかよ。うちの事務所の一階につけておいた自動販売機のことを」

「……ああ、あれか」

「おれたちだって人間だ。事務所の敷地に便利になるように自販機をつけておいたって別に問題ねえはずだ。なのに、なんだっけなあ、利益……供与……、そう暴力団に対する利益供与にあたるからといってベンダーにナシつけて契約解除させて撤去させたのはあんたじゃねえか」

「あたるからな」

「だからといって、ベンダーあっちだって一台幾らの商売でやっているものを警察で指導して解除までさせるのはやりすぎじゃねえか」

「ヤー公がほざくな」

「あんたたちがこうやって来ているときの飲みもんは全部あの自販機で買っていたんだから、それがなくなりゃあ茶が出ねえのは当然だろ。自業自得ってもんだ」

「うるせえ」


 確かに言われた通りのことをやったのは松任谷だった。

 自販機を設置しておけばオーナーにはそれなりの額が入る。

 とはいえ、ヤクザの事務所の敷地内に一般人が入るはずもなく、売り上げのほとんどは組の連中によるものだった。

 だから、別に見逃してもよかったのだが、ヤクザの資金源を断つというよりも嫌がらせに近い感覚で撤去させることに踏み切った。

 全体で構成員が減っているといっても、辞める分を埋める程度にはヤクザは増えている。

 いたちごっこにも飽き飽きであったし、こういう姑息な嫌がらせで暴力団にストレスを溜めさせるのもある意味では仕事だ。

 何かあるたびにガサ入れするのもそれと同じことなのだ。


「あまり、うるせえこというともっと没収させるぞ。そういや、この事務所には空の地下室があったな。また、何か隠してんじゃねえのか」


 鎌をかけただけだっだか、松任谷の刑事の勘は東堂のどこかに違和感を覚えた。


(なんだ、こいつ。今、動揺しなかったか)


 そして、改めて見渡してみると、半年ぶりに来た組事務所だが、かなり雰囲気が変わっている。

 まず、真っ暗になるように雨戸が閉められているのだ。

 確かに今日は軽く雨が降っていたから、雨戸を閉めるのはいい。

 ただ、部屋の窓の枠にガムテープで目張りされているのだ。

 最初みたとき、部下の一人が、「こいつら、何か悪さしているのかもしれませんよ。誰か監禁しているとか」とこっそり耳打ちしてきたからだ。

 とはいえ、最近この二代目朝倉会絡みの事件はなく、通報もタレこみもないことから特に何かがあったとは思っていなかった。

 だから、ガサも形式だけでいいと思っていたのだが……

 そういえば、東堂はいつも通りだが、他のチンピラどもがどうも様子が変だ。

 ヤクザというよりも薬チューのように顔色が悪い。

 しかも、ほとんど伏目がちで覇気らしいものがなく、普段ならまとわりついている凶暴性さえもまったく隠れている。


(やはり何か隠してるのかもしれん。だとすると、地下室だな)


 この建物の地下室は、初期のガサの際に色々と警察側で調べまくったせいで、朝倉会側でも大事なものは仕舞わないようにしてきていたようだった。

 あってもゴルフケースがある程度だ。

 たまに、執拗なリンチの現場になっているようだが、被害届がなければ警察は動けない。

 まさか犯罪が起きる可能性があるから塞げとは行政指導できない。


「おい、何人かついてこい。地下室を見る」

「―――あんた、令状には地下室は書いてねえはずだろ」

「よく見ろ。裁判所がくれた有難い令状にはな、『犯罪にまつわるものと思料されるもの、またはそのものが置かれている場所』とあるだろうが。わざわざ地下室と記載してねえだけだ」

「屁理屈を。あとで弁護士呼ぶぞ」

「ふん。ヤー公が被害者ぶるんじゃねえよ」


 二人の部下の手が空いていたから、それを引き連れて地下室のある階段裏に行く。

 勝手知ったるヤクザの事務所だ。

 すぐに地下に続く階段を見つけた。

 ひやりとした冷気が漂っていた。

 おかしいと思ったら、なんと地下への階段の脇にエアコンが設置されつけっぱなしになっていた。

 なんで、こんなところに。

 しかも、かなりの強風で冷房だ。

 電気代もバカにならないだろう。

 異様さを感じたが、それは無視して中に入る。

 エアコンのせいか、さらに内部は寒かったが、無理をして電気をつけながら押し入った。

 

「もしかして死体でも隠してんのかもしれねえな」

「死体?」

「クーラーで冷やしてんだよ」

「警部。せめてエアコンっていいましょうよ。でも、それらしい臭いはないです」

「臭いと言えば、かび臭いというか、据えた臭いというか」

「これは血の臭いかもな」

「……血ですか?」


 松任谷は、東堂が立ち合いにもついてこないのを不審に感じていた。


(あいつ、地下室の手前で逃げたよな。誰かつけておくべきだったか)


 とはいえ、地上には多くの警察官がいる。

 組長が逃げようとするのは許さないはずだ。


「確か、奥に一部屋だけあるはずだ。もともと、古いボイラー室かなんかで中身は取っ払ったと聞いているぞ」

「福岡みたいに武器が隠してあるのかもしれませんよ。RPG-7みたいな」

「ありえなくねえんだよ」


 朝倉会は基本武闘派だ。

 二代目の東堂自身、暴力で身を立ててきた古いヤクザだった。

 ありえなくは……ない。


「とにかく入るぞ」


 ただ一つの扉を開けて中に入る。

 そこはただの地下室ではなかった。

 足の裏に柔らかい感触が伝わる。


「なんだ?」

「―――警部、部屋全体に土が撒かれています」

「ホントだ」


 足の感触からすると、三センチぐらいの厚さで土が満遍なく撒かれているのだ。

 さすがに異様だった。


「あいつら、地下で野菜でも育て始めたのか?」

「大麻とかじゃないですか」

「いや、植物はないぞ。……警部、部屋の真ん中にあるもの、あれ、机じゃなくて箱みたいですね」


 指さされたものは、確かに十畳ほどの部屋の真ん中にポツンと置かれた黒い箱だった。

 長櫃のように見える。

 だが、もっとわかりやすく例えるのならば……


ひつぎみたいですけど……」

「そりゃあ、どっちの“ひつぎ”だ。木に官の方か? 木に久しいとCの方か?」

「え、どういう意味です?」

「ひつぎってのは二つ漢字があるが、よくいう官の方は入れ物の棺桶の意味でな。遺体―――中身が入っているのは、霊柩車のきゅうの方でいうんだ。覚えとけ」

「へー、はい」


 軽口を叩いてはいたが、松任谷もあの長い櫃のようなものがどちらかなんてわからない。

 本当に死体が入っていたら洒落にならないとは思っていたが。

 ただ、柩であるというのなら、東堂が何としてでも止めるだろう。

 邪魔が入らないということは別に問題がないか、それとも―――


「とりあえず、この地下室にあるのはあれだけだな。開けてみるか。大量の武器弾薬でも入っていたら、二代目朝倉会を完全につぶせるぞ」


 土の積もった地下室を歩きながら、松任谷は思った。

 もしかしたら、俺はとんでもない失敗をしようとしているのではないか。

 警察官の勘ではなく、もう少し根源的な、人間としての勘が何かを訴えかけている。

 ただ、もう引くことはできない。

 松任谷はその黒い、「棺」か「柩」かわからないものの縁に、ゆっくりと指を掛けていった……

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