第484話「荘原武徳はいつまでもおもう」



 俺は夢を見ていた。

 細部が曖昧としていて薄ぼんやりした夢だ。

 視点の合う中央部分だけが、やけにはっきりと見えるのが不思議だったが、やがてこれが誰かの記憶だということで理解できた。

 つまり、人の視界のうち周辺視野については誰もがはっきりと記憶しておらず、関心のあるものだけが印象に残るということなのだろうか。

 ただ、記憶自体は俺のものではないと断定できる。

 なぜなら、ここは日本の城の天守閣であったからだ。

 最初はよくわからなかったが、記憶の主がちらちら下を見る限り、今風の建物はない真っ暗な風景が広がっている。

 ところどころに松明のような篝火が漂っていた。


「殿、奴らは城の井戸から這い上がってきたようでございまする!!」

「……そうか。抜け穴はすべて閉じたと思うておったが、やはり妖怪変化というものはその程度では抑えられぬか。ひと相手の軍略では及ばぬ奴ばらというのはおるものだな」

「そのような悠長なことを言うておるときではございませぬぞ。即刻、迎え撃たねば!!」


 槍をもって寝巻きらしい着物をまとったいかにも武士とわかるおじさんの言葉に、俺は答えた(正確には俺以外の誰かの記憶だ)。


「いい。この城は捨てる」

「なんですと!! ここは関白様が東の守りにと死守せよとおっしゃっていた城ですぞ!! 捨ててしまっては今後が成り立ちませぬ。それに、我らがここを獲るのにどれだけの苦労をしたかをお忘れか!!」

「……猿の命など忘れてしまえ。おれたちは三河の御屋形様の臣下だ。ここを守れではなく、房州を守れと言うのが御屋形様の意志だぞ。だったら、こんな田舎城捨ててもいいし、ほれ、大多喜の奥にもう一つ城があっただろう。あそこに遷ればいい」

「しかし……」

「大多喜まで行けば海から離れる。下で暴れておる妖怪どもも追うては来ないだろう。あんなものにいつまでも関わり合ってはおられん」

「確かに……」


 壮年の武士は厭そうな視線を下に向けた。

 そして、肩の荷が下りたようなさっぱりとした顔をして、


「ですな。わしらはひとですからな。あのような妖怪の相手はしていられませんな。まったく土岐頼春め、あのような怪力乱神を手勢につけて何を考えていたのやら」

「さてな。田舎の大名のやることなどよからんよ。源氏の流れをくむ土岐氏のものとは思えぬが。……では、堀田よ。さっさと逃げ出すぞ。おれが殿をしてやる」

「殿にそのような危険な真似を?」

「おれの蜻蛉切が妖怪の血を吸いたいとさっきから唸っておる。食わせてやらんとな」


 が自分の手を見ると、そこにはでっかい槍が握られていた。

 室内で振り回すには大きすぎるが、記憶の持ち主にとってはさして不便ではなさそうだった。

 そう、本多忠勝にとっては。


「さて、参るぞ。おまえは手ごろな連中を見繕ってこの城に火を放つように言え。こんな魚臭い城、さっさと燃やしてしまうに限る」

「はっ」


 こうして、俺の中のの記憶は切れた。

 最後にさっき聞いたカエル面の妖怪の鳴き声が遠くから聞こえてきたような気がした……



            ◇◆◇



「―――房総半島はもともとオカルトとか闇の世界においては色々と噂のある所なんだぜ。里見八犬伝だってある意味では当時の名残だな。隠れキリシタンの里なんかもあったし、正体不明の奇岩なんかもある。他にも謎の多い彫刻家の波の伊八とかも実はさっきみたいな邪神の信奉者だったという調査報告があるぐらいだ」

 

 俺たちは少し遠回りして長生郡方向から帰路につき、夜明けのコーヒーをほぼ無人のファミレスで飲んでいた。

 ライダースーツ姿の明王殿はかなり疲れているようだが、一寝入りしたことである程度までは回復しているらしい。

 俺は電車で帰ると言ったのだが、乗っていけとバイクのケツを叩く明王殿には逆らえなかった。

 なんとコーヒーまでゴチになってしまい、すでに何も言えない。


「そっか。俺は千葉というと常磐線沿線ぐらいが限界だから、よく知らなかったよ。そんなことがあるんだな」

「まあ、パンピーはあまり知らなくてもいいことさ。オレだって座学で習ったから知っているなんてことはざらにあるしな」

「じゃあ、土岐頼春のことはどうなんだ?」

「ああ、〈社務所うち〉で再調査が入るらしい。あの海の邪神信仰の形跡があるというのなら、ちょっとヤバいことになりそうだからな。まずいことに利用される前に把握しておくのは大事なんだ。戦国時代のことだから、調査がいまいち行き届いていなかったのが、今回の案件で苦労したところだ」


 明王殿が言うには、やはりすべての原因は五百年ほど前に土岐氏の先祖が、さっきのダゴンという魔物と交わした契約にあったらしい。

 海の魔物に生贄を捧げることなどを誓い、逆に貿易やいくさにおいて手助けをしてもらう。

 まだ調査中だが、おそらく当時は丸々魔物のために捧げられた村があったようだ。

 おいおい判明することだろう。

 やはり世の中は俺の知らない恐怖に満ち溢れている。

 しかし、それと戦うものがいるというだけで俺は安心できる。

 明王殿とその仲間たちがいるところはきっと安心できる場所になるに違いない。

 ただ、俺は昏い気持ちのままだった。

 納得できないし、心が満たされない。

 俺は今回いったい何ができたというのだ。

〈護摩台〉というリングを設置したが、結局は使われなかったから意味はなかった。

 他はただバイクで突っ込もうとみっともなく足掻いただけだ。

 本当に何もしていない。


「今回は助かったぜ。ありがとよ」


 なのに明王殿は平然と感謝を口にした。


「……俺は何もやっていない。あんたの足を引っ張っただけだ」


 俺の自虐的な物言いを明王殿は鼻で嘲笑った。


「なに謙遜してんだ。今回、オレらはチームだったんだぜ。チームの仲間に感謝するのは当然だし、おまえのおかげで進展した部分はある。もっと喜べよ」

「実際、俺は何もしちゃいないぞ。あんたの知り合いの京一って奴に比べたら、ただの足手まといだ」

「なにいってんだ?」


 きょとんとした顔をする明王殿。

 俺が京一の名前を出したのが不思議なようだった。


「なんで京一くんなんだ?」

「あんたはいつも、そいつを褒めてんじゃないか。俺は逆立ちしたって京一には勝てそうもない」

「勝つ必要ないだろ」

「そんな簡単にいうな。俺はこれでも真剣なんだ」

「―――京一くんは普通の男の子だぞ」


 俺にとってまったく納得できないことを真顔でいう。

 そんなはずがないだろう。

 あんたにとっても、あんたの親友にとっても、京一という奴は特別なはずだ。

 今までに聞いたことだけでも、それはわかる。


「京一くんは頭は切れるが、それ以外は本当に普通な男の子だ。まあ、オレたちに付き合えるということだけみたら特別かもしれないけどな」

「嘘だ」

「嘘じゃねえよ。写真見るか? まだてんがいる、冬のときのもんだけどよ」


 てん、という名前を口にしたとき、明王殿はやや暗くなった。

 行方不明になった後輩の名前らしい。

 思うところがきっとあるのだろう。

 ただし、見せられた集合写真の中の少女たちはみんな心の底から楽しそうだった。

 隅の方に男が一人いたが、エプロンをつけてなにやらケーキのようなものを持っている。

 料理人のようで、どこにでもいそうな奴だった。

 もし道ですれ違ってもすぐに忘れてしまいそうだし、仮に名前付きで紹介されても翌日覚えていられるかもわからないぐらいに特徴がない。

 特別さなど微塵も感じさせなかった。

 

 こいつが―――京一?


 まったく思い描いていた奴とは違う。

 自分と比較するのもアホらしいぐらいに平凡な少年だった。

 ただ、一つだけ違うとすれば、こいつはこの写真の中にいる巫女たち全員の信頼を勝ち取っているということだろう。

 この女だけの集団の中に溶け込んでいても欠片も不自然さを感じさせない、本当に集団の一部。

 俺ではきっとできない。


「普通だろ?」

「ま―――そうだけどさ」

「オレたちはさっきおまえが見た通りに、あの邪神どもを撃つために産まれ、育てられ、整えられた決戦存在さ。だから、なんの不思議もない。ただ、最近思うんだよ。……イキモノってやつは、本当はわざわざオレたちみたいに育てなくてもどこからか自分たちを護るための力を産みだすんじゃないのかってよ」

「どういうことさ」

「もし、さっきのカエルみたいなのが悪さをして何億のニンゲンと何兆の生き物を滅ぼそうとしたら、きっとニンゲンでもいいし、イキモノでもいいし、もしかして妖魅や幽霊なんかの中から、すべてのために必死に足掻くものが出てくるんじゃないかってことだ」

「―――足掻くもの?」


 明王殿はコーヒーをズズズと飲みほした。


「いいか、恥ずかしいから何度もいわせんなよ。……さっきのおまえがオレのためにバイクで突っ込もうとしたときみたいに、いざとなったらどんなに極悪にヤバイものを相手にしても前に出るだけの勇気と知恵を持つものが出てきて、オレたちみたいなのが出張ったり、闘ったりする以前に、この世の哀しみを救おうと菩提心を発揮するかもしれないってことだ」

「明王殿……」

「あのときバイクにまたがったおまえは、オレのダチというだけでなく、それを遥かに凌駕した存在にまで昇華していたのさ。―――まあ、ああいうときに備えてエンジンの掛け方ぐらいは勉強しておいてもらいたかったがな」


 ……最後にちょっとだけ落とされたが、明王殿の言葉を聞いて俺は目じりに何かが滲むのを感じた。

 俺なんかのことをダチと言ってくれただけでなくて、もっと上に達していたと認めてくれたのだ。

 この最強の巫女が。

 あの山みたいに巨大な怪獣を撃った女の子が。


「―――ほんの少しだけだけど嬉しいぞ」

「アホ。盛大に嬉しがっても罰はあたらねえぜ。なんといってもオレは敬虔なる神の巫女だからな」


 ありがとうな、明王殿。

 あんたは本当にいいオンナだ。

 何度惚れ直してもきっと悔いがないと言えるくらいに。


 俺はさ、例えあんたが知らない男と結婚して子供を産んで婆ちゃんになっても―――好きといえるぜ。

 ずっとさ。















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