第481話「明王殿レイの秘術」



 俺たちはそのまま例のがけ崩れまで飛ぶように引き返した。

 あのブルーシートに覆われた洞窟の正体とその奥に潜む妖怪どもの正体が知れた以上、一刻も早くなんとかしないとならないからだ。

 とはいえ、俺には何の考えもない。

 ただの高校生には過ぎたことだからだ。

 こんな時、明王殿が懸想してるっぽい京一とやらならどうするだろうか。

 きっと俺なんか逆立ちしても敵わないアイディアを出して、周囲の奴らを驚かせるのだろう。

 天才肌で、なんでも自然にこなせて、どんな苦難もひょいひょいと解決してしまう、ビビったり怯んだりはしない男なんだろうな。

 俺もそういう男に産まれていれば、明王殿の役に立てるかもしれないのに。

 どうしても京一という見たこともない男への嫉妬が止まらない。

 俺のような半ヒキコモリのダメ男では絶対に勝てやしないという諦めばかりが頭の中を廻っていく。


「よし」


 明王殿のバイクが止まった。

 例のがけ崩れが一望できる土手の上だった。

 そのまま、あいつは躊躇ずに川まで降りていく。

 俺はついていくだけしかできなかった。

 ひれから、明王殿は多いかぶせてあるブルーシートを勢いではぎ取った。

 陽の光があたるとはっきりわかるが、人が二人並んで通れる程度の穴が開いている。

 同時にさっきまでとは比べ物にならないきつい刺激臭が漂い出す。

 ブルーシートが剝されたからというよりも、長らく働いていた封印が解かれたから、そんな様相だった。

 思わず鼻を押さえて後ずさった。

 とてもひどい魚の腐ったような匂いだった。

 ゲロを吐かないのが不思議なぐらいの有様だった。

 そんな悪臭の中でも明王殿は怯むことなく前進し、剥がしたブルーシートをめくり、裏を眺めていた。

 何があるのかと見てみたら、どす黒い汚れがこびりついている。

 俺にもわかった。

 これは血の色だ。

 大量の血を浴びたことで変質した汚れであった。


「血……」

「そうだ。誰の血なのかも―――わかるぜ」


 屈んだ明王殿が拾い上げたのは、画面が割れたスマートフォンだった。

 泥まみれになっているのでおそらくもう動くことはないだろう。

 つい最近のもののように見える。


「うちの〈社務所〉の禰宜に支給されている最新型だ。ここを調べていた禰宜がやられて、ここに引きずり込まれたんだろうぜ」


 痛ましそうに言う。

 それはそうだろう。

 禰宜というのはこいつらの組織での調査人のことで、部署こそ違うが同僚であるのだ。

 その死を悼まないはずがない。

 ただ、その遺品がここにあるということは……


「その禰宜とやらが殺されてここに運び込まれたということは……」

「おそらくは、がけ崩れを見て何か思うところがあったから色々と調べてみたら、海岸沿いに妖怪の痕跡を見つけた。ここの妖気は強いものだが、禰宜レベルでは感じとれない場合もある。それでオレたちと同様にもう一度ここを調べに来て、中の妖怪どもにやられて引きずり込まれた。そんな感じだろうさ」

「いや、だっておまえたちと同じ組織の人なんだろ? いくらなんでもそんな簡単に……」

「違う」


 明王殿は顔を背けて断言した。


「禰宜は確かに普通のパンピーよりはその手のことには詳しいし、体術もあるが、妖魅相手に渡り合えるほど強くはないんだ。武器を持って武装した集団にジョン・マクレーンが挑むのとは違う。化け物と戦えるの怪物じみた人間だけ。つまりは、オレたち退魔巫女が適任なんだ。禰宜はよほどのことがない限り戦ってはいけねえ。こいつは、そのルールを破った。だから殺された。マヌケさ」

「……おい」

「マヌケをマヌケといって何が悪りんだ。妖怪の気配を見つけたら、オレに連絡してあとは後方支援に徹しておけばいいんだ。運が良くて頭の回転が鋭くなくちゃ、どいつもこいつも死ぬだけさ。それはそいつのしくじりだ」


 明王殿はこちらを見ずに吐き捨てた。

 あとで聞くと、この血の持ち主は昨日から連絡がつかなくなっていたらしい。

 明王殿が派遣されたこともあって、禰宜との連絡の不通には組織は気が付いていなかったようだ。

 だから、明王殿は悔やんでいるのだろう。

 もし、知っていたのなら。

 もし、禰宜が単独行動をとっていたことをわかっていたのなら。

 もしかして救えたかもしれない、と。

 俺の知っている明王殿はそういう女の子だった。

 少し近視眼的なところもあるが、がらっばちに見えて繊細で、そんじょそこらにはいない優しい女だ。


「じゃあ、勝手に仇ぐらいは討っても文句は言わないだろうさ」

「なんだと」

「間抜けに死んだバカのためによ、気の毒に思って弔いをやってやったって誰も文句は言わないぜ。あんた、やってやるつもりなんだろ。バカの弔いをさ」


 ヤンキーみたいな巫女は唇を尖らせて言った。

 

「やらねえとは言ってねえ。なんかテキトーこいてんじゃねえぞ、武徳くんのくせに」


 そうだ。

 それでこそ、おまえだ。


「もう、やり方は考えてんだろ。俺が知る限り明王殿レイってのは抜け目のない女だからな」

「オンナに対して利く口じゃねえぞ」


 抗議をしながらも明王殿はにやりと笑った。

 もうふっきったのか。

 いや、過ぎてしまったことは過ぎたものとして反省しても振り返らないのが、真のいくさ上手だと聞いたことがある。

 きっと明王殿はその類なのだ。

 だから、死んだ禰宜のことを忘れずともいつまでも引っ張らない。

 それよりも戦うことを最重要に思考する。

 大切なのは“闘争”そのものだという修羅の戦士の在り様なのだろう。



          ◇◆◇



 しばらくの間、俺と明王殿は洞窟の前の石を撤去し、だいたい平らに慣らす作業に没頭した。

 夕方近くになってから、今度は丸い円を大地に描き始める。

「魔法陣みたいだ」といったら、「魔法円マジックサークルだ」と応えられた。

 難があるもののどうみても和風の巫女の口から洒落たRPGみたいな単語が出たので驚いた。

 だが、明王殿は気にしていないようだ。


「オレら〈社務所〉じゃあ、西洋だの東洋だの、大陸系とかいった分け方はしないんだ。使えるものはみんな取り入れるし、使えなくなったら先祖伝来の術でも捨てる。今現在で、最も効果のあるものを貪欲に取り入れていく。オレだって、純日本人の癖に中国拳法の劈掛掌ひかしょうなんかマスターしているしな。まあ、必要だったから覚えただけだが、おかげで爆弾小僧のバカともやりあえるようになった。だから、抵抗はない」

「どういうことだ」

「おまえが描いている魔法円はもともと西洋魔術のためのものなんだ。うちで使いやすいように工夫しているが、実際はあっちがルーツだ。ちなみに〈社務所〉に採用されたのは大正だか昭和の初めだ」


 マジか。

 これ、もしかしてエロイムエッサイムとか言いながら描くもんなんか。

 でも、なんのための魔法円なんだろう。

 悪魔でも喚びだすのか。

 完成したときにはほとんど陽が落ちて暗くなっていた。

 洞窟の中からいつ奴らが出てくるかわからないのというのに、こんなことをしている余裕があるのだろうか。

 俺だったらダイナマイトで入り口を爆破しているところだ。


「おい、悪魔なんか呼び出している暇はねえぞ!! 何をする気なんだよ!!」

「武徳くんのいうこともなかなか近いぜ」

「……悪魔召喚するのかよ!?」

「喚びだすのがってことさ。―――たゆう婆ちゃんやてんほどは上手くねえが、やってやれねえことはねえだろ」


 そういうと、魔法円の中央で小さく板や棒を組んでミニチュアの護摩壇みたいなものを作っていた明王殿が仁王立ちになって目を閉じた。

 俺は空気を呼んで円から離れた。

 両手を拝む形に合わせて、二礼二拝という儀礼を執ってから、明王殿は何やら呪文を唱え始めた。


「ナウマク サンマンダ バザラダン カン」


 少しゲームの知識があったからたまたま知っていた。

 あれは不動明王の真言だ。

 しかし、そのゲームでは不動明王印という手の組み合わせ方をするというのに、明王殿はただ拝む形のままだ。


「ナウマク サンマンダ バザラダン カン」

「ナウマク サンマンダ バザラダン カン」

「ナウマク サンマンダ バザラダン カン」


 しつこいほどに真言を唱え続けている明王殿の前で、異変は起こった。

 洞窟の奥の、夜よりもさらに昏い暗黒の底に黄色く輝く一対の丸い光が現われたのだ。

 あのどんよりとした黄色い光は〈追儺の鬼〉のものと似通っていた。

 つまりは、要するに……


「怪物の眼の色だ……」


 やはりあの洞窟は妖怪の巣だったのだ。

 そして、その前で無防備に真言を唱える明王殿は危険そのものだった。

 あの魔法円にあいつを護る力があるのかはわからない。

 だが、構えもせず、目も閉じたあいつが妖怪どもに八つ裂きにされないという保証はない。

 何かをしようとしているのかは知らないが、今、明王殿は危険の矢面に立っているのだ。

 

「ナウマク サンマンダ バザラダン カン」

「―――それはもういい!! 戦う準備をしろ、明王殿!! 妖怪が来るぞ!!」


 だが、明王殿は動かない。

 ただ真言だけを一心不乱に唱えている。

 変化といえば、拝んでいた掌をまるで相撲の不知火型のように天に掲げたところだけだ。

 元気玉でも呼ぶのか。

 それにしては、もう少しがっしりと踏ん張っているようにも見える。


「明王殿!!」


 しかし、ヤンキー巫女は答えない。

 すぐそこに危険が迫っているというのに。


「くそおおおおお!!」


 俺は回れ右し、明王殿のバイクのところにまで行った。

 そして、掛かっていた鍵を捻る。

 エンジンがかからない。

 バイクの知識は俺にはない。

 だから、さっきの明王殿の動きと漫画で見た知識を総動員してまたがってスロットルを回すと同時に捻る。

 四苦八苦しているとエンジンがかかりそうな気がする。

 洞窟の入り口に妖怪たちが何匹も顔を見せた。

 カエルそっくりの目つきとオコゼみたいな顔のハイブリッドだ。

 牙だけがやたらと鋭い。

 化け物どもは明王殿を睨んでいた。


「掛かれ、掛かれ!!」


 俺はバイクに叫んだ。

 動けよ。

 頼むよ。

 俺が逃げるためにおまえにお願いしてんじゃねえんだよ。

 なんにもできない俺があのガラの悪い巫女を助けるためにはおまえの加速がいるんだよ。

 俺とバイクおまえが洞窟めがけて突っ込めばそれだけの時間、明王殿のために時間が稼げるんだよ。

 時間さえ稼げれば、あの最強のオンナがあんな両生類全部まとめてふっ飛ばしてくれるんだ。

 だから、一緒に走ってくれ!!

 俺の命もくれてやるからさあ!!

 頼むよ……

 だが、バイクのエンジンはなかなかかかってくれず、そんな俺に明王殿の声が聞こえた。


「……バイクそいつ高いんだぜ。武徳くんに弁償できるのか?」


 その時、俺が見たものはまさに奇跡といってもいいかもしれないものだった。

 天に向けて双腕を掲げて、上を見た明王殿の頭上には―――


 巨大な、恐ろしく巨大な岩石が宙に浮いていたのだ。


 どのような魔術がこんなことをなしうるのか。

 重量級のクレーン車でもなければ持ち上げられなさそうな巨岩が、何の支えもなく、どこから飛んできたのかもわからず、宙にある姿は荘厳だった。

 どんな宗教画も及ばないような奇跡。

 そして、その巨岩はいきなり視えない糸が断ち切られたように地上に落下していく。

 真下にいる明王殿に向けて。


「明王で……!!」


 俺の叫びは途中で掻き消えた。

 それは巨岩が地面に刺さらず、立っていた明王殿を押し潰しもしなかったからだ。

 いったい、どうなった、何が起きたとかというと……


 殿のだ。


 十トン以上はあろうかというとんでもない巨岩を。

 女の細腕で支えていた。

 まるで神から山の頂きまで巨岩を押し上げ続けるという罰を背負ったシジフォス―――人を救うために神々さえも欺いた徒労の男を思わせる。

 俺は初めて明王殿の〈神腕〉というものの真価を知った。


 そして、理解する。


 あの巨岩は、、と。

 

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