第480話「万喜城の秘密」



「待てよ!!」


 俺は一切の躊躇もなくブルーシートの奥に隠された洞窟に入ろうとする明王殿の肩を掴んだ。

 こういう直接的な行動は気に障るかもしれないが、保身を図っている時ではない。


「なんだよ」


 ただ、意外と明王殿は素直に引き留められてくれた。


「……素人の俺が言うのもなんだけど……」

「武徳くんに意見があるなら聞くぜ。いいから喋れ」

「あ、ああ。―――予想外のことが起きているときと順調に行き過ぎているときはいつもよりも慎重になった方がいい」

「んだと?」

「明王殿はいつもの妖怪退治のつもりなんだろうけど、もうとは違うことが幾つも起きているだろ。これは予想外だとして警戒するのが一番だ。お、おまえが弱いといかいうわけじゃねえけどさ」


 最後のあたりは蚊が鳴くようにかぼそかったが、言いたいことは言えた。

 どう捉えるかは明王殿の自由だ。


「―――確かに。最初に調査に来た禰宜がどうしてこんな妖気を見逃したのかが、とても気になるな。あと、鰐餌が効果のないこととか、こんな内陸に入った場所に半漁の妖怪の気配がある理由とか、さっぱりなことばかりだぜ」

「あ、うん」

「あんがとな、武徳くん。ちょっと先走り過ぎた」


 そういうと、明王殿は洞窟から離れた。

 スマホを取り出して、連絡を取り始める。


「あ、こぶしさんか。オレだ―――レイだ。今やっている案件、ちょっと変な様相になってきた。だから、調べものをして欲しいんだけど。あと、ここを調べたっていう禰宜の報告書をメールに添付してくれ。なんだったら本人に折り返しかけてくるように伝えてもらってもいい。大至急頼まあ」


 それから、上を向き叫ぶ。


八咫烏プロモーター、いっかあ?」


 すると、朝の喋る三本足のカラスが急降下してきた。

 カラスというよりも猛禽類っぽい。

 そのまま明王殿の手に鷹匠のごとく留まる。

 慣れた動きで、明王殿も至極平然としていた。


『ナンジャ、巫女ヨ』

「このあたり一帯の古伝に詳しいやつはいるか?」

『我ラハ知ランガ、少シ先ノ寺ニ〈社務所〉ノコトモ承知シテイル坊主ガオルゾ』

「案内しろや。話が聞きたい。―――特にこの万喜城についてのな」

『トックニ滅ンダ城ジャゾ』

「滅んでいないやつだっているかもしれねえだろ。もしくは、気が付いていたら周囲だけが滅んでいてしまったとかさ」


 意味深な明王殿のつぶやきであった。



          ◇◆◇



 お寺の和尚さんが、こんなけったいな風体の巫女さんを諸手をあげて歓迎してくれるというのがなかなかシュールだった。

 もっとも、明王殿は知らなかったが、和尚さんにとっては既知の仲だったらしい。

 高齢の剃髪の坊主の方が本来は遥かに偉そうな気もするが、妖怪たちの跋扈するアングラの世界では霊力や神通力の方がやはり上らしい。


「いやいや、成田山を護る明王殿の御息女がこんな何もない寺に来ていただけるというだけで有難いですな」

「成田云々はうちの家系の仕事だし、オレ一人でやっている訳じゃねえし」

「ご謙遜ですな。〈神腕〉の女不動明王といえば、千葉・茨城のものにとっては守り女神ですからね。あなた様のおかげで、どれだけの神社仏閣が救われておるか、知らないはずはないでしょう」


 歓迎されたうえ、べた褒めされたので照れくさそうに明王殿は頭を掻いた。

 いつものがらっぱちさも影を潜める。

 どうやら称賛されることに慣れていないらしい。

 なんとなく明王殿らしいなと俺は思った。


「……とにかく、こっちは和尚に聞きたいことがあっただけなんだ。つまんねえことは言わなくていいからよ」

「そうですか。媛巫女の謙虚なところを拙僧は好ましく思いますぞ」

「うるせーなー。で、あんたに聞きてえのは、夷隅川でちょっと前にがけ崩れがあっただろ。地図でいうとここだ」


 指し示した地図を見て、和尚さんは眉をひそめた。


「ほお。聞いてはいましたが、もしかしてそこでしたか」

「知ってんのか」

「まあ。ただし、〈社務所〉の媛巫女が妖魅退治にやってきたということでもなければ、拙僧ですらピンと来なかったかもしれません。何かございましたか?」

「オレは海岸に出るらしい妖怪の退治に来たんだが、ちっともでてこねえ。思いついて、夷隅川を登ってきたら、ここにでて何やら洞窟のようなものとプンプンと漂う妖気があったというわけだ。和尚なら、何かわかるんじゃねえか」

「そうですなあ」


 和尚さんは腕を組んでいった。

 七十過ぎの老人らしい重厚さだった。

 こういうジジイにならなってもいいな、と思った。

 まあ剃っているとはいえ禿頭はいやだけど。


「……あの城はもともと土岐氏のものであったことは知っておりますな」

「ああ」

「最後の城主は土岐頼春。里見を裏切って北条に着いた土岐為頼の息子です。この頼春が曲者だったのです。いや、裏切り自体は戦国の世であるから仕方ないこと、注目すべしは頼春の武勇なのです」

「強かったのか」

「ええ。小田原攻めのときでも1000騎ほどしかいない人数で、三度にわたる里見の攻勢をすべて跳ね返しております。あまりにも強いことから、東国の豊臣との同盟軍では相手にならぬということでわざわざ徳川の中でも最強と謳われた本多忠勝の部隊を送ることになったほどですから」


 そのあたりは俺も知っている。

 さすがの土岐頼春も万単位の本多軍には勝てず、万喜城は焼き払われて首を取られたということだ。

 

「小僧、おまえもよく知っておるが、伝承ではちぃと違う」

「どこが違うんだよ」

「万喜城は落ちたが、焼き払われはせず、本多忠勝は一度城に入って、そのまま居城としていたのだ。ほとんどすぐにあとで知られる大多喜城に入ったので、万喜城のことは知られていないのだ。もっとも、城を遷る際に忠勝によって火を放たれたから、実情は変わらんとも言えるがな。あとで発見された焼米の出土した米蔵はこのときの名残じゃろう」


 本多忠勝からすれば、こんなところにある城なんて使ものにならないから堅固な大多喜に遷ったというところだろう。

 別におかしくない。


「それはおかしいな」

「何がだ、明王殿」

「オレはさっき見たが、三方を川で囲まれてしかもこんな港に近い場所だ。当時ならば拠点とするにはいいところだと思うぜ。千葉県民ならわかるが、大多喜はかなり不便だし、東からの備えとするには不便すぎる気がする」

「……五百年ぐらい前だからな」

「媛巫女さまのいうことに一理あるのだ、小僧」


 普通、小僧と言われると腹が立つものだが、坊主に言われると意外と気にならない。


「なぜなら、本多忠勝ともあろうものが万喜城を捨てたのは、いくさのためではないからよ」

「―――万夫不当の忠勝だろ?」

「忠勝が万喜城を捨てて、さらに火まで放ったのはな。土岐氏の盟友から逃れるためだったのだ」

「土岐氏の盟友?」

「うむ。このあたりの伝承によれば、源氏の末裔でありながらここらまで落ちぶれてきた土岐氏の先祖は海岸である怪物と契りを交わしたという。それ以来、年の数回、月の明るい晩に夷隅の夫婦岩のあたりに人ともカエルともつかぬものたちが、土岐家の家紋のついた幾つもの櫃をもって歩いているのが目撃されたということじゃ。櫃の大きさは、人が入るほどであったそうだ。そして、里見の領土では満月のときによく客引きをする夜鷹が行方不明になっていたとも噂されている」

「おい、それって……」


 和尚は地図を指さし。


「万喜城が難攻不落だったのは、この囲んでいる堀代わりの川の存在だけでなく、深夜になったら川の傍に駐屯している他国の軍を襲う、土岐氏の盟友の仕業だったのじゃろう。これは拙僧だけでなく、このあたりの古い言い伝えに詳しいものならみな知っていることだ」


 バカな俺でもなんとなくわかった。

 さすがの盟友でも一万単位の徳川軍を敗退させることはできなかったから、土岐頼春は負けることになったのだと。

 そして、城に入った忠勝はそこで何かを見たのだろう。

 だから火を放ってさっさと逃げた。

 土岐市の盟友のやってこられそうもない大多喜を本拠にしたのは、そいつらがそれほど危険だったからだろう。

 辻褄はあう。


「だが、どうして今になって土岐氏の盟友が現われたんだ?」

「簡単だ、武徳くんよ。―――あのがけ崩れだ」

「あ」


 そうなると答えは明白だ。


「奴らはどういう手段を使われたのかはわからんが、あの洞窟に封じ込められていた。それががけ崩れによって解放されたから何百年ぶりにでてきたんだ」


 すると、鰐餌が効かなかった理由もなんとなくわかる。


「あいつら、空腹とか何かよりもまず盟友である土岐氏の仇を狙っているんじゃないのか。まだ、派手に暴れていないのは状況が呑み込めていないだけで、それを把握したら一気に動き出すおそれがある?」

「そうなるな」


 ある程度、話がわかればあとは簡単だ。

 明王殿はそういう力のある女なのだ。

 巫女は腕を伸ばしてストレッチをしながら、かったるそうに立ち上がった。


「洞窟を塞ぐか、化け物どもをすべて斃すか。どちらかということだぜ」


 …………

 ……

 くそ、こいつ、本当に綺麗でカッコいいな。


 俺は自分の恋心を自覚しなければ生きて行けそうにないほど興奮していたのである。


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