第479話「いすみの不破城」
俺たちは少し離れたところにある民宿で泊まり、さすがに昼まで寝ていたところ(色っぽいことは欠片も期待してなかったし、当然起きなかった。ラッキースケベなんてありえない)、いきなり扉が開いて真っ赤なパジャマ姿の明王殿がずかずかと侵入してきた(ちなみにパジャマは男物でなんだかマニッシュだ)。
寝癖がひどく、顔も不機嫌だ(でも、綺麗なんだよクソが)。
ただ、胸元が開いていて彼女の巨乳の谷間がチラチラ見れるのがとてもドキドキする。
問題は明王殿の抱えているでっかい黒い鳥だ。
嘴まで黒くて硬そうなそいつは、明らかにカラスだった。
しかも、なんと脚が三本もある。
奇形というわけじゃなくて、そういうカラスのことは御伽噺で聞いたことがあったけど……
「おい、どういうことだ」
首根っこを掴まれたカラスが俺に向かって差し出される。
とはいっても俺に対するものではないようだ。
その恫喝の対象はカラスにであった。
どうやらカラスを締め上げるためのついでに俺のところにやってきたようだ。
『痛イゾ、巫女ヨ。我ハ事実ヲ報告シタマデノコトダ』
わりと淡々とカラスが応えた。
ちょっと前なら「鳥類が喋った!!」と発狂寸前まで喚くところだが、今の俺はそんな境地にはいない。
〈追儺の鬼〉と明王殿に鍛えられたおかげで、ある程度のことには動じなくなっている。
まあ、カラスならともかくタヌキやモグラが喋ったらどうなるかはさすがにわからないけれど。
とにかく喋るカラス程度ではどうということもない。
それにこいつには見覚えがあった。
俺が明王殿に助けを求めたときに手紙を運んでくれたやつに違いないような気もするからだ。
ならば恩人だ。
いや恩カラスだ。
「―――夜に妖怪の被害が出たってマジか」
『
「離れていたって……河口って夷隅川のあたりだろ。オレの作った
おまえじゃなくて俺が大部分作ったんだけどな、その鰐餌ってのは。
『効カンノジャッタカラ仕方ナカロウ。夷隅川ノ方マデ行ッテ〈護摩台〉ヲ設置シナオスシカナイゾ』
「面倒くせえ……」
「それはきっと俺の台詞だよな」
「ああん?」
「―――おかまいなく」
虎の眼光に射貫かれてまだ逆らう奴はいねえ。
「だがよお、オレがこれまで聞いた話でも鰐餌はたいていの妖魅に効くはずだぜ。海の妖怪だと、〈船幽霊〉とか〈海座頭〉とかもと人間っぽいの以外にはほとんどが」
『我ガ聞イタトコロ、蛙ヤ魚ノヨウダトイウゾ』
「だったら効かねえはずがない。鰐餌よりも美味いものがあったか、それ以上のなにかがあって気にしていなかったか」
掴んだカラスと一緒になって首をひねる明王殿。
まるで腹話術の人形のようだ。
傍から一人遊びをしているように見えるが、明王殿自身は凄まじく真剣なはずである。
悪い先入観を抱かれがちだが、基本的に生真面目なタイプだと思っている。
実際に俺はそういう風に思っていた。
一瞬だけ。
「でもよ。海の傍に、そいつらがでるのは確実なんだろ。だったら、海にはいるんじゃねえの」
「まあ、カエルだか魚だかわからん奴らだというし、水辺にはいるんだろうが……」
「なあ、だったら川の方も調べてみたらどうだ。川だって水辺だぜ。昨日の現場って確か夷隅川の河口なんだろ。あそこ、そんなに大きな川じゃねえからざっと調べればだいたいわかるぜ」
「あー、それはあるか。〈護摩台〉撤去するのも時間かかるしなー」
という訳で、俺なんかの提案を受けて明王殿は少しだけ夷隅川の付近を愛用のバイクで流してみるということにした。
ついでにいうと俺も一緒だ。
ロケットみたいにかっ飛ばす明王殿のバイク運テクはお断りだが、ライダースーツ越しとはいえあいつに抱き付けるというのは魅力的な提案だった……
◇◆◇
千葉県いすみ市は、内房の外(この言い方の方がわかりやすいだろう)にある街で、太平洋に面しているたいして面白くもないところだ。
とはいえ、海水浴場や港はあるしいすみ鉄道とかはあるし、ちょっとした家族での観光には悪くないところだ。
最近は、東日本大震災の教訓で得られた堤防なんかもできていて、やや風景は味気なくなっているが、それでも広い海岸線が楽しめる。
そこの大原という場所には港と市場があり、俺が魚の内臓をかき集めたところがある。
夷隅川はそこからそんなに遠くない場所にあった。
市の名前もここからとられたという話もある。
川幅はそれほどでもなく、上流にいくのも平地の多い千葉らしく非常にスムーズだった。
「一応、調べてみたけれど、上流の方ではとくに事件はないみてえだ」
「そうなのか」
「カエルの妖魅なんて話はでてないな」
二人でドライブといえば感じはいいが、実際には明王殿に振り回されているだけだった。
腰を掴む手も震え出す。
少し位置を上げれば魅惑の巨乳に触れられるが、したら最後なのできつく我慢する。
「―――なあ、あれはなんだ」
最初に気が付いたのは、俺だった。
川の反対側にブルーシートがかかっていたのだ。
がけ崩れのように見える。
そのくせ工事などをしている人物はいない。
立ち入り禁止のコーンが立っているだけだ。
「あれが、がけ崩れあとだな」
「あ、そんなの言っていたな」
もともと明王殿の所属する組織の人間が、あれを調べに来たのが発端のはずだ。
「あの裏にはなんとかって城があるんだよ。まあ、城跡地だけどな」
「もしかして
「よく知ってるな。千葉県民でもないのに」
「足立区なんか千葉とほとんどかわらねえって」
なんてことはない。
ただ、いすみ鉄道あたりについては小学生の頃の遠足でやってきたことがあるのだ。
だから、いすみ市にある代表的な城である万喜城についてだってある程度までは知っている。
そういえば、この夷隅川を崖にして天然の堀にしていた難攻不落の城だったな。
昔のことなので記憶がやや曖昧だった。
そんなに大きな城ではなかったのは確かだが。
「誰の城なんだ?」
「何だよ、知らないのか。土岐氏だよ。もともと里見の姻族だったけど、途中で裏切って北条についた。だけど、最後は小田原攻めにやってきた徳川に滅ぼされたんだ。途中までは本当に不破の城でな、ほとんど無敵だった」
「でも滅んだんだろ」
「無茶いうな。徳川の侍大将は誰だったと思う? あの本多忠勝だぜ。蜻蛉切の。いくらなんでも田舎大名じゃ勝てっこねえ相手さ」
「ほお」
多少は明王殿の気が引けたらしい。
ガキの頃の知識なんかも役に立つ時は立つもんだ。
「じゃあ、大いくさだな」
「そりゃあそうだろ」
「するってえと、ここは古戦場跡か。何も起きないとは断言できねえか……」
明王殿はバイクから降りると、さっきの崖崩れの跡をじっと見た。
俺もつられて見てみる。
すると、奇妙なことに気が付いた。
「なあ、明王殿。あれ、奥が洞窟みたいになっていないか。ブルーシートの端がめくれているけど」
「がけ崩れじゃないのかよ」
「崩れたうえで、さらに陥没したのかもしれねえぞ」
「ありうるな。でないと、〈社務所〉の禰宜が調査なんてことしないかもしれない」
俺たちは土手から川まで降りるとそのがけ崩れの場所まで近づいた。
普通ならば誰かが止めるかもしれないが、俺たちはよくみるとガテン系巫女とツナギ姿なのでもしかしたら工事関係者に思われたかもしれない。
そして、実際に近づいてみて、わかった。
「―――臭いぞ。うわ、昨日の鰐餌よりとんでもねえ」
鼻を破壊するような、世界一強烈な臭いを持つシュールストレミングみたいな半端じゃないものが漂っていた。
なるほど、こんながけ崩れを役所が放置している訳だ。
この臭いが収まるまではどうにもならないということか。
マスク程度では防備にもならない。
「しかも、この中からは―――」
明王殿がじっと内部を睨んでいた。
「尋常じゃない妖気が―――溢れてやがる」
もしかしたら俺のあてずっぽうは命中していたのかもしれない。
明王殿が思わず双つの拳を強く強く握りしめてしまうほどに。
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