第478話「半ヒキコモリとヤンキー巫女」



 俺の携帯に着信があるなんて滅多にあることじゃあない。

 家族からの連絡はほとんどショートメールで(親たちは今でもガラケーだし、弟はまだ中学に入ったばかりで携帯電話の類いを持たせてさえもらっていない)、一時期のイジメのせいで友達関係は壊滅に近いボッチくんだからだ。

 俺になんか電話をかけてくるメリットは皆無で、むしろ煩わしさの方が強いというデメリットしかないと威張れるぜ。

 言ってて哀しくならない訳ではないが、客観的に自分を評するとそうならざるを得ない。

 人気者になりてーえなー畜生め。

 そんな俺の携帯に着信があったのだから少し驚いたりしても当然だ。

 宅配便の連絡とかというオチだったら、三日は凹めるネタだぜ。

 ところがそれは番号登録してある人物であった。


「明王殿レイ」


 こちらからは一度もかけたことがないが、貰った名刺に載せてあったので登録しておいたのだ。

 二度と会うことはないだろうと思っていたし、こちらから掛ける口実もないような相手だった。

 イジメにまつわる〈追儺の鬼〉に襲われた時に俺を助けてくれた退魔巫女だ。

 アニメや漫画に出てくるような巫女さんというイメージとは程遠くて、逆に何やってんだかわからないような格好と行動の女だが、その格好良さと優し……いや色々なところがとても魅力的なやつだった。

 鬼やら妖怪やらに関わることなんてもうないだろうと思っていたし、あいつの邪魔をしたくないということから俺はあれから一切連絡を取ろうともしていなかった。

 あいつのいる世界への怯えもあったけれど、それよりも明王殿のことを思い出すたびに湧き出てくる妙なダメダメ感が堪えがたいのだ。

 イジメも〈追儺の鬼〉もなくなっても、高校にただ通うだけの俺なんかではあいつと話をすることさえもできないと自分が嫌になるんだ。

 だから、できるかぎり思い出さないようにしていたぐらいだった。

 その明王殿からの電話だった。


「も、もしもし」


 声が上ずっていた。

 別に人と喋るのが久しぶりだからじゃねーぜ。


『よお、久しぶりだな武徳くん。元気にしていたかよ』


 明王殿は俺のことを「くん」付けで呼ぶ。

 特別に礼儀正しい訳ではなく、どうも男子には「くん」をつける性格らしい。

 どちらかというヤンキーが「○×くん、怒らせっと血を見るぜ」とかそんな微妙に距離の近い相手を呼ぶときに使う的な用法だろうが。

 見りゃあわかるが、明王殿は外見もろレディースかヤンキーだからな。

 オタ的にいうと鮎川まどかだ。


「あ、ああ」


 どもっていたりキョドっていたりするわけじゃないぞ。

 単に色々と考え事が多すぎて舌が回らなかっただけだ。


『前、おまえを助けたときに〈護摩台〉ってのを設置してもらったことがあっただろ』

「あ、ああ」

『それさあ、また頼みたいんだよ。今度はアルバイトってことでお給金もでるからさ。やってもらえないか』

「……あ、ああ」

『そうか! ありがてえ! いや、最近、うちの所属団体が人手が足んなくてさ。いすみまで行ってくれる奴がいなくてさあ、助かるぜ!』


 そのときまで、緊張のあまり、「あ」か「ああ」しか言えなかったが、さすがに耳にした地名にはびびった。


「いすみって、内房の?」

『そうだ。今回の妖魅が出たのは九十九里浜なんだぜ。いや、さすがに京一くんにも頼めないし困ってたところだ。わりいな、武徳くん』


 千葉県いすみ市といったら、足立区の俺の家からでも100キロぐらいはねえか。

 なんだよ、その距離は。

 遠出どころじゃねえぞ。


『すまん』

「なにが……」

『交通費は5000円までな。それ以上はでないんだ』

「ちげえよ!!」


 だが、こんな抗議は意味がなかった。

 明王殿はそういう奴だ。


『じゃあ、外房線の大原駅で待ってるぜ』

「ちょっと待てよ!! おい、時間は!?」

『大原の朝市行くから間に合うように来いよ!』


 プツン


 俺の堪忍袋が切れた音ではなく、明王殿が通話を切った音だ。

 こっちの抗議など歯牙にも受け止めていやがらねえ。

 まったく、あいつは……

 あと、言いたいことはまだまだある。


「京一くんって、またあいつかよ……」


 前もその名前は聞いた覚えがある。

 確か明王殿のダチの助手とかいうやつだ。

 顔も性格も知らないが、ものすごく優秀なやつらしく、明王殿がなんだかしらんけどすげえ誉めていたのだ。

 というか、ダチの助手でなければ一直線にでもコクリに行きそうな雰囲気さえ出していた。

 どれだけイケメンなのかはわからないが、あのゴリラみてえな明王殿をあそこまで惚れさせるんだから相当すげえやつなんだろうな。

 俺は自分の手を見た。

 細くて貧弱な白い腕だ。

 巨人みたいな鬼をビンタ一発で吹っ飛ばすほどに強くて、誰しもがすれ違ったら振り向いてしまうような凛として麗しい明王殿には似つかわしくない。

 顔だって……平凡だ。

 逆立ちしたっていい男じゃねえし。


「……こんな俺だって異世界に行きゃあチートで最強でもてもてで……」


 そんなWEB小説の妄想じゃあるまいし、気になっている女が普通を通り越して、超人みたいな段階でもう手は届かない。

 

「近くにいられたらそれでいいか……」


 友達も……無理かもしれない。

 俺みたいな何のとりえもないクズでは、ご機嫌さえ取っていればあいつの傍にいられるかもしれないが、友達とは認識してもらえないだろう。

 何もかも違いすぎる。

 俺は、餌をもらって傍でしっぽを振る犬みたいなものだ。

 人間様とは並び立てない。

 そこまでの格の違いというものを無意識に見せつけてくるのが、明王殿という美女なのだ。

 あのとき、命を助けられただけでなくてこんな俺にも色々と夢を見せてくれたというだけで、あらゆる意味での恩人があいつなのだ。


「……あの〈護摩台〉っての設置するのはすげえキチいけれど、明王殿に会えるならいいか……」


 この時点で俺はあのヤンキー巫女に恋をしていることを自覚していた……



           ◇◆◇



 ただ、世の中には限度ってもんがある。

 朝一の電車で大原駅についた俺は、明王殿のものだというバカみたいにでけえバイクにまたがらされ、あいつの意外と細い腰にしがみつくという嬉しい体験をしたのだが、良いといえることはそこまでだった。

 明王殿の指示で、大原の朝市で大量に発生した魚のはらわたをバケツに数杯かき集め(しかも腐っていれば腐っているだけいいんだと)、それを海岸でわけのわからん鍋に移した後、ほぐしたタバコの中身でいぶして得体のしれないダークマターを作り出したり、四時間もかけて四トントラック一台分の資材で例のプロレスリングを設置して筋肉痛になりかけたり、挙句の果てはもう六月だというのに寒々しい深夜の海岸でじっと妖怪の上陸を待つという苦行をさせられたのである。

 明王殿は涼しい顔をしているが、おまえはきちんとした訓練を受けているらしいので別にいいだろうが、俺はただの半ヒキコモリなのだ。

 こんなことをしていたら過労で死んでしまう。

 しかも、最初のうちはきちんとした説明もしないで、


「武徳くん、市場中をめぐって魚の内臓をとってこい。五分以内だ」

「タバコ買ってこい! オレが吸うんじゃねえけど」

「昼までには土台は作っておいてくれよ! オレはちょっと出てくる」


 というパシリ扱いだったのだ。

 俺はぽつぽつと明王殿がいうセリフを聞いてようやく事態を把握できるという状況だったのである。

 これが秘密保持のためとかならいいのだが、単に根本的に言葉が足りないのだ、このヤンキー巫女は。

 俺が「質問はねえのか」と聞かれて「どんな事件で何の妖怪が暴れてんのかもわからないんだけどさ」と愚痴ったら、「あー、忘れてた。わりわり」と謝られたのでようやくホントに天然の脳筋なんだとわかったけど。

 驚くほどの美人なのにこんなんで、もしかしてギャップ萌えでも狙っている―――訳もないか。

 もともとこういう奴くさいしよ。


「いや、一昨日の夜……いや、昨日の朝になるのか。九十九里浜にデートに来ていたアベックがよ、いきなり消えたんだ」

「いまどき、アベックって死語だろ……」

「だけど、たまたま数日前の、ほら、いすみ市のがけ崩れを調べに来ていたうちの禰宜がな、おかしな妖気を海岸で見つけたんだ。それで調べたら、カエルみてえな半漁人が人間を襲って食い散らかしたらしい跡が見つかったってわけだ。で、オレが呼ばれた。海から来る妖魅どもを迎え撃つためにな」


 そして、明王殿は海岸で一番上陸しやすそうなところを選んで〈護摩台〉というのを設置したんだが……

 その日は何もきやしなかった。

 見込み違いかと俺たちが思っていたのだが、翌朝になって別の所で別の事件が起きたのである。


 少し先にある夷隅川の河口での話であった……








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