第475話「御子内或子の炎の眼」
御子内或子は降りしきる激しい雨の中で、ほとんど何も聞こえてこない状況であったのにも関わらず、升麻京一の懸命の叫びを受け取った。
戦いは地上での戦いは、形の上では二対二となっていたものの、忍びである霧隠明彦では触手の化け物を足止めするのが手一杯であり、一方の或子も異常な身体能力を見せる双子の片割れに苦戦していた。
妖魅の力を減少させ実力を五分にまで持ち込める〈護摩台〉がないということもあり、やはり相応の強さを持つ妖魅と正面からぶつかり合うのはまだまだ足りないと思い知らされる。
この奇怪な双子はなんと腕に幾つもの関節を有しており、伸びた先で予想もできない切り返しをしてくるのだ。
変幻自在ともいえる腕のしなりに加え、この“雨”という悪天候の中でも、なんとか素手でやり合えるのは或子ならではというところだが、それ以上の展開には持ち込めない。
霧隠の方も、怪物の目さえも晦ませる幻法〈霧隠〉のおかげで足止めと時間稼ぎができていたが、倒す手段がない以上、手詰まりのままだ。
どちらも一方的に怪物側が押しているという戦況であったのに、そこに下された託宣ともいうべき京一の発言だった。
文意は一つ。
触手に触れてはいけない。
非常に当たり前で、とても簡単な内容だった。
だが、或子の持つ潜在的に秘められた戦闘センスはさらに上の回答を導き出していた。
あの触手に対して感じていた警戒心。
常在戦場に生きるものがもつ第六感を越えて超能力のようにさえなった勘が告げたものは正しかったのだ。
その勘を信じるのならば、触手の先端以外にはまったく脅威を感じないという感覚もまた正しいということになる。
「ならば、撃つべきポイントは一つだね!」
或子は目の前の双子ではなく、不可視の怪物の方に狙いを絞っていた。
厄介な多関節を持つ双子の方は実際にはそれほどの強敵ではない。
その異常ともいえる武器は単に触手の変形の一種であると見抜いていたからだ。
双子の兄弟がもつ独特の共通点はおそらく親から受け継いだものだろう。
どんな親だったかなんて考えたくもない。
おそらくはこの地上に住まうすべての生き物を簡単に超越するような、あり得ない外なる神であろう。
それがどうやってか人間の女を孕ませ、仔を落とさせたのだ。
原初の巫女の本当の職務は神と子をなすことだと言われている。
双子の母親はきっと巫女であったのだろう。
だが、巫女といっても或子たちとは存在意義が違う。
神の声を聞き、預言をし、神の無聊を慰めるのがかつての巫女だったとしても現代に生きる媛巫女とは在り様が違いすぎる。
あの双子の特徴を鑑みるに、親となった神はとことん邪悪で身勝手なのは想像できる。
―――あんなものをのさばらせてたまるものか。
或子には邪悪がわかる。
定義だてをしろと言われても正確に語ることはできない。
ただ、産まれつき、或子にはわかるような気がしていた。
見極める目があったから、幼かったころの彼女は迫害じみた虐待を受けていたのかもしれない。
だから、幼き日の自分を救うという意味でも或子は邪悪そのものもその化身も許しはしない。
「霧隠、ボクがそいつを討つ!!」
それを聞いた忍びは目を丸くした。
荒唐無稽なお伽噺のように思えたからだ。
「どうやって!? 言っておくが、俺にはとてもじゃないが敵いそうな相手には見えないぞ!!」
「大丈夫だ。キミと京一が教えてくれたヒントだけで十分な勝機さ」
嘘を言っている様子はない。
そう霧隠は断定したが、だからといってそれができるかどうかとは別問題だ。
御子内或子の戦闘力は知っているが、この怪物は正直言って人間には荷が重すぎる相手だ。
京一が必死になって得た情報だけでも、触手に触られたらもう終わりといっていいことだけだ。
空間と融合させられるということの真意は掴めないが、致死性の攻撃であるということは想像に難くない。
それだけ危険な相手を倒せるというのか?
いかに〈社務所〉の媛巫女といえど大言壮語がすぎるのではないか。
しかし、そんな霧隠の疑問など或子は吹き飛ばす。
「替われ!!」
或子が双子の隙をついて駆けだしてきた。
仕方なく、霧隠はポジションを変える。
背中を向けた或子を襲おうとした双子に立ち塞がったのだ。
そのまま、或子が叫ぶ。
「霧隠、ボクの分身を地上に作れ!!」
「他人の姿見なんてできるか!!」
「やれ! ボクが許可する!!」
「―――あんたは傲慢だ!!」
本来〈霧隠〉は自分自身の姿を鏡に映すように霧に反映させる幻法だ。
だから、或子の指示通りに等できるはずがない。
しかし、次の瞬間、或子自身が増えた。
左右も併せて合計三人。
いずれも変わらぬ御子内或子であった。
(これが、まさか〈
或子の発するあまりにも強力な闘気を受けて、これならば〈霧隠〉にも反映させられるのではないかと、霧隠は術を発動した。
それによって三人の或子は何倍にも増殖する。
たいした知恵はないのか、またも怪物は片っ端から触手を伸ばして幻を消していく。
触手で薙ぐのではなく突くということが、この怪物の弱点であるとすでに或子に見抜かれていたとは知る由もないだろう。
異世界の怪物はしびれを切らしたのか、身体を構成するほとんどの触手を前方まっすぐに飛ばした。
すべての或子を貫くために。
そして、すべて貫通した。
わずかな手ごたえもなく。
「でりゃああああああああ!!」
空中にそいつはいた。
瞳の虹彩を金色に輝かせ、〈気〉のこもった黒い眼球が赤く閃き、火炎と化した眼光によって闇を貫く飛翔体が。
ちっぽけな生き物が神々を越えたときに輝かす知る人ぞ知る聖なる双眸であった。
触手でできた脳みそのような怪物の、唯一人間とよく似た貌がその雄叫びの主を見上げた。
いつまで降るかわからない滝のような“雨”に紛れて飛んできた一人の少女がいた。
その眼光が怪物の異世界の崩れた頭脳でさえ震えさせる。
(こいつは―――天敵だ)
人であったのならばそう思い知ったであろう。
或子の全身全霊の〈気〉と身体の捻りによって通常の何倍もの破壊力を秘めた拳の一撃は、一気に手首まで怪物の顔面にめりこんだ。
人間の頭蓋骨でさえも容易に貫通する威力だ。
見た目と同様、怪物の身体には骨と呼べるものがない軟体であったからか、さらにその威力は倍化している。
そして、過たず、唯一の弱点ともいえる頭脳―――それだけが母から受け継いだニンゲンとしての特徴であった―――が粉砕された。
『!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
空気が割れた。
いや、空間が軋んだ。
邪悪な魂によって構築された肉体がただの一撃によって瞬く間に崩壊していく。
太陽によって雲散霧消させられた夜の闇がもし叫びを発したのならばこのような声だっただろうと思われる耳障りな金切り音とともに。
『D.D.!! D.D.!!』
まだ人に近い姿かたちの双子が消えゆく兄弟のために哭いた。
不可視の化け物の名は、D.D.というらしい。
地面に降り立った或子は産まれたての小鹿のように震えていた。
それだけの消耗があったのだ。
神の落とし仔を葬り去るという力技のためには。
「御子内さん!!」
四階から戦いを見守っていた京一が腕を掲げた。
彼の巫女の勝利を祝うために。
「ああ、ボクの勝ちだ!!」
或子もそれに応える。
―――人というものの逞しさを体現したかのような美しい少女の姿であった。
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