第474話「光る部屋」
本来は不可視の怪物に御子内さんが立ち向かったことで、その圧が止まった。
ただし、いつもと違って本当にこの怪物についての情報がまったくない。
スカウティングできていない敵との戦いがどれほど危険なのかは、僕もよく知っている。
例えば、井の頭公園で戦った外来の妖怪との戦いでは、その正体がわからずに御子内さんは苦戦を余儀なくされたことがある。
妖怪そのものについては知られていたとしても、奥の手として隠し持っている秘技についてはわかっていないことが多い。
僕が知り合ってから退魔巫女たちに被害がでていないから実感したことはないが、彼女たちの戦いは本来命がけの死闘なのだ。
死ぬことだって普通にあり得る。
だから、少しでも彼女たちの勝率が上がるように僕は知恵を絞らなければならない。
誰にも死んでほしくないし、それが御子内さんや親しい巫女なんてもっといやだ。
ガリガリの白髪と視えない触手の塊が、僕らが探していて今回の事件の元凶である双子であるのなら、もう401号室には何もいないはずだ。
こいつらが何なのか、どんな恐ろしい力を持っているのか、もしかしたら団地の巣を探してみれば見つかるかもしれない。
僕はさっき引き返した入り口に向けてダッシュをした。
それから四階まで一気に駆け上がる。
もともとはインドア系なのだが、最近はちょっと鍛えているのでこのぐらいでは息も荒くならない。
最初から行く予定だった402号室にとびこんだ。
鍵はかかっていない。
あの様子では、あの双子に鍵をかけるなんていう概念があるかどうかも怪しいところだ。
おかげで難なく侵入できたけれど。
入ったと同時に鼻孔を破壊するかのような異臭がした。
一階までは届いていなかったが、この部屋には相当凄まじい臭いが漂っていたのだ。
五月でこの調子なら夏になったらどうなることだろう。
救いといえるのは窓がすべて締め切られていて、臭いが漏れ出す隙間がないということだった。
換気扇も作動していないらしく、この部屋だけに充満しているのだろう。
しかし、何が原因の臭いなのかさっぱりわからないというのは不気味だね。
腐臭でもないし、動物の檻の臭いでもない。
強いて言うのならば火事場のものに似ているかもしれない。
空気そのものが火で炙られて変わってしまったものという、鼻だけではなく肌で感じ取れる系の違いだ。
勿論、僕らが妖怪退治であちこちに行ったときに嗅いだ臭いも混じって入るのだが、なんというか質が異なるものが混じりこんでいるというか……
なんとも不思議な感覚だった。
「いや、そんなことを考えている暇はないや」
僕は気を取り直して室内を見渡した。
3LDKという話だが、玄関からもうゴミが散らかっていて床らしいものが見えない。
靴を脱いでいられるほど悠長な場合でもないので、僕はそのまま土足でお邪魔することにした。
よくある家庭の家具があるのだが、テーブルは真ん中で二つに割れていて、M字型になっていた。
どうして割れたのかはわからないが、そのまま放置されているのが異常だった。
それだけではない。
冷蔵庫はドアが開きっぱなしで、すでに寿命が尽きているらしく何の音も発していない。
電灯も割れていた。
まともな食器はなく、紙皿どころか雑誌の上に食べ物の喰い滓が残っていて、それで食べていたのがわかる。
微妙に文明人っぽく、意味不明に野蛮人っぽい。
きっと二か月前に死んだ母親がまだ普通の暮らしをしていたのだろう。
双子の片割れだって小学校はまともに通っていたらしいから、中学になってからこんな頽廃的(そう、頽廃的! それが一番この光景に相応しいかも!)な生活になっていってしまったのかもしれない。
人であったものが徐々に狂っていき、野生的どころか堕落していく過程を思わせる室内の惨状だった。
壁にも無数のひっかき傷があったりして、とても人の家とは思えない。
踏み入れるほどにそう感じられる。
ただ、ざっと見たところ二部屋は酷いものだったが、最後の一部屋だけがわりと整理されていた。
汚れてはいるが、荒らされているという様子ではない。
無造作に飾られている小物からすると女性の部屋のようだった。
「双子の母親の部屋かも」
時間もないのでここにも土足でお邪魔した。
隅に小さな文机があった。
本が一冊、ぽつんと置かれていた。
ここにあるものの中で唯一、異彩を放っているといってもいい品だった。
今どき珍しい鍵のついた古書―――表紙と裏表紙は雑になめして製された革が貼られているが高級さはない。
それどころか捲ることさえやりたくない禍々しさと胸を虫食む恐怖が先に立つ。
「―――国会図書館の地下のあの倉庫の本がこんな風だったっけ」
つまり、これは力を持った書物に違いない。
だが、熱に浮かされたような慌ただしさで僕はそれに引き寄せられた。
触りたくないのに、読まなければならない。
そんな二律背反に支配されかける。
「でえやああああ!!」
その時、どこかから激しい気合いの声がした。
いつも耳にしているけれど、その度に熱い想いを抱かされる勇気の蛮声。
―――御子内或子が下で戦っているのだ。
「あんな地獄そのものみたいな怪物と戦っている御子内さんのためにも、しっかりしないと」
僕はその本をひっつかむと外に出た。
多分、読んでいる暇はない。
ただし、この本が重要なキーアイテムであることはわかっていた。
手触りが不気味なので長い間掴んでいたものではないが、ここに放置しておくのは危険な気がした。
しかし、ここにはなにもなさそうだ。
時間もないから、僕は次の目的地―――401号室に向かった。
そこはさっきの何もかもがのたうつロープでできているような双子の一方が落ちてきた部屋だ。
双子の母親が借りていた部屋でもないところにいたのは、おそらく隔離するためだろう。
人間の女性の胎から産まれたということは、もともとあのサイズではなく成長したためのはずだ。
だとすると、いつからあいつはあの部屋にいるのか。
そもそもあの姿のまま産まれたのか。
わからないことだらけだ。
401号室に入る。
耳がキーンと鳴った。
結界に入るときにする音だ。
僕のつけている護符が効果を相殺してくれて、呪力や神通力のない僕でも結界があることを認識できた。
中に入る。
やはり何かがあるはずだった。
今度は異常なほどに臭いがしない。
清潔という訳ではなく、無味乾燥なまでになにも感じないのだ。
そして、室内には何もなかった。
すべての壁が光り輝いていた。
光っているというよりも、薄く氷の膜が張られてているかのように少量の光を反射しているというべきだ。
床も、壁も、天井も、みんなそうだった。
大きなかまくらにでも入ったように錯覚する。
「なんだろう、これ!?」
さすがに驚いた。
まったく異界じみていたからだ。
ただし、その中にも隅に一つだけ黒い異物が転がっているのはわかった。
吐きそうになった。
それは人の死体だったからだ。
左手と肩だけがついている男性の首。
周囲が光っているので一層黒く感じられる。
近寄ってみた。
三十代ぐらいの男性だった。
作業服っぽいものを着ているので、もしかしたらこの人が行方不明のNPO法人の職員かも。
「……あああああああ!!」
だが、死体だと思っていたものは喋りだした。
左腕と首しかないのに生きている!!
「だ、大丈夫ですか」
自分でも気丈だと思ったが、声をかけてみた。
すると男性は叫んだ。
「溶かさないでくれ―――助けてくれ―――俺たちがわるかった……溶かさないでくれ」
「……どういう意味ですか?」
「―――やめてくれ……その縄でさわるな! 触らないでくれ! 助けてくれよ―――お願いだから、俺と世界を一緒にしないでくれ!!!!」
僕は思わず上を見た。
気が付かなかった。
そこには作業靴を履いた人間の足首がぶら下がっていた。
光る壁と同化するかのように。
奥の部屋まで行ってみた。
そこにはもっと多くの人のパーツが壁や天井と溶け合っていた。
「まさか、そういう―――ことなの?」
僕は敵の正体はともかく、攻撃だけは理解した。
ベランダにでて、あいつが落下したときに壊した穴からまだ降りしきる大雨に負けないように叫んだ。
「御子内さん、そいつの触手に触られたら駄目だ!! そいつの力は触れた人間と空間を融合させるものなんだ!!」
空間を溶かすのか、人を溶かすのか、どちらにしてもそいつの力を知らずに戦うことは避けねばならないのは確かだった。
初見殺しは敵の技を受けて戦うレスラーにとっては弱点だ。
だから、まだ御子内さんが無事でいられたことを僕は八百万の神さまたちに感謝するのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます