第470話「恐怖の団地」
「警察の捜査では、ハイエースについては何か巨大なものが降ってきた結果だろうと推測されています。ただし、バンタイプの車をこんなにペチャンコにしてしまうようなものは少なくとも発見されませんでした」
「いきなり、べしゃっと潰れた感じなのか……。目撃者はいなかったの?」
「真昼間でしたが、それらしいものを視たものはいません。団地の他の住人も意識的にここの入り口付近を避けているようです」
「かなり大きな音がしただろうに」
「それだけ、一般の住人たちにとって双子の住んでいるあたりはアンタッチャブルだったのかもしれません。あと、警察が見つけたのですが、壊されたハイエースの屋根の上に、黒い粘液のようなものが少なくない量付着していて、鑑識が調べているようです。今のところなんなのかはわかっていません」
黒い粘液か……
いかにも妖魅が絡んできそうな雰囲気になってきたね。
今にも雨が降りそうな曇天の空を見上げた。
この団地内がまるでじめっとした異空間のように思える。
何もない空間でもナイフを振るえばそこから血が流れ出しそうな、無気味な重々しさが漂っていた。
周囲がすべて不可視の被膜に包まれているようだ。
「……嫌な空気だ」
「そうだね。さっきからボクらを見ている視線が三十四。十七対だから、それだけの人間がじっとボクらの様子を窺っているんだ。気になって仕方ないのも当然さ」
「十七人!? わかるの!?」
「ボクが人の視線に敏感なのは知っているだろう。最近は正確に数えられるようになってきていてね。そこの反対側の団地のいたるところから覗き見している、ピーピングトムたちがばっちりわかるのさ」
僕が目を向けると、幾つかの窓で締められてるはずのカーテンが不自然に揺れた。
どうやら御子内さんの指摘は事実であるらしい。
人っ子一人いなさそうな団地なのは、人々が息をひそめて様子を探っているだけなのだ。
誰一人、姿を現さないのに。
「―――気持ち悪いですね」
「そうだね」
「巫女がそんなに珍しいのかな」
「そりゃあ、そうだろう。御子内或子は俺の想像以上に頭が良くないのか」
「胴体に崩拳で穴をあけるぞ」
女の子らしからぬ恫喝の仕方だった。
「で、霧隠。その黒い粘液の正体は分析できているの?」
「まったくです。ハイエースはクレーン車で運び出しましたが、一般的には別に事件性がある訳でもない、ただの事故ですから封鎖されるでもなく、いなくなった二人のNPO職員だって死体が出たり目撃者がいたのでもないから、すぐに捜査終了ですよ。行方不明のうちの一人は元警察官だったらしいですが、素行から身内意識はもたれなかったらしく、真剣に事件として捉える所轄もいなかったみたいです」
「警察官だったんだ」
「まあ、警察庁内部の〈社務所〉の関係者が手を回して終息させたみたいですけど」
よくよく考えると恐ろしい組織ではあるんだよね、〈社務所〉って。
人手不足だの、予算が足りないだので散々庶民的なイメージを醸し出していたが、その規模といい人材といい、どっちみちまともな組織ではない。
そもそも、御子内さんたちのような人外の戦闘力を持つ巫女を複数抱え、霧隠忍群のような忍びの一族を雇い、警察はおろか自衛隊、各省庁に対しても融通が利きまくり、〈護摩台〉のような目立つ結界を人払いの術を使ってもなおかつ目立たないように運営できるなんてまったく普通ではない。
霊力のない人の目には映らない妖魅たちならばともかく、人の身なのでやたらと目立つ退魔巫女がこんなに自由に動けるというのはやはり変なのはわかっている。
とんでもなく強力な後ろ盾がなければならない。
それに、僕はその後ろ盾について最近薄々とだがわかってきていた。
この日本において、隠然たる影響力を持ち、オカルト関連の事件に対して陰から支援してもおかしくない呪法の大家。
あそこがバックにいるというのならば、〈社務所〉がやたらと超法規的でいられるのもわかる気がする。
おそらく〈社務所〉にとって政治的に敵対してくる可能性があるは、共産党とかそのあたりだけだろう。
ただ、妖魅による被害は誰にでも平等にやってくる。
御子内さんたちを邪魔して平気でいられるのは、秩序を乱すのが仕事のテロリストみたいな連中だけだろう。
「―――では、安心して突貫できるね」
相変わらず御子内さんは爆弾小僧である。
「何がいるのか、わかんないんだよ。用心しないと」
「京一の言うことは一理あるね。……よし、霧隠。様子を見てきてくれ」
「―――俺を陥れる気か!!」
「何を言っているんだい? 威力偵察は忍びの仕事だろう。ほら、本隊が動く前にさっさと偵察をしてきてくれ」
しっしと犬を追い払うような手つきをする御子内さん。
なんというか見事なまでに霧隠には辛辣だ。
「表からはあれなんで、壁を昇って裏から行ってみたらどうだ」
「人に見られるだろうが」
「気にするな。多分、この団地の住人は気にしない」
渋々といったところだが、特に気負うこともなく霧隠は裏手の方に回っていった。
御子内さんへの対抗意識が強すぎるが、もともと仕事熱心なのである。
「さて、ボクたちも行くか」
「駄目だよ、せめて霧隠の偵察が終わってからにしようよ。〈護摩台〉だって用意してないし」
「直接本丸に行く気はないよ。まず、あの401号室の下―――101号室を見てみようというだけさ」
「101号室? 無人だという話だけど」
「だいたいおかしいとは思わないかい。101から402号室まですべてが空室なんて」
「それはそうだね」
「何か理由があるはずさ。そこをつきとめてから〈護摩台〉を用意したっていい。それに、敵の正体をつきとめてからということを言ったのはキミじゃないか。ボクはそれなりに考えて行動しているんだよ。いつもいつもキミ頼みという訳じゃあないぞ」
あ、そういうこと。
さっき霧隠に挑発されたのでちょっと不貞腐れているんだ。
ボクだって考えなしじゃないよ、とでも主張したいのだろう。
まったくムキになっている御子内さんは可愛いな。
とはいえ、言っていることは正論なので僕らは目的の部屋のある棟の入り口に入った。
同時に凍りついた。
横隔膜がせりあがってく熱い疼きによって嘔吐をしたくなる。
「―――今のなに?」
「わからない。ちょっと感じたことのない寒気だった。妖魅が傍にいるということしか……」
御子内さんでさえ、目を見開いて、鳩尾のあたりを押さえている。
僕と同じ症状だ。
「目に見えない細い紐でも破ってしまったみたいだった。何か、張られているのか?」
手を伸ばしてみたが、当たり前のことだけれど何もなかった。
それなのに全身に冷たい何かが触れてくるような怖気がある。
これまで色々なところに御子内さんと言ったが、おぞましさ、名状しがたさ、でいったらこの団地の比ではない気がする。
心底震えあがりそうな恐怖があった。
「―――なるほどね。どえらく嫌われている相手のはずなのに、この棟にまで誰もいやがらせのために入ってこない訳がわかったよ。普通なら落書きとかゴミとかで汚されている門だけど。しかし、これはちょっと強烈だ」
「吐きそうなんだけど……」
「京一は下がっていていいよ。ボクだけでいく」
「残念。可愛い女の子を一人で行かせられるほど、僕は融通の利く男じゃないんだ」
僕は小さな御子内さんの手を握って、奥に入り込んだ。
バチバチと切れかけの電灯が点いたり消えたりしている。
まだ電気は通っているんだろう。
「急に手を握られたら驚くじゃないか!」
「すぐ振りほどかれたら嫌だからね」
「勝手なことを言うな。まったく、キミという男は存外デリカシーに欠ける。ボクみたいな初心なネンネには扱いづらいったらないよ」
さっきの霧隠といい、〈社務所〉の人は言い回しが一昔前のものばかりだ。
あたりまえだのクラッカーとかも平気で使ったりするし。
修行中に何を教えてくれていたのだろう。
「……とにかくいこう」
御子内さんの指のサイズは5.5号なのでだいぶ細い。
この小さな手で彼女はずっと戦っているのだ。
だから、いつだって僕は彼女を尊敬している。
「―――うん」
僕たちは101号室の前に立った。
こちらは角部屋だ。
あれ?
おかしいぞ。
「御子内さん、例の双子の部屋って402号室だよね」
「そうだよ」
「でも、角部屋って普通は下一桁が01なんじゃないかな。ここみたいに」
「……それは確かに変だ。ポストを見る限り、401号室と402号室しかないし」
「変だね」
だが、とりあえず本丸に一気に詰めかけるのはやめて僕らは401号室の鍵を取り出した。
この事件の前に霧隠が手に入れてきたものだった。
実はこの団地を管理する第三セクターから僕らは依頼を受けていたのだ。
長らく続く怪奇の謎を解くように、と。
確かにこれが解決しないと再開発もできやしないしね。
鍵を鍵穴に突っ込む。
長い年月、人が住んでいないようだったが、スムーズにドアは開いた。
『ぎぃやあああああああ!!』
明らかにすぐ傍で悲鳴が聞こえた。
人のものとは違う悲鳴が。
わずかに遅れてドスンというものの落下する音も。
「外だ、京一!」
僕は御子内さんの後を追った。
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